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父の人生を変えた『一日』その15~あ目理科駐在初日~

その15 ~アメリカ駐在初日~
 飛行機からシータック空港、つまりシアトルの空港が見えてきた。シアトル。昔のアメリカ原住民の酋長の名前からきた地名である。現地駐在員が空港に迎えに来ていた。
着任早々、ある木材を検品してくれとテレックスが入ってきた。空港からそのまま材木検品に行った。歴代駐在員で初日からこき使われた社員はたぶん私だけであろう。早速、タコマとロングビューのヤードに検品に行った。すぐ検品報告をした。木材は、「まず買う木材か買わない木材か?」の判断が必要である。名古屋で海の上で教えられ、鍛えられた材木の見方は誰にも負けない自信があった。今回は絶対に買うべき材木であると進言した。東京本部は迷わず買うことにした。私の検品報告を東京本部は聞きたかったのである。材木はアメリカから日本に行って、最終的に結果が解るものである。そのために真剣に気を引き締めて、見極める事が重要なのである。
 先輩方のちょんぼも色々見てきた。部下の検品の間違いも何度も見てきた。総合商社マンは商品知識を知っていて当たり前の事なのである。つまり木材のスペシャリストでなければ成らないのである。その日から忙しいアメリカでの生活が始まった。ライオンは水を得た魚のように活動し始めた。英語だけの国アメリカ最高の気分であった。


~倅の解釈~
 父は我々家族より3か月先にアメリカへ赴任した。その時のワンシーンが上記のエピソード。さぞ、シアトルに着陸した時、燃えていたんだろう。手に取るように父のワクワク感がわかる。
 我々、家族が3か月後にシアトルの空港に到着した時をいまだに鮮明に覚えている。とてつもなく大きいLTDというアメリカ産の車に乗って迎えに来た父。全てが大きいアメリカ。
 「親父、この車会社の車?」
 「違うよ。家族の車」
 アメリカに飛ぶ前まで、名古屋で貧乏生活をしていた水澤家。車に乗り込み大はしゃぎ。そして、父の運転でアメリカのベルビューというシアトルから30分くらいの距離にある地域へ。初めてのアメリカの家との対面。車が到着したやいなや、家族で外にでて、びっくり。表と裏に庭がある大豪邸。庭には芝が一面に敷き詰めてあり、アメリカのドラマに出てくるような平屋の住宅。家の中に入ると、ベッドルームが6つ。トイレが3個。風呂が2個。リビングとダイニングは異常な広さ。アパート暮らししかしたことの無かった水澤家。さすがの厳しい母の顔にも満面の笑みが。
 アメリカ滞在中、祖父が長岡からはじめて訪問してくれたことがあった。祖父は大東亜戦争中、通信兵であり、アメリカと戦った。子どもながら当時、小学3年生の私は祖父の反応を気にしていた。今も覚えている祖父の、到着して、空港から自宅へ向かう車中で発した言葉。
 「日本はこんな国と戦争していたのか」

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