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逝ってしまった君へ

君が突然、自ら逝ってしまってから、1年と数ヶ月が経ちました。

とにかくまったく理解ができず、常に君のことばかり考えていた最初の数ヶ月、悲しみが少しずつ薄れて、その、薄れていくという事実を怖いと思ったそれからの日々。1年以上経った今、私はどこにいるんだろう。自分でもよく分からず、うまく説明できません。

君とはじめて会ったとき、私は18歳でした。君は、ハッとするほど賢く、私が知る限りもっとも器用で、あらゆることができました。独学で次々と言語を習得し、いろんな国に友達を作り、世界中を飛び回っていました(おかげで日本語しか話せない私は、君の友達に訃報を知らせるのに、本当に苦労したよ!)。楽器を弾きこなし、スポーツに熱中し、君のことを語るときは誰もが「とにかく頭がいい」「なんでもできる」と言いました。そのことが君には重荷だったのかもと思うと、やりきれません。だって、君の本当に素晴らしいところは、全然そんなところじゃなかったのに。

君の死に立ち会って、気づいたことがあります。それは、人が誰かを褒めるとき、「褒めやすい部分」と「褒めづらい部分」があるということ。

例えば、学歴、容姿、仕事の功績や結果なんかは、「褒めやすい部分」。そういう部分を褒めるときの定型文が世の中にはあふれていて、それを借りてくれば、誰でもイージーに「すごいよね」と相手に伝えることができます。

対して、人間性や、性質、性格は「褒めづらい部分」。普段より一歩も二歩も踏み込んで話すことになるし、これといった定型文がないので、自分の言葉で説明しなくてはいけません。告白かよ、ってくらいの照れくささだし、時間だってかかるし、伝わらないリスクもある。だからつい私たちは「褒めやすい部分」ばかりを、相手に伝えてしまうのかもしれません。本当に認めてほしいのは、「褒めづらい部分」の方であるにも関わらず。

君が逝ってしまって、君が遺したメモや日記を、私は手に入るだけすべてもらってきました。それを読んで、「褒めやすい部分」ばかりを称賛され続けた、君のプレッシャーを知りました。バカだな、ちがうのに。私が君と友達なのは、君が有能だからじゃないのに。君が鬱に悩んで毎日布団の中にいたって、仕事をやめて無職になったって、泣き言ばかり言ったって、君がもともと持っている素晴らしさは絶対消えたりしないのに。もっとちゃんと、そのことを伝えればよかった。私の言葉なんかで変わる決意じゃなかったかも知れないけど、それでも、照れずに君に言えばよかったと、今も思い続けています。

最期の手紙に、私宛のメッセージを書いてくれたこと、ありがとう。君は知らないだろうけど、有志で企画された君のお別れ会には、90人近い友達が集まりました。それだけ多くの人に愛された君を、私はいつも眩しく感じていたので、たった数人に宛てた個別のメッセージの中に私への言葉があったのは、変な言い方になっちゃうけど、やっぱり嬉しかったのです。お母さまやお姉さまを手伝って、遺品整理もしました。君が遺したものを容赦なくゴミ捨て場に運んだのは、私です。やってみて分かったけど、遺品整理って体力勝負だったよ。私は形見に、君が愛用してたファイヤーキングのマグを、もらってきたよ。

鍵を見つけて君のポストを開けたとき、大量に溜まっていたチラシやら郵便物やらの中に、ふたつ、忘れられないものがありました。

ひとつは、君がAmazonで注文した、鬱と闘うための本。君が亡くなったあとに配送されていました。

もうひとつは、君のお母さまが、君宛に書いた手紙です。お正月に帰省した君が、どうにも調子が悪そうで、しかも一人暮らしのマンションに戻ってからはちっとも連絡がつかない。80代のお母さまは、実家から何度も君のマンションへ足を運び、チャイムを鳴らしたそうです。それでも応答がないので、お母さまは君に手紙を書いたのです。封筒は、ぶ厚く膨らんでいました。

「ああ、あの子、これを読まないで逝ってしまったのねえ」

そうつぶやいて、封が開いていない手紙をゴミ袋に入れたお母さまの表情を、私は今も、何度も思い出してしまいます。大切な人に、あんな顔をさせてはいけない。私は、あのとき一番強く、君がした選択を心の中で責めました。

君の部屋には、何枚かの絵や写真が飾られていましたね。お姉さまと二人で「あの子がこういうのに興味あるなんて、ちょっと意外」と話していたら、一緒に遺品整理していた人が「それ、私が撮った写真なんです」と教えてくれました。もう何年も前に、個展を開いたら、君がひょいと見に来て、写真を一枚買ってくれた。「私自身は、その後写真はやめてしまったんですけど。額に入れて、ずっと飾ってくれてたんだ…」それは、まさに君らしさを象徴するようなエピソードで、その場では、「そういうことかあ、納得」なんて笑ったけれど、家に帰ってから、涙が止まらず困りました。そういう君がいなくなってしまって、私は今、とてもとても寂しいです。

君の目に私は、一体どんなふうに見えていましたか。メッセージには「ずっと元気で活躍してください」と書いてありましたね。君の死を通して、誤解を恐れずに言ってしまえば、私は強くなりました。最後に、そのことを書こうと思います。

私の仕事は声優。人気商売です。誰かに選ばれれば仕事があるし、誰にも選ばれなけば、その日の仕事はゼロ、収入もなし。君が言う「活躍」がどんな状態か分からないけど、私自身は自分のことを「活躍している」と思ったことは、仕事をはじめて20年間、正直一度もありません。私のまわりには、常に自分より選ばれている人がいて、忙しそうに現場を飛び回っている。対して私はと言えば、いつでもフル稼働、ってわけでは決してない。

そういう自分を、たまらなく不甲斐なく思うこともあります。自分自身に足りない部分ばかり数えて、他人を眩しく思うこともあります。もしも仕事がなくなってしまったら、今私の周りにいる人たちは全員、きっとどこかに行ってしまうだろう。そんな、足元が崩れ落ちそうな不安に苛まれることもあります。自分で自分がなんの価値もないものに思えて、恥ずかしく、情けなく、涙が出てしまったこともありました。

でも。君を失ってから私は、ギリギリのところでこう思えるようになりました。「いや、そんなことはないんだ」と。

君が遺したメモに書いてあったこと――今の仕事を失ったらなにもない、自分には友達がいない、この会社でしか働けない、周りの人たちが離れていく――という言葉は、私もいつも思うことで、だからこそそれを読んだとき、そうじゃないのに、と何度もなんども思いました。そんなこと、全然ないのに。そして君のよさは、そういうことではちっとも測れないのに。君が今生きてここにいたら、両肩をつかんででも伝えたい言葉、もっと早く言えたらよかったのにと胸をかきむしるほど強く思った言葉を、私は今、どうしようもなく気持ちが沈んだとき、自分自身に言うことにしています。

たったひとつのものさしで自分自身を測ることに、意味なんてないんだ、と。

言葉にすれば、それはどこにでもある、どこかで目にしたことがある表現になってしまいます。でも私は「君に伝えたかった」と強く思ったとき、生まれてはじめてこの言葉が、実感をともなって腹に落ちました。そしてそのことで、地に足をつけて、ともすると見失いそうだった自分自身を取り戻すことができました。私はそれを、君を失ったことで得た「強さ」だと思っています。


君が自ら逝ってしまって、1年と数ヶ月。


2月の君の誕生日に、お母さま、お姉さまと、友達4人で集まりました。君にお線香とお花をあげて、それからみんなで、ちょっといいホテルで、おいしいランチを食べました。お母さまは、お姉さまのとなりに座って、

「最初は、一日も早くお迎えが来てほしいって願ってたけど、最近やっと、この子が一人残されないように、少しでも長く見守りたいって思えるようになったの」

と話していました。君にそっくりのまなざしで、とても穏やかなお顔をされていました。お姉さまは、君の遺品のモンクレールのジャケットを愛用してるよ。なんだか不思議と似合っていました。

私も、君の死を取り込んで、消化して、どんなことがあったとしても野蛮なくらい力強く、この先にあるものを見に行こうと思ってます。

いつか再会したときは、そこらへんの話を聞いて。あ、あと、遺品整理が大変だった恨み言も。

言いたいことはたくさんあるけど、キリがないからこのへんで。

じゃあ、またね。

                              ますみ


追記

『逝ってしまった君へ』、小学館から出版されました。手に取っていただけたら嬉しいです。


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