回転寿司だけでなくて、あらゆるサービスは考え直さなければならない

なにをいまさら、って思っている大人はおおいよね、きっと。

  • 回転寿司が大変だ。正確に言うと、回転すしの衛生はやはりダメだったということが明らかになったので大変だ、ということだろう。

  • 多かれ少なかれ、あんな無防備に商品がならんでいて、不特定多数の客の横を通ってきている食べ物を食べていた、のだよ。エアゾルなんてのが画像かされたりして、人が息するだけで他人の領域を侵害するということがコロナであきらかになってしまったけど、そういう環境にあの寿司は回転し、それを食べていた、私も含めてね。

  • そこが出発点だから、ちょっとの出来心、いらずらでなにをされているかわからよ、ということ。なにしろ息もかかるのだから、なんでもできる。一部のSNSで動画であがったような行為は一例に過ぎない。

  • 言われてみればその通りで、用心深い人は回転寿司に行ってはいけなかったと思うだのだが、でも実際はそうでなかった。外食産業が不振のなかで、回転寿司チェーンだけが好調。外国人客が喜んでいることも相まって、店舗の規模の拡大が続いている。

  • 他人に迷惑をかけることはやってはいけない、他人もそう思っているはずだ、だから大丈夫だ、という社会への信頼、そういうとおおげさだが、普通に義務教育を終わって社会にでている人が多数のこの社会においては、回転寿司が安全の確保は何の努力も要せずに確保されている、そういう信頼。

  • 違うのだ、ちょっと性悪説に傾いて考えれば、納得するにに時間がかからない動画であるが、社会を大きく揺るがす。凶悪でないからだ。どちらかといえば知恵と判断力、倫理が足りない陳腐な悪ふざけ、それだけにこの社会が内包しているみたくない醜悪な「誰でもちょっと悪くて、知らない間にそういうものが口に入っている」という振り払っても気持ち悪い感じ。

  • まあ、ちょっと振り返ってみれば、回転寿司なんていうのは傍流も傍流、あんな形態で寿司が提供されるというのは際物であった。それがいつしかメジャーになり、家族で楽しめるものになっていったのだが、この話だけでもまた書けるのでここでは省く。いつのまにか寿司業界の柱となり、その安さで高校生くらいになると友達同士で出かけて行って長居するようになった。そこまで普通で安全だから。

  • こう書けば神経質な人はもういかないだろう。駄菓子屋の店先、という表現でわかるだろうか、私は昭和に生まれ地方で育った人間だが、駄菓子屋の店先はむちゃくちゃだったのだよ、パッケージされていないお菓子とかが箱から直接取っておばちゃんにお金を払うものがあったのだが、ちょっとでいいから味わいたい子がどんなことをしていたか。あるいはいたずらなのだが、衛生的にはかなりまずいことがあったりした。アイスのケースとか特に。うちの母親は潔癖症だったので、そんな風景をちょっと見ただけで私を駄菓子屋に行かせなかった。だけど、その目を盗んでいっていたのであるが。

  • というわけで、今のZ世代の人たちはあいまいだった回転寿司の衛生に関してはっきりさせてくれた。彼らの世代が主体となるこれからは外食産業は様変わりする他ないだろう。しかしこの状況で保健所とか厚生労働省とか動くに動けないだろう。刑事事件になっているから。

飲食だけでないよ、違法でないけど商売ができなくなったよ、という例もあわせて考えよう

  • お寿司になにかしたり、共用の備品になにかしたり、とか、よくわからないが動画としてはインパクトがあるのだろう。

  • 悪いことで狂った感じのインパクト、もちろん店にも打撃がある。そういうことではないが、こういうことはしないよね、という線引きがあまくなってゆきいつのまにか店が立ち行かなくなるということもある。

  • モノだけみて帰る、試着してサイズ確認しただけで店をでる、ネットで買う。これやられると、リアルはもうやっていけない。動画にしてもなにもインパクトがないが、昭和の感覚であれば、さすがにいつも買わないのは何だからたまには、という感覚があったし、もしかしたら修理とかしてもらう(アフターサービスとか相談とか)から高いけどここで買っとくか、とかあったような気がする。それができなければそもそも店に足を踏み入れない。

  • 心理的に痛むのは、客が来ているのに、わざわざ来てくれているのにお金が落ちない、ということなのだ。本当にすぐにやめたくなるくらいの無力感。本当は来てもらえるだけでありがたい、だってわざわざ時間と労力をかけてくるわけで、買ってもらえいないのは機会損失で工夫のしどころだった。その前提が壊れてしまっていては、お金をかけて店を開くことになんの意味があるのか。

  • 資本主義だから、弱肉強食だから、進化論だから、いろいろ考え方はあるだろうが、環境が変わるとビジネスが変わるってことだけで、試すことのできるリアルな店がなくなってもネットが進んで完結するようになるだろう。ただそこで失われるものもあるはず、それでよいのかと思う。このあたりの共通認識は、食品衛生ほど刺激がないから見過ごされていゆくのだろうが、我々の生活が信頼をもってお互いが安心して生きてゆくことができるかどうかという点については変わらないテーマであると思う。

なんだかみょうな感じになったものは他にも、

  • 電車に監視カメラがついた

  • 夕方のターミナルの改札あたりに警官が立つようになった

  • 信号無視してバスに駆け込んでくる客に、運転手が「信号無視しないでください、死にますよ」と言う

  • バスの話は本当まずい、この前、おばあさんがそのように孫のような年の運転手に面と向かって言われて、固まっていた。見知らぬ人間に「死ぬ」とか言うのって俺は抵抗があるに、言われたほうもぎょっとするのはわかる。こういうことをしないと維持できない事業になっているのなら長続きはしないだろう


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