治るのが怖いと思ってしまうのはまだ治っていないから 〜疾病利得と向き合う〜
怖い。
どうしてだろう。病気のせいで辛いんだから病気を治せばいいのに、辛さから逃れるには病気でいなきゃいけないと思ってしまう。
怖いんだ、どうしても。
疾病利得って何?
きっと本当に病気でいたいわけじゃない。病気によって得られるメリットのみを享受していたいだけ。それのメリットのことを疾病利得というらしい。
病気によるメリットは意外とたくさんある。
心配してもらえる、気を遣ってもらえる、休んでいることの免罪符になる。
病気になる前に他人に頼れなかった、甘えられなかった人ほどこの傾向は強くなると思います。
病気を治すことへの不安の正体
とはいえ風邪やインフルにかかってしまったが周りの人が心配してくれ、学校や仕事を気兼ねなく休める環境に一瞬「このままでいてぇ〜」と考えたことは誰しもあると思います。わたしもあります。
しかしそれは今の「治りたくない」とは明確に違う、そんな気がします。それは何故なのか。
わたしが考えた理由はこの2つです。
①時間が経ちすぎた
あまり記憶が確かではないのですが、病気になりたての頃は、治りたくないどころか1秒でも早く治したい、みんなに追いつきたいと思っていました。
それが時間が経ち元気でいられる時間が長くなるほど
このまま休んでいていいのかな……
怠けてるって思われないかな……
と心配になることが増えていきました。1.2週間程で治る風邪などとは違い、元気じゃない期間がとても長く続いたので、それを失うのが怖くなっていきました。
②「心配される」の度合いが違う
いつ治るのかわからない状況では、自分はもちろん周りの人たちも不安になります。しかしそこで普段以上の関心を患者に注いでしまうことは少し危険な側面もあるんです。
メンタルが不安定だと
優しくしてくれている人のために早く治したい!
から
優しくしてくれるのは自分が病気だからだ→病気じゃない自分には優しくする価値なんてないんだ
という考えになります。(わたしはなりました。)極端に見えますが、意外と共感って方も多いのではないでしょうか。根底に見捨てられ不安がある人はこういう思考になりやすい気がしています。
こうなってしまうと病気を治すことはとても怖くなりますよね。こんな考えに囚われてしまう人が1人でも少なくなればいいのに。本当につらいです。
③病気がアイデンティティになってしまう
①、②に通ずるかもしれませんが、病気が自分を構成する要素の大部分になりすぎてしまうんです。「自分」が無くなるような感覚。
治るのが怖いと思ってしまうのはまだ治っていないから
わたしへ。
治るのが怖いならその気持ちは持っていていいと思う。治療を拒んでしまうこともあるかもしれない。健康であることを後悔してしまうかもしれない。
でもそれは本当に「治りたくない」のかな?
病気というシェルターの中で生きていくのは安心するかもしれない。でもそれは健康という1番大切なものを自ら捨ててしまっているってことなんだよ。
元気になったらやりたいことを思い出して。食べたいもの、行きたい場所、思い出してみて。
きっと治るのが怖いと思ってしまうのはまだ治っていないから。病気を理由にしなくても休んでいていいんだよ。
解決策とかというよりただの思ったこと記録ですが、こんな人もいるんだなって思っていただけたら嬉しいです。
わたしの人生が、これを読んでくださったみなさんの人生が、より良い方向に行くことを信じています。
生きます。