私たちはちょうど始まったばかり(2)

オムハヤシ


 ほんとうに遭難してしまうのを避けるために、侑二は進んでみては戻り、また別の道を選んでは戻り、を繰り返していた。
 こうなることは全く予想ができていた。だから待ち合わせまで二十分も早くその周辺にきていたのに。けれど、こうなってしまってはその余裕は一切感じられない。
 侑二が軽度(と自分では固く信じている)の方向音痴だということを、透子は忘れてしまったのだろうか。あったとしてもほんのちょっとした差でしかないのに、どうしてそこまで「カフェ」にこだわるのだろう。駅前なんて分かり易くていいのに。
 いい加減音を上げたくなった侑二は、スマホを開いて透子に助けを乞おうとすると、聞き慣れた、というよりは耳が歓迎している声がした。
「侑二君」
 聞こえた方へ首から向けると、会えて嬉しい、というよりは困惑の表情を浮かべていた。けれどそんなことより侑二は自分がもうすぐゴールに近かったことを悟り、安堵で声が出なかった。
「どうしてここにいるの」
「どうしてって」
 透子が指定したんじゃないか、と言うも、その言葉から攻撃性をなくそうとしたせいで語気が弱くなってしまった。
「ばか」
 そう言うと、透子は下を向いてくつくつと静かに笑いだした。
 侑二はその問いの意味と、どうして透子は笑っているのかが分からず、戸惑うことしかできなかった。
「侑二君の大学から来たのだとしたら、こちら側に来すぎよ」
 つまり、侑二が道に迷っていたことが透子にバレてしまったということだが、これを侑二がきちんと理解したのは、「さあ行きましょう」と透子に連れられ、来た道を戻ってしばらく経ってのことだった。
 侑二と透子では、お金の使い道が全然違った。そもそも侑二は、お金が入る前からその先を決めていた。言ってしまえば内向的で、急に用事ができるのも、急にお金が必要になるのも嫌った。
 対して透子は全く外交的だった。急なことは嫌がるどころかむしろ歓迎して楽しんでいるように見える。そんななかで「カフェ巡り」もその使い道の一つだった。侑二にとって透子の一番理解できないところは、ひょっとするとこれかもしれない。
 小ぢんまりとしていてまるで透子好みなここは、茶色がベースとされていて心なしか木のにおいがした。
 一番奥の席に案内されて、ゆっくりと腰を下ろすが早いか、
「ここはオムハヤシが絶品なの」
 と透子は嬉々として教えてくれた。そう、と返しながら、こう雰囲気のあるカフェに耐性の薄い侑二は、注文がそれで決まったも同然だった。
 ずいぶん悩ましげな表情を透子はしていたが、決めるのにはそう時間をかけなかった。よほど楽しみなメニューなのか、珍しくそわそわしている透子を横目に、侑二は手を挙げた。
 すぐにウェイトレスがやってきて、侑二は透子に手を差し出した。五種のきのこクリームパスタ、と注文していた。そう聞くと、侑二はオムハヤシよりもそっちを食べたいような気がしてきた。
 食後のドリンクまで確認し終えて、ウェイトレスは元の位置へと戻っていった。今更ながら、侑二は椅子のサイズに窮屈さを感じ始めた。
「ここは何度目なの」
 もしかするとほんとうに気まぐれかもしれないけれど、侑二は透子が今日誘ってきた理由を早く知りたくて仕方がなかった。とはいえ単刀直入に訊ねることは、侑二の性格上できるはずもなかった。
「そうね、三度目くらいかしら」
 透子はそう言って口で笑みをつくった。もう目論見がバレているのかもしれない。
 ここは遠回し戦法を断念するしかないのか、と思いつつも切り口を見いだせずにいると、
「ねえ、人ってほんとうに死ぬと思う?」
 と、さながら愉快犯の口ぶりで、それでも侑二と透子の間にあった空気は保ったまま、新しい話を持ち出した。とういうときの透子に、話題の否定なんか通じないことは既に学習済みだ。
「そう言われてみれば確かに、実感したことはないね」
 そうでしょ、とこの返事を待っていたかのように透子はうなずいた。
「私なんて、親族で近しい人ですら誰も死んでいないのよ。実はファンタジーでした、なんて言われても信じてしまうかもしれない」
 やっぱり怖ろしい人だな、と少し引いて見ながらも、言われてみれば……なんてつられている自分には閉口してしまう。
「お待たせいたしました」
 いっぺんに二人分の皿を持ってウェイトレスがやってきた。熱弁を遮られて機嫌を損なったか、と透子の表情を確認する。
「やっぱりいい匂いね。冷めるとすぐに固まってしまうから早く開いた方がいいわよ、それ」
 透子はそれどころかより上機嫌になったみたいだった。そうだね、とテーブルの中央に置かれた大きいステンレス製のスプーンを一つ手に取り、オムハヤシに線を引く。それは自然と全体に広がっていき、それを見ると侑二は何だか卵に悪いことをしてしまった気になった。
 いつものことながら、透子は黙って食事をする。いわく会話を楽しむのと食べる楽しみは別物、らしい。食べている間なんてたったの一度も目が合わないくらいだ。
 猫舌のせいで苦戦しながらも、しっかり全てを腹に収め込んだ。透子の皿を見ると、もうすっかり空だった。
「透子のおすすめは外れがないね」
 そう言うと、透子は分かり易く嬉しがった。こういうところをもっと見せれば、人付き合いも変わっていきそうなのに。
 はっとしたように、透子は下を向いた。そろそろ出る頃合いかな、と侑二はテーブルの真ん中よりも少しだけ自分寄りに置かれた伝票へと手を伸ばす。
 ねえ、と透子はまだ下を向いたまま声を発した。
「ねえ、今度侑二君の家に行きたい」
 そう言いきると、透子は顔を上げた。甘えるような声でも、ただ好奇心に駆られただけのようにも見えなかった。
「畳でよければ」
 侑二は、自然な不自然さ、をもって言った。私がこう言ってくるなんて思いもよらなかったんだろう。
「タイルよりはいいわ」
 透子はちょっとからかうようにそう返して、取られかけていた伝票をさっとつかんだ。

今まで一度も頂いたことがありません。それほどのものではないということでしょう。それだけに、パイオニアというのは偉大です。