ジャーナリズムへの志を高く持て!

 マスコミやジャーナリズム志望の人のためになんぞと書くと、いかにもものものしくて、時代的だ。そもそもマスコミやジャーナリズムなど死語であろう。だがYouTubeや画像全盛の今こそ、実は文章力、校正力が問われている。公に発する際には一旦頭の中ででも文章にしてみるというのが、リスクのマネージメントだ。現にゴダイゴ(メンタリストらしい)の謝罪ではそれが決定的に欠けていたではないか。
 ここでは、私がどのようにそんなリテラシ―を身につけて行ったのかを概観することによって諸兄の参考になればとの思いから執筆することにする。

 小学校の4年だっただろうか。私は旧西ドイツのローラ・ボーというプロ・テニスのプレイヤーを突如綺麗だな!と思いこみ、スポーツ報知に当時の500円札を普通郵便にて送り付けて「ローラ・ボーのポスターを送ってください」と添えた。訴えは真剣だった。
 私はすっかりポスターが送り込まれると思っていたのだが、そんなことはなく、うちではポスターとかやってないんですよみたいな添え書きと一緒に500円札が、なんと現金書留封筒で返却されてきたのだ。これには本当にびっくりさせられた。
 自分のしたことが大間違いだったことよりも、新聞社はこんなにも丁寧な扱いをしてくれるのかが驚異だった。コスト的にも合わないだろうし、いちいちこんなことをさせられていたら死んでしまう。マスコミの優しさを痛感した。
 児童虐待が問題視される現代、「稲を掛けろ」とか「勉強してる暇があるなら田植えしろ」などの、国連からの批判を地で行く児童暴虐がまかり通っていたのが往時だ。私は報知新聞による人権擁護によってほかに生きる道もあるのではないのかと思った。
 私は新たな出会いと切っ掛けをつかんだのだった。

 次のエピソードを併記することで決定的な合わせ技となる。

 中学だったかなんだか忘れたけれども、あれは遠足のバスの車内だった。ローラ某と同様、性に目覚めつつあった我々が、南沙織の「17歳」だの野口五郎の「オレンジの雨」だの麻丘めぐみの「わたしの彼は左きき」だのを順番にマイクで歌う中で、そうしたエロづいている様が滑稽であると我々のことを逆に批評し、「これから落語をやります」と言い放った奴がいた。客観的に見て本当は、ただ青いがために気持ちの悪いそれまでの空気が、一瞬で遮断されたのは勿論だ。そいつは普段から無視されて当然のわけのわからないアスペル直行の不思議ちゃんだったから皆は警戒したものの、無駄。
 古典だと当人が言い放って始まった。現在調べてみてもそんな古典はないと思う。いや、突然古典落語をやられたところで萎えるだけだ。早く終わってくれと祈るだけだった。無かったことにしようとの気配が充満していた。しかし落語は始まった。誰も聞いていなかった。 
 それでも私はそいつの話はよく覚えている。
 こういう話だったと思う。
 題名「牡蠣酢」。夜中に喉が渇いたか、腹が空いたかなんかで、「おう、ちょうどいいものがあるじゃないか」と熊さんだかがそれを食して「いい牡蠣酢」だと言う。それを聞いていた同宿の寝床の人間がしばらくして言う。
「あたしのタンツボが空っぽになってるのは、あんたがやってくれたのかい?」

 それでなくてもバスで酔っている人間がいる。そこへタンツボをススル描写の確かなこと。一瞬で全員の血の気を引かせ、エロ初心者全員の心証を反省に変更した。バスは忘れる努力に忙殺されたが、もうそれはどうにもならない道だった。その後の小エロを復活させんとする試みはことごとくが虚しくかき消されて、吉田拓郎の「人間なんて」だけがかろうじて場を繋いでいるのみだった。
 つまりは一人の勇気ある批評によって、場を一瞬で凍り付かせる事が出来たということなのだ。

 この二つの出来事によって私は、文筆に関わる仕事がしたい!と猛烈に決めたのだった。

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