マスダノリコ

ここでエッセイのレッスンをしています。

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最近の記事

私は母から解放されたのか

母が死んだ。 この日が来ると自分がどんな気持ちになるだろうかと、ずっと思っていたが、別に何も起こらなかった。淡々とするべきことを済ませた。ただ、非常に疲れている。 私は母に甘えた記憶がない。抱きしめられた記憶も優しい言葉をかけられた記憶もない。 叩かれて育った。あるとき裸足のまま足から血を流して走って逃げたら、近所の人に知られて恥をかかされたと言われ、よけいに叩かれたので、それからは逃げるのをやめ、甘んじて叩かれることにした。 母が私にこういう態度をとったのには2つの理由

    • 選挙の思い出

      高度経済成長のころ、地元の商売人はだいたい保守派の政党を支持していた。実家もそうだったし、市会議員、府会議員との付き合いもあった。祖父は府会議員と親しく、後援会に入っていたと思う。よく近所の人たちが困りごとを相談しに来るのを議員に繋いでいた。 子供の私にもわかったのは、どこそこの道路が危ないから横断歩道を作ってほしいとか信号を付けてくれとかいうようなことくらいだったけれど、政治家は大人たちと一緒に町を良くしてくれる、頼りになる存在だと思っていた。昭和の時代には、固定電話のそ

      • 恵方巻きに関する覚え書き

        毎年節分になると恵方巻きについて同じ事をTwitterでつぶやいてしまうので、簡単にまとめておきます。 恵方巻きについての従来の研究は、全国的な行事として定着する過程を明らかにすることが目的で、由来についてはそれほど詳しく調べられていないようです。遊郭で始まったとされていますが、その根拠は昭和7年の大阪鮓商組合のチラシにある「この流行は古くから花柳界にもてはやされてゐました」という文言で、どこの「遊郭」かさえ明らかになっていませんし、実際にそういう遊びをしたという聞き取り調

        • 意地でも着物

          ゴスロリできめてる人に「どうしてそんな服を着ているのか」と聞く人はあまりいないだろう。いかにもバンギャの格好をしている人に「ライブ行くんですか?」と聞くのも少し親しくなってからだと思う。人の着ているものについてあれこれ言う、ましてや本人に直接言うのは憚られる。 しかし、着物を着ていると、かなりの確率で「どうして着物を着ているんですか」と聞かれる。よく「お茶を習っているんですか?」と聞かれる。何故なんだ。 念のため言っておくと、私の場合そんなふうに聞かれるのが不快ということ

        私は母から解放されたのか

          今日気づいた

          中学校時代の友人たちと久しぶりに会った。思えば四十年以上の付き合いである。私たちそれぞれこんな人生を送るなんて思いもしなかったね、そんなことを言ってしみじみしてしまった。 別の用事で一足先に帰った友人を見送りながら、もう一人の友人が「昔からぜんぜん変わらへんなあ。あの子は秀才タイプ、あんたは天才タイプやったなあ」という(この「秀才」「天才」というのは便宜上のタイプ分け)。 先に帰った友人は、コツコツと努力をし続けることのできるタイプである。私が彼女を尊敬しているのは、その

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          株というもの

          現在は電子化されている株券だが、子供のころ一度だけ紙の株券を見たことがある。 それは茶箪笥の上の小さな引き戸の中に、他の貴重品と一緒に入っていた。茶箪笥を触ると叱られたので、中に何が入っているか私は知らなかった。あるとき、父が中のものを取り出していたので見に行くと、印鑑や通帳、写真などと一緒にそれがあった。 「これ何か知ってるか?」 「知らん。」 「株券や。学校で習わへんのか。」 「“かぶけん”?」 実家は町工場だった。同族経営の小さな工場だが、伯父が株式会社にしたのであ

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          たこ焼き屋になりたい

          会社勤めとか公務員とかいう安定した職業に就かないで、芸術家とか研究者とかを目指す人生はキツイものだ。いま思うと、大卒で就職するつもりが大学院に進んで人生を棒に振った私も、院を受けることを決めたときは妙な高揚感に包まれていた。テンション高かった。平たくいえば、頭おかしかったと思う。 頭おかしかったとはいえ、常勤の研究職に就けなかったときのことは考えていた。研究室では、就職できなかったらどうするかがよく話題になった。琵琶法師になると言っていた人は、現在、有名大学の偉い先生になっ

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          ミニマリストになる理由

          ミニマリストが流行っている理由の1つは、日本という国が貧しくなったからだと思う。 ミニマリストになると節約できる。モノを減らして自分が管理できる量になると、同じようなモノを買ったり手入れが行き届かずダメにしたりということがなくなる。モノを処分するときに自分のお金の使い方について反省せざるを得ないので、無駄遣いがなくなる。 私はミニマリストにはほど遠いが、見積もりに来た引っ越し業者に「隠してないですね? 当日にやっぱりありますでは困るんですよ」と言われたくらいなので、衣類や

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          ポテトサラダぐらい

           あのあと築50年のアパートに帰宅した爺、年中出しっぱなしの炬燵の上にスーパーの袋をガサッと置く。袋の隣には小銭が散らばっている。次の年金の振り込みまであと5日。スーパーで惣菜を買いたかったが諦めて特売のカップ麺が今日の昼食だ。  流しは洗い物で溢れていて、この暑さで饐えた臭いがしている。妻が亡くなって三年、まともな料理を食べたことがない。最初の一年は呆然と過ごした。さまざまな手続きや片付けもあった。夢中で過ごした。一年経って、自分がまともな食事を取っていないのに気づいた。

          ポテトサラダぐらい

          唾はいつから汚くなったのか

           飛沫感染という言葉を日常的に聞くようになって、昭和の時代には唾についてけっこう寛容だったことを思い出した。  例えば針に糸を通すとき、指にちょっと唾を付けて糸をよじるのはふつうのことだった。親からそうするように教えられたし、家庭科の授業でもみんな何の疑問もなくそうしていた。古い映画など見ていると、針仕事をしているとき糸を舐めるのはもちろん、結い上げた髪にちょっと針を入れることもある。あれはたぶん髪の油分を針に付けて布に通りやすくしているのだろう。人体の油というより整髪料の

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          大人になればわかる

          子供のころ「大人になればわかる」と言われるのが嫌だった。子供の私は、科学的に解明できていないという類のこと以外は、この世にわからないことなどないと思っていた。わからないのはわかるように説明できていないか、説明が足りないかだと思っていたのである。 同じように、わからないのはその人の人生に何かが足りないからだという考え方は今も好きではない。そういうこと言う人多いんだよな、酒が飲めなければわからないとか、人を好きになったことがなければわからないとか。 大人になればわかるという言

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          外国語と私

           夏休みにオーストラリアに行ってきた。前半は学会で後半は観光である。  学会の使用言語は英語で、長文の英語を読み書きするのは実に30年ぶりくらいだった。観光地では出会った観光客と何度かおしゃべりしたけど、海外旅行をほとんどしたことのない私には、あまりない経験だった。  長い間使うことはなかったとはいえ、英語はかつて受験のために本気で勉強していた期間がある。学会の準備をしていて文法や構文が蘇って来るのは、まるで久しぶりに自転車に乗るような感覚だった。一度は慣れ親しんだもので

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          物を言えない日がきたら

          最近、生まれて初めて物を言うことを怖く感じるという経験をした。 なんだか薄気味悪いという程度で、何かが起きたというわけではない。はっきりと脅迫でもされたら即警察に行くつもりだし、弁護士に相談して裁判を起こすのも辞さないで徹底的に戦うつもりだけど、たぶんまあ、何も起きないと予想している。 それでも私は怖かった。「これ、危険なことに突っ込んでないか」と言われたとき、夜道を一人で帰るとき、私はずっとヘラヘラしていた。緊張するとヘラヘラするたちなのである。

          物を言えない日がきたら

          印象

           更新料が引き落とされていたので今のマンションの契約をして1年だということに気付いた。前の住まいからの立ち退きで、実際に住み始めたのは8月1日、引っ越したのは7月8日。七夕の夜に徹夜してなんとか荷物を纏めた。悲しみと怒りでいっぱいの、ロマンチックの欠片もない夜だった。  引っ越しをきっかけに、自分を苦しめていたさまざまなものを叩きつけるように捨ててきた。中には今でも尾を引いていて対応に時間を割いているものや、幼いころから心に影を落としていて完全にふっきれることはたぶん一生な

          音楽をアップデート

           私の暮らしには音楽という成分が圧倒的に欠けていた。  諸悪の根源は変わり者で偏屈な父である。父の父である祖父は家に芸者を呼んで遊ぶような粋人であった。音楽や芸能を楽しむ暮らしで、伯母は日本舞踊に熱心だった。しかし、少年時代からそういう家に反発していた父は、祖父とは真逆のタイプの大人になった。  そんな父だから、私の家には楽器もステレオもなかった。音楽番組は見せてもらえなかったし、コンサートや芝居はもちろんのこと、盆踊りに行くのさえ禁じられた。父にとっては音楽、ひいては芸

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          くりかえし

           自分の仕事や生活を犠牲にして病気の人の面倒を見たがる友人がいる。私はいつも「そんな苦しいところに飛び込まなくても、もっと楽しく過ごしたら?」と不思議に思っていた。けれど彼女が夫を亡くしたとき、思うように看病できなかったことがずっと心残りになっているのだと知ってからは、何も言えなくなった。時間を巻き戻してほんとうのやりなおしはできなくても、せめてもの癒やしになるのかもしれない。それでももし、目の前の人は死んだ夫ではない、過去は過去、これからは新しい人生を生きるのだと割り切れる

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