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【青年海外協力隊ベトナム日記 2006〜08】 第14話 日本語の授業②

日本語の授業を始めて約10ヶ月経った。
今でも大学の一室で週に2回1時間半の授業が続いている。

前回の日本語の授業の話 ↓



始めの頃は珍しさもあって興味本位で参加している人も多かったが、やはり先輩隊員たちの予言通り次々と脱落していき参加人数10名程度まで減った。
しかしその中でも次第にレベルの差が明らかになってきている。
というのも毎回欠かさず参加する人もいれば、来たり来なかったりという人もいるのでやはり数回続けて休んでしまうと授業についていけなくなってしまう。
そうなるとやはり次第に足が遠のいていってしまう。

私も試行錯誤しながら時には授業を止めて日本の歌を歌ったり、日本文化の話をしたりなどと工夫しているのだが、一度遠のいてしまった人が戻ってくることはなかなか難しい。
そのような人たちにたまに町中で会ったときにまた授業に参加しないかと誘ってみるのだが、時間が無い、日本語は難しいなどと言われて断られてしまう。
確かに仕事等で時間の無い中それでもなんとか頑張って参加していた人がいたのも事実だ。
そういう事情も考慮しつつ授業の始めは復習に時間を割き、前回休んでしまった人にもわかるようにしたり、時には1回まるまる復習に時間を割いたりもした。
しかしそうすると今度は毎回欠かさず参加している人から不満の声が上がる。

だが毎回参加している人の中でも、ちょっと聞いただけですぐ応用ができる人もいれば、毎回わかったと言うのだが、いざ質問をしてみると初歩的な内容にすら答えられなかったりする人もいる。私もどこを基準にすればいいのか悩む時間が多くなってきた。

ベトナム人は小さい頃から優秀かそうでないかとレベル分けすることが多いと聞く。
おそらくそれに慣れてしまっているため、たとえ理解できていなかったとしても自分の口から「わからない」ということはあまりしない。
それはきっと自ら私は劣っていますと言うような屈辱的ことなのだろう。
しかしこのままでは授業自体の存続に関わってくる。

そもそもどのレベルの日本語まで教えればいいのだろうかと再び考える。
この田舎町で日本語を覚えたとしても実際にそれを使う機会はまず無い。
町の外へ出る機会もほとんど無い人たちにとって高度な会話術は必要無い。
かといって簡単な挨拶だけできるようになればいいのだろうか。
その程度だったら自分で本を読んで勉強したとしてもて覚えられるだろう。

そうこうしているうちに開始当初から参加していた人たちは、ついにほとんど来なくなってしまった。
けれど最近新しく参加しだした人たちが10数名。

ちょうどよい機会なのでこれを期に、もう一度新しくひらがなカタカナの書き方からやり直すことにした。
今回の参加者たちがどこまでもつかわからないが、前回の反省を踏まえてこちらもできることをもう一度最初から精一杯やってみようと思う。


次の日本語の授業の話 ↓


本編の続き ↓

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