優しさと弱さを履き違えないために、優しさを再定義した。


優しい人を「心が満たされている人」だと定義しました。

満たされていない状態での優しさは、気配りではなく、気遣いです。

なんとなくですが、

気配りは、エネルギーをgive&takeする行為ですが、気遣いは、自らが我慢してエネルギーを消費しすり減らす行為です。

優しさを再定義することで、満たされてない状態で、他人に気を配る行為は全て優しさではなく弱さ(自己防衛)だと判断できます。

また、満たされてない自分に対して「優しいね」とラベリングされようとも、私の定義では「これは優しさではない」と判断できるので、自分を偽って優しい自分で居続けようとすることはなくなります。

また、「自分は優しい人なんだ」とセルフイメージを固定し続けることもなくなります。

優しさは性格特性ではなく、心の状態なので、人生を過ごす中のバイオリズムで変動してもおかしくないからです。

優しいのが自分なんだ。みたいに思うことはないです。

思うのであれば、「今の自分は愛情に満たされているな」とか、「人のあたたかさが好きだな」とか、「愛情が枯渇しているかも」とかです。

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