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ガトーショコラ食べながら独り語り



 こんばんは、蒼日向真澄です。久々の『独り語り』な気がします。『独り語り』なのか、『一人語り』なのか、私の過去記事を見るとどっちもあって、統一しておきゃよかったなと後悔しています。まあ、いいか。

 昔から、ではないですが、私は春という季節が一番嫌いです。何かと別れたり、何かと出会ったり。それはたしかに人生を豊かにするものかもしれませんが、物事が変わっていく瞬間、私は決まって体調を崩します。加えて春には多くの花粉が飛ぶから、余計に体調を崩します。コンディションは最悪ですね。

 そういえば三年ほど前、私が適応障害になったのも春の頃でした。今までずっと走ってきたはずのレールから、ある日突然脱線するような感覚。いや、もしかしたら前兆はあったのかもしれませんが、昨日まではできていたことができなくなったり、ずっと気怠さが抜けなかったり、生きていたいと思えなくなったりして、どんどん自分を追い込んでいくような感覚に襲われました。それから春の微風も相まって私の精神が病んでしまったのは、桜が散る頃でした。

 あのときの私は言葉を話すことにも抵抗感があり、それでも胸の内のモヤモヤを吐き出したいという欲を満たすために、このnoteに文章を書いて気持ちをぶつけていました。こうやって定期的にnoteを更新するようになったのは、適応障害になったあの頃からでした。三年も前、なのか、三年しか経っていない、なのか。どちらとも言えますが、あの時間はしんどかったですね。

 これは感覚的な問題ですが、私は三年経った今も適応障害を治すことができていません。まあ、そもそも適応障害は治るものではないのでしょうけど。私を作り上げてきた過去が歪なものである限り、未来の私が綺麗になることはないでしょう。私は弱いし、脆い。他の人なら耐えられることも、耐えられなかったりする。それでも生きるためには社会に出なければならない。自分を壊さないようにしつつ、自分を使っていく。そのバランスを取りながら、何とかごまかしながら生きている感じです。多分、一生こうやって生きていかないといけないでしょうね。

 とはいえ、悲観的な気持ちで生きているわけでもありません。適応障害になってからだいたい三年が経ちますが、そこで手に入れたものだってあります。それは、諦めること。人間は十人十色、みんな違ってみんないい生き物だと私は考えています。だから人にはそれぞれできることとできないことがあり、得られるものと得られないものがあります。三年前の私は、どうしても『普通』を欲しがってしまい、自分のキャパをオーバーしてしまったせいで適応障害になった気がします。もちろん向上したいという思考は大事ですが、時には諦めも肝心だと考えたりします。そこもまた、バランスを取りながら生きていくのでしょう。

 社会と対話していく部分と、社会から逃げる部分。理想と現実を理解した上で、それでも主張したい気持ちがあれば、noteに書く。あるいは小説にする。そして好きなことをやる。生きる上で必要なこと、たとえば仕事などは無理せずこなす。他の二十六歳と比べたら私は残念な生き物でしょうけど、比べてもどうにもならないから比べない。私が抱いていた『普通になる』を諦める。

 最近は、どんなに期待しようとも、希望を持とうとしても、叶わない願いだってあるのだろうと考えるようにしています。ならば道を変えて、自分が息をしやすい世界に通ずる道を歩む。生きるなら、自分に合った歩き方で歩くしかない。ガトーショコラでも食べながら、ゆっくりと歩く。そんな感情です。


 最初に春が嫌いって書きましたが、桜は好きですよ。桜は私が一番好きな花です。今年も綺麗に咲いてくれるといいですね。


 それでは、また。

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