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② はじめて母親に「NO」といったあの頃のわたしへ

今日はあの頃に遡ろう。
小学生の時、はじめて母親に自分の意思を持って「NO」と言ったあの頃。

自分の意思を持って、とあえて書いたのは
反抗期だったり、感情的だったりとした「勢い」ではなかった出来事で

自分の意思を思ったことを、自分で決断して言葉にした
今となってはとても尊い記憶だから

あの頃のわたしにお手紙を書いてみたい。


あの頃に遡る。

わたしはとても家庭環境に恵まれて生きてきた。
家族に愛されていない、と感じたことは本当にないし、わかりやすく私たちの中でそう感じられる「愛情」を言動で示されてきた。周りの人からは仲が良い家族だねえと言われ、「自立」をポリシーとした幼馴染の家族からは呆れた顔で距離感が近いねえと言われることも多々あった。(当時はそれが当たり前なので言われてもポカンとしていたのだが)

例えば幼馴染家族は、両親が2人で海外旅行に行きたいとき、子どもたちは祖父母のもとで自由に過ごす。私たち家族は「旅行に行くときはみんなで一緒!誰か欠けるなんて!」という熱量だった。そういう違い。どちらも良い面があるよね。

もちろんきつく叱られて手を出されることもあったし、時折感情的な母親の感情を大きな声で浴びることもあった。父親からも何を言っているのかわからない言葉で怒鳴られることもあった(わたしはこのモノマネが得意だ。父親なりの威嚇行為だと思っている)でも、ものすごい恐怖心やトラウマや傷はそこにはさほどないような環境だった。
大きな声は少し苦手な大人になったけれど。

ただ、一つ言えるとしたら。
わたし自身は、小学生頃は「両親と学校の先生の言うことは全て正しい」と考えているような子どもだった。今思えば、なかなかの偏り具合である。

だからこそ、嫌だなと思うことがもしあったとしても「両親が言うことの方が良いのかもしれない」とか「お母さんたちならなんて言うだろう」と考えて行動していたり。

なんとも自分の軸というものが見えにくい時期だったのである。


拝啓、はじめて母親に「NO」といったあの頃のわたしへ

30代後半の今になっても、あの時のことをお母さんとお話するよ。
あの出来事は私たちにとって本当に、いい出来事だったよね、と。

わたしたちのお母さんは、プレゼントが大好きな人。
サプライズも大好きで、思わぬプレゼントがよくあった。

でも残念ながら「きっとますみは喜ぶだろう」と選んでくれたものが
ことごとく「わたしは好きじゃないなあ」ということがあった。いや今もだけど。

初めて「NO」と言ったのは、わたしの部屋の家具やイメージを
ほとんど母親の「よかれと思って」でコーディネートされたことがきっかけだったね。

一度は「お金をかけてくれたし」「見ようと思えば可愛い、、かもしれないし」と飲み込もうと思ったのはとても覚えている。
でも、自分の空間を「これが好きでしょう?」と決めつけられたようで不愉快だった。
そして、事実それは好きな空間ではなかった。(趣味が違う)

伝えたらきっと泣かれるし、責められるんだろうなと想像もできたしそれは間違わなかったんだけれど、とてもとても勇気を出してつたようとした事も強く覚えている。

あれは自分の意志で「決断した」という感触だったんじゃないかって今でも思っているよ。今となって思えば、わたしはあの時、好きな空間で過ごしたいって思った自分を守ろうとしたんじゃないかって。

そして何より、大好きなお母さんに 自分のことを知って欲しいなって気持ちだったんだなって。あの時のうまく言葉にできなかった気持ちをゆっくり噛み砕くと、こういうことだったんじゃないかなって、今では思えるの。

「お母さん、ごめん。わたしはあの家具もカーペットもカーテンも全部好きじゃない」

と伝えた後はもう大惨事だったよねえ。
想像通りに喧嘩になったし泣かれたし、「お母さんはますみを思ってしたのに!ひどい子!」と言われたよね。お母さん視点ならそうなるだろうなあってのも今ではわかる。

ただ、プレゼントする前に
リサーチするとか、お金の使い所を相談するとか
むしろ一緒に考えるとか
「喜ばせたい」という気持ちの叶え方が他にあったかもしれないし
そこに、お互いフィットする選択肢があったかもしれない。

そういうお互いの歩みよりや、対話の積み重ねが当時はなかっただけ。

そして何よりわたし自身も「お母さんたちは正しい、間違ってない」と思っていたからって、あまりにも自分の自己紹介を積み重ねてこなかった、ということも大きい。

そこからわたしとお母さんの度重なるハプニングごとの「すり合わせ」という
喧嘩や言い合いや、本当に良い話し合いや、フィードバックが定期的に行われるようになった。

本当にこれは長い時間をかけてのコミュニケーションになっているんだよ。今も。

これってね
「好きなように愛したいし受け取ってほしいし喜んでほしい!届け!わたしの愛!」
というお母さんと

「いやありがたいし、わたしも好きだけど、受け取るためにわたしが受け取りやすい形にしてくれへん!?後、受け取りたい時に受け取らせて」
というわたしのやりとりなんだな。

受け渡しの方法についてのコミュニケーションをずっと積み重ねている。
(現に、こう言っておいてこの母にしてわたしなので、プライベートでは母と同じような失敗を体験する羽目になっているのである。だからお母さん側の体験をして感じることもたくさんあったよ。大きな勉強でありテーマなのである)

仲が良いから、家族だから、長い時間を過ごしているから

そんな理由だけで、本当に相手を知れるだなんて
生きている間、永遠にないものだと 今のわたしは考えているの。

人は変わっていくし、その瞬間だけ「そう」な人もいる

大きく「平均値」は変わらないとしても 自他ともに何かは変化している

だからいつだってお互い気持ちよく過ごしていくために
距離が近い人とほど、長い目で見て
「今のわたしはこう感じているんだよ」と伝え合う(紹介をしあう)ことが大切だなって実感してる。タイミングを見たり、時には触れないことも含めて。

そして最終的には「伝える(自己紹介をしてみる)」という
アクションの勇気が必要だったりする。

その都度正解がないからこそ、創意工夫が問われるのだけど
欠かせないのはアクションだったりする。

何もせずに伝える、伝わることは それだけはきっとないから。
目に見えないものにどれだけアンテナがはれても
「感じた」という自分の感覚だけは一方的な事実でも、
それだけでは本当ではないのだから。
(自分も含めて人によって「受け取ること」や「感じる」ことさえにも癖があるしね)

そのことを知れたのは、あの時 勇気を出して言葉にしたあなたのおかげ。

機会を作ってくれた「NO」を言ってみてくれた、あの時のあなたのおかげ。
ありがとう、頑張ってくれて。

そこから母とわたしはまだ、いまだにだけど
何度も何度も 今の私たちの自己紹介をしあっている。
あの時みたいに喧嘩することはもうなく、とても良い時間を過ごせるようになってるよ。お互いに無駄に悩んだり、傷つけることもないんだよ!
あの時のあなたからしたらすごいことだよね。

だから安心してね。

あなたの知らない「お母さん」をこれからたくさん知っていける時間がやってくるから。そう、「両親がずっと正しいってわけじゃないんだな!」ていう発見とかね。


はからずしも母の日を前に。震えながら声に出した、あの時のわたしへ。

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