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【制作後記】自分の作った曲の経緯や元ネタを解説してみる(そんなことしなくていいのに) 深夜放送 / 抹茶三号(feat.可不)

曲を作り、そのMVを作って投稿しました。

「深夜放送」という曲で、歌唱はCeVIO AIの可不ちゃん。
ボカコレ2023夏ルーキーにも参加しているので、もしよければ聴いてみてください。

今回はその曲の制作後記、という名の甚だしい蛇足をあえて書いてみます。

それも、長々と……。5000字あります。ふざけてんのか?


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夏の、きっかけについて。

2023年8月現在。生命の危機を感じるほど暑い日々が続いている。

「ボカコレ2023夏?……何とか間に合わせるためにやってみるか」と、「深夜放送」の制作に向けて本格的に動き出したのは7月下旬頃だった。なんと衝動的なスケジューリングだろうか。

普通であれば、0の状態から曲を作り、そのMVまで完成させるのを2週間弱で行うのは今の自分の感覚だと非常に困難なのだけれども、何とか間に合わせることが出来たのにはちょっとしたトリックがある。

実はこの曲は1年以上前に8割がた完成していたのである。

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冬のきっかけと、「深夜放送」のDNAについて。

「3月に大学のバンドサークルで卒業ライブがある!せっかくだし卒業制作でなんか作るぞ!」というこれまた衝動的な動機で曲の制作に取り掛かり始めたのが2022年の冬、2月。まあ、そのくらいのケツを叩いてくれる事象が無いと何も作れないんだなあ、これが。

曲制作にとりかかる前に、とりあえずLINEグループに集められたバンドメンバー。一度、状況を見渡してみる。

女性ボーカル、吹奏楽出身で丁寧な手癖のある後輩ドラマー、信頼できる同期のギタリスト、実力派の後輩ベーシスト、練習時間のとれなさそうな後輩キーボード担当、バンドサークル全体の雰囲気……。

どういう曲がいいのかを考えた結果、「相対性理論っぽい曲がいいんじゃないか」と考えた私の脳内には既に「スマトラ警備隊」が流れていた。

相対性理論。大学時代、「LOVEずっきゅん」「地獄先生」のギターをコピーする機会があり、そのバンドのDNA的な要素は自分のギタープレイに確実に影響を与えている。

が、正直に言ってコピーのため以外の、プライベートな場面で聴く機会はそんなになかった。

これは別に「相対性理論が好かん」とかではなく、単純に女性ボーカルの曲を自主的に聴かない傾向にある、という自分の不思議な特性によるものだった(意識的に嫌ったことは一度もなく、気づいたら男性ボーカルのアーティストばかり聴いているという感じ)。むしろ相対性理論に対する全体的な印象は良く、こういうバンドやってみたいよね、というミーハー的な感覚をずっと持っていたように思う。

そんなあまり聴くことのなかった相対性理論だが、「スマトラ警備隊」は印象に残っている曲の1つだった。一聴しただけで引き込まれるイントロ、シュールな歌詞、ジャケットの宇宙飛行士が象徴しているような浮遊感のある演奏がなんとまあ、真似したくなるというか、作るとしたらこれを意識したらいい感じになるんじゃないかという感覚があった。

そこからはあえて原曲を繰り返し聴かず、勘で作曲開始。前述したバンドメンバーが演奏しやすいよう意識しつつ曲を作るという、自分で言うのもなんだが「慈悲深い作曲」であったと思う。

上記のような経緯があったこともあり、完成品は「相対性理論っぽいか?」と言われると何とも言い難く、むしろ自分の色とか、独自の雰囲気をうまく出せたように思う。

なんなら当時、「相対性理論を意識したよ」とバンドメンバーに伝えたところ、ギター担当から「俺の考える相対性理論とは違うな」と言われたまであった。

でも、なんだかんだ相対性理論のDNAは「深夜放送」に組み込まれているように感じる。

(余談だけど、「俺の考える相対性理論とは違うな」って言葉だけ聞くとアインシュタインに挑戦する人みたいでかっこいいかも)

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冬から、2度目の夏に至るまで。

卒業ライブでのバンド演奏は、ボーカル担当の女の子から「音が高すぎます」とクレームが入る以外には問題なく(ほんまTちゃんごめん)、いい感じの演奏で本番は終了した。

友人や後輩に「オリジナル曲良かった」と色々言ってもらえたような気がする、が、正直全然覚えてない。この時点で、曲の完成度自体にはあんまり納得していない自分がいた。

具体的にはイントロや間奏、短期間での練習を考慮して簡略化したピアノパートにイマイチな印象を感じていて、またデモとして録音したギターもズレズレで下痢のような出来、いつか録りなおさないとこりゃあ死ぬに死ぬ切れませんなあなんてことを考えていたら就職、生きることに精いっぱいで埋もれ、そのまま死……となるところを転職でなんとか乗り切り、自分の時間を今までよりも確保できるようになって精神的な余裕を獲得、冒頭の再制作に着手するところに戻ってくるわけである。長かった~。

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曲の改善点について。

今回、ボカロ曲として作り直す際に変更した個所はいくつもあった。

大きなところで言うとまずは題名。
1年前にバンドで披露した際は「終幕の感傷」という題名をつけていたが、改めてみるとなんか仰々しすぎるというか、「終幕」というと「全部終わっちゃいました」的なニュアンスがやだなあ希望ないじゃんって感じで一旦再考することにした。

色々考えた末に「深夜放送」と名付けなおした。後々、MVの構想とうまくリンクする形になって、これは我ながら良いアイデアだったと思う。

イントロ。
それこそ「スマトラ警備隊」のようなやかましいイントロが本当はついていたのだけど、なんだかしっくりこなくて、MVの演出を効果的に見せるためにもバッサリ切り捨てた。

1:37~あたりから鳴ってるメロトロン。
これは「メロトロンの音をどこかで使いたい」という思いがあったから、バンドでやったときには何もなかった箇所にむりやりねじこんだ。
買った音源にメロトロンが収録されていることに気づいた時からずっと使いたい音だったし、2021年に観たキングクリムゾンの来日公演で「メロトロンの音やっぱり最高だな」感銘を受けたというのもあり。なんだかんだ根源的にはビートルズの影響もあるな。どういう感じでまとめるか試行錯誤した結果、結果的にいい感じのフレーズ・ソロが弾けたんじゃないかなと思う。

そのほか、ギターを録りなおしたりで相当クオリティが上がった。やっぱり、ちゃんと良いテイクをとるのがだいじ。

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MVについて。

アニメを作りたい、というのは1年前に曲が完成したころからなんとなくのイメージがあった。

灰色の部屋。窓が開いていてカーテンが揺れている横でカラーバーを表示しているアナログテレビ。コーラの瓶。ぼーっとそれを眺める少女……

結果的にこのイメージは、題目を「深夜放送」と名付けることによってより鮮明になった。

 本当はそういう一連のイメージを一本のアニメーションにしたかったけれど、ボカコレに出展するスケジュール感や自らの技術力の無さを理由に断念した。そもそも絵が得意なわけでもないのにアニメーションが作れるわけない。プログラミングできないのにゲームをいきなり作ろうとするやつと全く一緒。

それでも、アニメを作らないにしても何らかの動きはつけたいという思惑があった。これは過去作のリリックビデオを作る際の気づきで、1枚絵の動画はほんっっっっとうにつまらないという現実に気づかされたから。

そもそも現在のボカロ界隈は目がチカチカするほどのド派手な動画ばかりで、動きが無い動画なんて誰にも見てもらえない可能性が高いのである(何ならみんな映像しか見ていない)。曲のクオリティだけで見てもらえる時代はもう、終わっている(そういえばあんまり詳しくないんですが、一枚絵で超再生数を叩き出していたwowakaさんってすごすぎませんか?)。

どこまで表現するか・労力をどこまでかけるかという2点を天秤にかけ、結果的に落ち着いたのは、「1枚絵を3フレーム描いてそれをループ再生することで動きをつける」というものだった。

これは昔に流行った「ウゴツール」のイメージが元ネタとして、ある。


制作には主にiPadを使用したが、無料アプリの使い勝手が以上に悪く、「アニメーションを描けるアプリで1枚絵を描く→アプリの機能で出力すると扱いづらいので、iPadの画面キャプチャーを使用してアニメをmp4形式で取得する→それらを素材として動画編集ソフトでまとめあげる」というめんどくさい手法をとるしか方法がなく、数日間平日の睡眠時間を削りながら作り上げた。最終的には納得のいくアニメーションになったと感じる。ちゃんとしたツールをだれか教えてください。

それにしてもiPadを持っていて本当に良かった。持っていなかったらアニメ制作は絶対にあきらめていたように思う。

あと、身内で回しているTRPGのキャラ絵をたまに描いていた経験が活きて、普段絵を描かない割には可不ちゃんがかわいく描けたんじゃないかと思っている。そういうこともあって身内のTRPGサークルをスペシャルサンクスに入れさせてもらいました。無許可で。すんません。

こっから元ネタ解説。
MVの歌詞が基本的に句点で終っているのは、銀杏BOYZのBEACHというアルバムの歌詞カードを意識している。

アルバム自体の内容は「耳ぶっこわれるぐらいのノイズだらけに加工されたライブ音源」という超上級者向けの作品で、内容自体は「深夜放送」とあまり関係ないのだけれど、付属の歌詞カードに乗っている詞にいちいち句点がついている不思議な表記が採用されていて、その表現がこの曲に合ってる感じがしたのでMVでも真似してみた次第。こんなの元ネタ誰が分かるんだよ。

また、ハートと人の形をしたイラストはフジテレビが90年代に深夜に放送していた怖いアイキャッチを意識していたりする。

怖すぎ。

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曲や歌詞に込めた思いについて。

歌詞については、冬頃にたまたまプレイしていたFallout 3の影響がモロに出ているように思う(なんで今更そんな昔のゲームやってるの、とか言わない。名作なんだから)。
それに加えて、制作期間真っただ中の2022年の2月から始まったロシアによるウクライナ侵攻開始、というのも影響があったように感じる。ゲームの中でプレイしていた、核で荒廃した終末的なイメージが現実に迫ってきているじゃないか……?という感覚、これに焦燥を感じずにいられないわけがない。

でも、一方でそういったことばかり考えていても何も進まないし、どこかで受け入れる(=放っておく)しかない側面もあるよね、この状況は夢のようで実感もないし、万が一世界が終わってしまっても過ごした日々は確実に存在したよね、とか、云々……ぐるぐる考えてしまってどうしようもないようなこと、そういうことを主に盛り込んだ、つもり。こういうこともあって、私なりの(かな~り)捻くれた反戦歌の側面もあったりする(ちょっと消極的な感じではあるけど、大多数の人間はなすすべがないっていうのも事実ではあるので、そこは勘弁してください)。

結構イメージ重視で作詞してるので、実は個々の歌詞についてつながりはほとんど意識していない。でも、友人が「色々浮かぶ思考の事を「光」だったり「星」で表現してるのかな」なんてステキな考察をしてくれて、たぶん、それはひとつの答えなのかもしれない。

全体的に終末的なイメージ、そして2022年の2月がもたらした気候と情勢による空気の冷たさが、メランコリックな可不の歌声と相まって「深夜放送」に何か不思議な雰囲気を与えてくれたように思う。

おわりに。

長すぎ!!!!!!!!!!!!!!!!!!

いや~長くなるのはわかっていたけれど、ちょっとしゃべりすぎな感じもするかなあ。音楽家なら音楽で全部伝えろよっていう。
でも何となく今回は製作後記を書かずにいられない思いだったので書かせてもらいました。

冒頭で「生命の危機を感じるほど暑苦しい」と書いたけれども、戦争のことを考えたら「遠く離れた国では気象に関係なく生命の危機に晒されている人たちがたくさん暮らしているんだよなあ」、なんて考えたりして、まさに「深夜放送」でモチーフにした事象そのまんまになっちゃってるなあ。

クーラーの効いた部屋でくだらない曲を作って、絵を描いて、文章を打ち込んで…って本当、平和に感謝しなければならないですね。……



せんそうやめてーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!




「誰も信じられない!」
"正しさ" 相対的でしかないね

深夜放送 / 抹茶三号(feat.可不)より



2023年8月6日。
対人兵器として世界で初めて核が落とされた日の、78年後。

お互いの"正しさ"を主張しあう不毛な争いは、海の向こうで現在も続いている。

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