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エッセイ「ピンポンいくらは生命の証」

私の父はここ数年料理にはまりだした。

そして凝り性の父がはまった結果、短期間で料理上手になったのだ。

ただそんな父にも料理の失敗はいくつかある。

今回はその中でも家族が食べて仰天した”いくら丼”の話を書きたい。


×  ×  ×


「そうだ、いくら丼を作ろう!」

仕事から帰ってきた父が急にそんなことを言い出して、買ってきた筋子を見せた。

父曰く、商店街にあった”いくら”が大変おいしそうだったこと、また料理YouTube動画に筋子から”いくら”を作る方法が載っていたようで、分かりやすく言うと自分で作ってみようと触発されたらしい。

私の父はなんと分かりやすい人なのだろう。

しかし私は疑っていた。

当時、私はプロじゃない人が筋子から”いくら”を作れるのか、いや大変だろう。

そんなことを考え、仕事をしているうちに件のいくら丼はできたらしい。

なんともおいしそうな”いくら丼”だ。

だが私はぶっちゃけ言って、疑心暗鬼な眼で目の前に出されたいくら丼を見ていたと思う。

「まあ、食べても死なないだろう」と判断し、私は箸で”いくら”を口に運ぶ。


・・・おいしい。


これは売り物と遜色ない位の”いくら丼”だ。

こうして父の1回目のいくら丼作りは、成功した。

だから私も油断していたのだ。まさか2回目に作ったいくら丼があんな驚きを持ってくるなんて、このとき私は少しも思っていなかった。


×  ×  ×


私達が言ったおいしいという感想は、父の気分を大変良くしたのだろう。

1カ月後、父は筋子を買ってきて、

「今日の夕飯はいくら丼だーーー!!」

父はそう言うと、帰ってきてすぐに台所に向かった。

ちなみに母は夕飯を作ろうとしていたので、父の行動に大層びっくりしていた。

「夕飯作るの、ブッティングしなくて良かった~。」


×  ×  ×


父が台所に立ってしばらく時間が経過すると、

「・・・準備できたぞ。」

と元気なく言った。

いつもなら「はやく食べて感想聞かせて。」と大層人を急かすのだが、珍しく父は黙っていた。

「どうしたの?」

「なんか前回作ったときと雰囲気が違うんだ。もしかしたら筋子の茹で方が悪かったのかもしれない。」

父が珍しく弱気な意見を言う。見た目そんな変ないくら丼に見えないのだが……。

「とりあえず、食べてから感想言うよ。」

そう言って家族は食卓に着き、手をあわせて

「いただきます。」

そう言って、丼用のスプーンで”いくら”とご飯を取り口に入れた、何も疑わずに。すると口に入れてから違和感が襲ってきた。


????????


「何これ本当に”いくら”なの?噛んでも噛んでも、噛み切れないんだけど!!」

私の叫び声が家中に響いた。


×  ×  ×


父曰く、2回目に作ったいくら丼は前回と料理方法を変えていないらしい。

じゃあ、なんでこんなに硬いんだ?!

「これ本当に”いくら”なんだよね?」

妹が恨めしそうに父に尋ねる。回転寿司に行ったら”いくら”しか頼まない妹にとって、この”いくら”は大変許しがたいようだ。

「そうだよ、前回買ったところと一緒。」

「お父さんさあ、だまされたんじゃない?」

そんなやりとりをしている横で、私は黙って噛んでも噛み切れない”いくら”と戦っていた。

・・・この硬さはなんとも表現しがたい。

ゴムのような弾性が働きながら、薄皮が厚く何回も奥歯で力を入れて潰さないと”いくら”が噛み切れない。

父は「そんなはずない、何でこうなったんだ。」とぶつぶつ呟きながら、スマホでネット検索を始める。

なんとか自身の名誉を回復したいらしい。

父が「いくら 硬い」で検索すると、すぐに真相が判明した。


×  ×  ×


私達が普段食べている”いくら”は何の魚の卵か?

みなさんご存じの通り鮭の卵だ。

鮭は産卵時期に近づくと、自分が生まれた川の上流へ向かう「遡上」という行動を取る。

そして川の上流域で川底に産卵して力尽きるのだ。

産卵した直後に力尽きるとか、鮭の一生が悲しすぎる……。

そんな鮭が命がけで産んだ卵が柔らかいと、お分かりだろう?

川底の小砂利に卵が潰されてしまうのだ。

つまり、産卵に近づくと”いくら”の皮は硬くなっていく性質があるのだ。

そして私達は見事にそのいくらを食べてしまった。

このように皮が厚く硬いいくらを【ピンポンいくら】と言うそうだ。


昔だったら、「すごい!へえ~ボタンいくらでも押せそうだよ。」と笑ってTVを見ていただろう。

しかし当事者になると、話は別だ。


誰ですか、こういう”いくら”達を【ピンポンいくら】と名付けたのは?!

ピンポンってレベルじゃないよ!

噛み切れないよ!

噛み切れないレベルの”いくら”ってなんだ?!本当に”いくら”か??


心の中で罵詈雑言を言い続けた。しかし私は「食べ物を粗末にしない。」という教えのもと育った人間だ。

がんばって【ピンポンいくら】と格闘する。

ちなみに妹はあっさり食べることを放棄した。おい、待て。確かに力業で食べる必要がある”いくら”を食べるのは大変苦労するが、そんなあっさり裏切るな。

妹はそんな私の視線を華麗にスルーして、食事を片付ける用意をしていた。

私は無心になって、噛み続ける。

これは顎が鍛えられそうだ。だが私の歯は”いくら”に負けないかな?


×  ×  ×


後日従兄弟に件のいくら丼について話をする機会があったのだが、いまいちピンとこなかったらしい。

従兄弟曰く、「噛み切れない”いくら”ってあるの??」らしい。

まあ、食べたことないとそういう反応だよね。

私は苦笑しながら【ピンポンいくら】について考えた。

私達が普段食べている”いくら”は捕まえた鮭を捌いて取った”いくら”だ。

当たり前だが私達は生命を貰って今を生きている。

「そんなの知っているよ。」と言いたいが、最近食べ物に対してのありがたさをちゃんと感じていなかったように思う。

まあ要するに食べ物は大事にという結論だ。

ちなみに”いくら”のおいしい時期は、産地と時期によって異なるそうだ。筋子から”いくら”を取り出すときは、くれぐれも気をつけて欲しい。

だってせっかく鮭から貰った”いくら”を大事に食べたいでしょう?

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