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王立プノンペン大学大学院への入り方はこんなんでした

わたしは今、王立プノンペン大学大学院のMaster of Development Studies のSemester 3、2年目におります。ぬるい湯豆腐のような1年目の自分への若干の失望と、修士論文のとげとげとした圧迫感にひじょうに焦っているところです。2年目に入ってからの2か月は、自分のカンボジアライフ史上に残るふんばりを残せたと感じながらも、入るまでそこそこ努力したじゃないかーという初心に帰り、入学までの手続きについて書きとどめておこうと思います。誰に役立つかはわかりませんけど。

どこの大学院にいくか

あえてカンボジアで開発学を学ぼうと思ったことについては、「開発学を、開発される側の国で学ぶことの意義」で書きました。大学院情報がインターネットでも出てこないので、仕事でお世話になっていた起業家育成の大学教授(畑違いですが)に相談したところ、王立プノンペン大学の大学院がいいと。さっそく、仕事でお世話になっていたカンボジア人の同僚に、事務局に電話してもらいアポイントをとりました(ここまで他力)。まずはどんなところでどんなことが学べるのか話を聞きに行こうという手はずです。

いきなり学部長かよ

アポイント当日、例の同僚が一緒に行ってくれることになりアパートまで迎えに来てくれました(まだ他力)。運の悪いことに、前日にひどい風邪をひいてしまい、わたし”声を失って”おったのです。声がでないという人生で初めてのことが、こんな大事な日に起こるなんて。しかも、行ってみたら、面談の相手は、学部長と来たもんだ。第一印象最悪です。「声の出ない日本人」。
話しはわりと気楽なもんで、「そのうちホームーページで必要な書類の情報を掲載するから見るといいよ」「早めに試験内容知りたかったら、過去問送るよ」の2点でした。しめに、日本人だけど大丈夫か? と聞くと、「授業は英語だから、英語話せる? それなら大丈夫だよ」のプラス1点。声を失った私が話せた英語といえば、かすれ声での”YES”のみでしたけど。

必要書類は単純、でもリサーチプランの提出が必須

そのうちがやってきて、ホームページに掲載されていた必要書類は、願書・大学卒業証明書・上司等からの推薦状・(外国人は)パスポートコピー・試験料20ドル、と単純なもの。推薦状は恐れ多くも当時勤めていたNGOの現地代表(元大使)に書いていただきまして、証明書は恐れおののきながら一時帰国の際20年も前の卒業を証明していただきました。
ただし、一苦労するのが、願書に添付するリサーチプランです。大学院でどんなテーマをどのようにリサーチするかというプロポーザルを入試の時点で出さなければなりません。これは開発についてある程度知識がないと難しいかと思いました。わたしは、今考えれば幼稚で恥ずかしいですが、NGO時代のプロジェクトテーマをそのまま書きました。

過去問対策はIELTSで

学部長からいただいた過去問(後日ホームページにも掲載されましたが)を見て、ちょっと消沈したわたしです。英語をしゃべるのは東南アジア人ぶりのハッタリでどうにかべらべらベラベラするものの、読解が苦手なのもので。英語が得意な同僚に過去問を見せて、対策案を講じてもらいました(そしてまた他力)。どうやら、IELTSの勉強をしたらいいと。
勉強をはじめたのが、2018年8月後半、試験が同年12月15日、3か月半くらい、アルコールを減らして仕事後と土日は図書館の自習室にこもって、ひたすらIELTSの問題集を解きまくりました。浪人時代の受験勉強以来の学習意欲の40代です。

手のひら流血騒ぎ

試験当日事件が起こりました。泊めてもらったカンボジア人の友人宅の門を力任せに閉めるとき、かんぬきの鉄の棒(直径5ミリくらい)を自分の左手のひらにぶっ挿してしまい、流血。ひぇーーー、と青くなりながら、試験に行くしかないので、左手を心臓より上にあげて、そのしぐさにTukTukが何台もわたしの前で止まりましたが、無視して近所の薬局で消毒と絆創膏を買っいました。本当に止めたTukTukに乗って目的地の大学へ。
血がたくさんでるので、自分の右手で左手を固く握手しながら行きまして。遅刻することなくなんとか固い握手の日本人が到着。教室を見渡すと異国人が2,3人いるものの日本人はわたしひとりのようでした。

試験は3時間、英語の読解とエッセイを書きまくる、青ペンで

試験はみっちり3時間。英文読解が90分、エッセイが90分。鉛筆を持って行ったのに、試験は青ペン1本、以上! という潔さよ。修正? はぁ~? って感じでした。ので、考えて考えて、紙に書くという疲労感満載の試験で。しかも、左手からは3時間ずっと流血騒ぎ。血染めの回答用紙だったんじゃないかと……。

発表はずれずれにズレて入学も1か月ズレた

王立大学は教育省に属しておりまして、教育省は政府の機関でありまして。2018年は5年に1度の国政選挙の年。その影響でいろいろズレて、合格発表が予定より2週間遅れて2019年1月18日にメールが来ました。「Master of Development Studiesの14期生としてお迎えします。2月9日にオリエンテーションがあるから来てね」と例の学部長から。じつは、この時、あいにくインフルエンザにかかって病床におり、ふとんごと飛びあがってよろこびました。2月8日の便でカンボジアに飛ぶことにしして、合格の連絡が来てから、2週間ちょっとで、アパートをすっからかんにしたり、住民票を抜くとか、日本を出るすべての準備をしたワケです。

合格のポイント、まとめ

試験は正直、ギリギリで通過したのではないかと思います。というくらいわたしには難しかった。”書けば誰でも受かる説”もあるのですが、1期後輩は試験の不合格者多数で15人しか入学できなかったと聞きましたので、あながちそうでもなさそうです。試験で書くエッセイも開発に関するテーマを選び、解決方法を記入するいうものだったし、願書のプロポーザルもクオリティが求められたようなので、試験を受ける前に、ある程度開発についての知識をつけておくことが重要だと思います。
ちなみにわたしは、サルでもわかりそうなものから(サルよバカにしてごめん)専門的なものまで、数冊、開発学についての本を試験までの間に読みました。エッセイを書くのにとても役立ちましたし、なにせわたしの大学の専門は、日本史なもので(畑大違い)。
願書に添えられた推薦状がすごく偉い人だったので無視できなかったとか、解答用紙が血みどろでかわいそうだったとか、そういう下駄がもしかしてはかされたのでは? と言われたら、完全に無視はできませんけどね。


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