ここにいるのならやるしかない。


とりあえず偏見は捨てよう。

なんかね、職場がキレイではなかったり、働いている人の顔がよくなかったりすると、「ここで働くと精神衛生が悪くなりそう」って思うのね。

精神衛生がよくなさそうな人達の顔を見てるわけだから、そう思うのは無理もないんだけれど。

モノが散らかってたり、壁が汚れてたりしてるのを見たら、行動心理学てきな見方をしてしまうクセがあって。

つまるところ、

この環境に居るとこうなる。とまぁ、ほぼ決めつけてしまう感じになる。

環境が人を決めるっていう考えが強いんだと思う。

だから、悪い環境だって分かれば、「さぁ離れないと」って思うし「時間の無駄だ」なんて思う。

もっと良い環境に住んで、「安心」からくる自分の良さを引き出さないと。って思ったりする。

だから環境を選ぶことにコストを使おうねってはなし。

でもね、その行動心理学てきなモノの見方(捉え方)がやけに偏見まじりだなぁと最近思うわけ。

だってその理論でいくとね。

じゃあ、まだ交通整備がされてなかったり、綺麗な材質が使われていない建物が点在する「国」や「地域」や「時代」に住む人々は、みんな精神衛生が悪くて心が汚いんですか?っていう話になる。

スラム街のことを言うわけじゃないけど、まぁ多少の影響はあるにしても、人として関わりたくないなんて一線を引いちゃうのは、どうも生き方の根本を見つめ直してみるべきだとも思っちゃうんだよね。

実際に、インドへ行って人生観変わったという人もいれば、貧困国に訪れて価値観変わったという人もいれば、言葉が通じない村の人々と交流して学校を建てたなんて人もいるわけだし。

回りくどい言い方になったけど、結局、環境に責任を押し付けずにコミュニケーションをとってみようぜ。っていう単なる僕の決意表明です。

チャンスはあると思わないと掴めないし、ここで学べたはずのことを取りこぼしたくないからね。

あともう一つ。

このお仕事の環境をなかなか楽しめないのなら、「楽しんでやってみよう!」とは思わず、さっさとどっかの誰かさんと仲良くなってしまったほうが早いと思う。

こんなの学生時代の子どもの直感的な行動からすでに学んでると思うけど、新しく環境が変わったときまずは誰かと仲良くしようと動いてたよね。

そういうことだと思う。考えるより先に好奇心に任せた行動をとっていこうよ。

これまでの常識の枠の中で考えなくてもさ、自分が例外パターン第一号になっちゃえばいいんだからさ。

なんなら例外的にこの場所を楽しんでやろうぜ!というその意気でね。

ここでの振る舞いも僕の人生記に入るわけだから。

「あなた毎朝コーヒー飲むんでしょ。お駄賃あげるからこれで牛乳買ってきていいよ」ボタンはこちらから↓