オバハン、痴漢に遭う

 痴漢に遭った。朝のラッシュアワーの新快速野洲行き、芦屋と尼崎の間でのことである。新快速というのは西から東方向でいうと姫路や上郡から神戸、大阪、京都を経て米原や敦賀に至る主要な駅を結ぶ快速列車だ。京都駅 - 大阪駅間28分という速さを誇る便利なものだが、朝夕はかなり混雑する。しかし私は五十過ぎたオバハンである。痴漢に遭うとは思わなかった。

 女性の皆さんには同意してもらえると思うが、派手なファッションに身を包んでいるときは痴漢に遭わない。痴漢は地味で大人しく、反撃しなさそうな女性を狙うのである。

 私はよくお太鼓ではなく半幅でかさを低く結んだ帯で着物を着て、少々の混雑でも電車で移動しているのだが、着物のとき痴漢に遭ったことは一度もない。どんなに地味なものでも着物は目立つからだと思う。

 洋服しか着なかったころは人並みに痴漢に遭っていたけれど、数年前から遭わなくなった。そのころ心境の変化があってカラフルで目立つ洋服を躊躇なく着るようになり、色だけではなく着物ではできないお洒落を楽しもうと、胸元が深く開いていたり、ウエストを絞って強調したり、膝丈で足を出したりするものを選ぶようになったのだ。

 着物やこういう派手な洋服を着て外出しているときは、痴漢だけでなく、男性からぶつかられたり舌打ちされたりといった不快な思いをさせられることがなくなったのである。それはもう見事なほどだ。

 しかしその日私は仕事の関係で地味な格好をしていた。ユニクロの白いシャツに膝下丈の黒っぽいスカート、アクセサリーも着けず化粧も控えめのダサイ教師ファッションだった。こういう格好が狙われるのだ。露出度の高い格好をしているから痴漢に遭うのだという人は認識を改めてほしい。

 身動きできない車両でお尻や胸に男性の手が当たっている状態になっているということはこれまであった。そのうちのいくつかは痴漢なのかも知れないけれど、私は基本的に性善説で生きている。今回はその状態が長く続いたあと痴漢としかいえない触り方をされた。いまこう書くだけで吐き気がする。

 五十過ぎたオバハンなのに、恐怖で動けなかった。しばらくして勇気を振り絞って、ぎゅうぎゅう詰めの状態から身体の向きをなんとか変えた。悔しい。「この人痴漢です!」と叫ぶべきか。叫んだら周りの人は協力してくれるだろうか。いや、私は五十過ぎたオバハンである。「誰がアンタみたいなオバハンを触るか!」と言われたら、側にいる会社員風の若い男性たち、痴漢といえば冤罪の話題になる彼らは「せやな」「せやな」と私に馬鹿にした目を向けるのではないか。そうに違いない……。

 誰も力になってくれないのなら自分でコイツに制裁を加えるしかない。私は日傘の把手を握りしめた。コイツがホームに降りたらまず脛に一発お見舞いする。ぐらついたところに面を数発お見舞いする。過剰防衛になると厄介だから突きは勘弁してやる――

 芦屋から尼崎の七分間、いろいろな考えが頭の中を駆け巡った。コイツをしばいたら騒ぎになるのは確実だ。そうすると授業は休講にせざるを得ない。講師が痴漢に遭ったから休講というのは前例があるのだろうか。五十過ぎたオバハンやろ、ちょっと触られたくらいで大袈裟なと思われるのではないだろうか。休講にしたとして、警察を呼んでもらったら自分が何をされたかを説明しなければならないだろう。そう思ったら強烈な気持ち悪さでクラクラした。

 最初からそういう向きだったのか私が動いたので自分も向きを変えたのか、痴漢は私に顔を見せなかった。私はその後頭部をありったけの憎悪を込めて睨んでいたが、ふとそのヘアスタイルがかなり珍しいものであるのに気付いた。なんとか鞄からiPhoneを取り出して、その後頭部をパシャパシャ写真に撮った。痴漢は自分が写真に撮られているのがわかるはずだ。この特徴的な後頭部をSNSで拡散してやるから覚えていろ。職場の同僚から好奇の視線を向けられ、妻から離婚を言い渡され、子供に軽蔑されるといい(子供はちょっと可哀想だが)。せいぜいビビれ、文句があればかかってこい。そのときは警察で吐き気を押さえて状況を説明しよう。

 なんとか平常心で仕事をし、帰宅した私は着ていたものすべてを洗濯し、鞄と日傘はアルコールで拭いた。ほんとうはみんな燃やしてしまいたい気分だがそういうわけにもいかない。オバハンになっても痴漢に遭うのである。オバハンになっても痴漢に遭うとダメージを喰らうのである。

ありがとうございます。