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父の人生を変えた『一日』その69 ~骨肉の争い~

その69 ~骨肉の争い~
 『一族の持っている水澤電機の株を全て買って頂き退職金を一族全員頂きたい』と専務である先代の奥様から申出があった。これは私を含め他の役員もいるところでの申し入れであった。私は致し方なく了解した。それで穏便に済むならそうしようと考えていた。そのうちに誰が知恵をつけたのか知らないがもう少し財産をもらいたいと申し出が新潟の弁護士から連絡があった。致し方なく新潟の弁護士を訪ね会社の経営やらいろいろ説明した。新潟の弁護士は私の意見を理解していただき全て了解した。良かったと思った。
ところがその弁護士に不満を感じたのか奥様はその弁護士を解任し別の弁護士を立ててきた。こうなると当方も正式に弁護士を立てねばならず長岡で一番優秀と言われている高橋弁護士にお願いした。全く骨肉の戦いになってしまった。私の不徳のいたすことになってしまった。
 しかし、残念な事に一族が51%その他49%の株主比率になっており意地悪な仕打ちや無理難題がでてきた。最終的に
・株比率で財産分割 会社分割
・離縁(養子縁組を解消する)
・離婚(私と妻を離婚させる)
この3点セットで先方から一歩も引かない提案があった。
息子の専務は激怒したが法的には株の比率から言って致し方ない事であり、全てを私が飲み込んだ。そして若草町の家を出た。その日、親父さんの墓の前で親父さんに言った。
『親父さんの心配する事が起こりました。神が与えた試練と思って乗り越えていきます。私には親父さんが育ててくれた社員がいます。そのために自分はどんな犠牲を払っても社員を守っていきます。』
幸いなことに息子と娘は自分に付いてくれた。自分では信じられない人生が待っていたのである。腸煮えくりかえる気持ちを冷静にじっと耐えて事の解決に奔走した。


~倅の解釈~
 親父から務めていた商社を辞めて実家に帰ってこないかという問い合わせは一切なかった。母には一切相談していなかったが、私自身も人生の勝負を考えていた。サラリーマンを3年そこそこ経験して、勝負に出たかった。アメリカを目指したかった。英語を使う仕事につきたかった。中途採用試験を何社か受けて幸い受かった会社があった。あえてここで社名を伏せておくが、すべて英語で出来る仕事。夢のような話しだった。
 親父にこの話を報告した。
 『そうか。お前も面白い事考えるな』と一言。東京に来ていた時夕食を食べながらの相談。思いのほか親父の背中は寂しそうであった。同時期に母は会社でのもめごとがあるということで、何度も電話をくれて私は相談に乗っていた。
 長岡の水澤電機は大丈夫なのか?そんな心配がよぎった。あらためて親父に会って聞こうと。また東京で会う約束をした。
 『親父、実家は大丈夫なのか』
 『NO PROBLEM!まったく問題ない』の一点張り。
 ここで悩んだ。実の親が間違いなく困っている。そして、務めていた会社の副社長に相談に行った。インド人とのクォーターの副社長。親父が尊敬していた企業戦士。
 『馬鹿野郎!!悩むことあるか。お前は実家へ帰れ。経営者は大変かもしれないが天命だと思い楽しんでやれ』
 吹っ切れた。そして、その日中に親父に電話した。
 『水澤電機で仕事させてくれ。会社を継ぎたい。』
 『分かった』
 確かこんなやりとりであった。そして、長岡に戻った。戻って早々、骨肉の争いがスタート。とんでもない事業継承のスタートであった。でもこれも人生。今になっては最高の試練であった。このどん底から親父と二人で耐えて耐え抜いて這い上がったことに意義がものすごくあり、今の私の原動力となっている。


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