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マタニティリープマガジン vol.25 金融業界マネージャー、自分を見つめ直し妊娠出産「子供がいるっていい、そういう社会がいい」3回目/全4回

みなさん、こんにちは。「マタニティを飛躍の機会に」。マタニティリープです。このマガジンでは毎週木曜日にメインコンテンツとして、マタニティ期、子育て期の経験とリープについて伺ったインタビュー記事を連載しています。今回は藤木日向子さん(仮名)のインタビューの3回目(全4回)になります。読んでいただいて、共感したり、元気になったり、癒されたりと、みなさんの力となる記事になれたら嬉しいです。


▪️マタニティリープインタビュー 藤木日向子さん

〜藤木日向子さん(仮名)のマタニティリープジャーニー〜(3回目/全4回)

現在、藤木日向子さんには3歳と1歳の2人の子供がいる。金融業界で働き、マネージャーとして、2回目の復職を果たして、今まさにマタニティリープの真っ只中にいる。男性優位の職場で奮闘していた日向子さんは突然の休職に見舞われます。しかしそのことが大きな転機となり、子供がいる人生に足を踏み入れることに、そこで日向子さんが感じたこととは。第3回目の今回は、二人の子供を産み、違う世界を知った日向子さん、旦那さんも一緒に変化していく過程を伺いました。

コロナ禍に出産、何も知らないまま始まった育児

ーー産休に入ったのはどんなタイミングで?
日向子 産休に入るまでずっと働いていました。一人目は、コロナで第一回目の緊急事態宣言がでた時が出産のタイミングでした。入院中も誰にも会えない。妊娠出産の不安もですが、コロナの不安もありました。大型の旅客船でコロナ感染が見つかったあたりです。

ーーお二人のご両親にサポートをお願いしましたか?
日向子 両親は近郊に住んでいましたが、サポートをお願いするような感じではありませんでした。でも本当に赤ちゃんのことを何も知らなくて、コロナでお母さんのための教室も全部休止されていたので、教わる機会もありませんでした。産んだ後に、母乳は三時間ごとにあげるんですよと言われた時にすごくびっくりしました。本当に何も知らないまま育児が始まっちゃった感じでした。

ーー職場の方では育児・出産する人は結構いらっしゃるのですか?
日向子 はい、結構多くて、産休育休を取る人もたくさんいます。そして、皆さんちゃんと復帰していたので、制度的な不安は全くなかったと思います。

ーー育休に入るときは、いつ復帰するとか、人事と話をされたりするんですか?
日向子 保育園が4月スタートの人が多いので、次の4月ぐらいに復帰ですかねという感じで話していました。保育園に入れなかったらというプレッシャーはすごくありました。蓋を開けてみたらコロナで保育園にあえて入れない人が多く、区が頑張って施設を増やしたりしていることもあって、待機児童はかなり減っていました。ただ、その頃は「(保育園に)入れない、入れない」と思っていたので、早く入れなきゃという感じでした。10ヶ月で保育園に入りましたが、今はもうちょっとゆっくり休んでもよかったかなとは思います。

これまでと違う世界に「本当に幸せだな」

ーー育休中はどうでした?
日向子 自分の今までと違う世界がたくさん見られて、すごく楽しかったです。区に児童館や広場といった0歳から就学前の子供が遊べる施設があり、おもちゃもいっぱいあって無料なんです。そこに毎日通って、そこで会ったママと色んなおしゃべりをして、育児のことを話したりしました。あと、そこで保育士の先生が童歌をやってくれるんですね。一緒に歌を歌ったり、お遊戯会をしたりして、本当に幸せだなって思いました。復職して仕事をしてみると全然時間の流れが違う。そういうのはすごく感じますね。そこでできたママのお友達とは今でも仲が良くて、たまに会ったりしています。今までと違うお友達もできたし世界が広がりました。子育てって本当に大変だなって思います。世の中のお母さんはすごいと思います。

私が出来ることって兄弟を作ってあげること

ーーお一人目で復帰されてお二人目までの間のことを聞かせてください。
復帰されてからお二人目妊娠するまでってどんな感じでしたか?

日向子 そうですね。一人目ができたのが39歳で、その間に40歳になっていたので、二人目はもう本当に早くしないといけないと思っていました。だから一応チャレンジするだけしようと思って、すぐまた同じ病院に通い出しました。育休があける直前ぐらいでした。通い出して、結局育休あけて、時短社員だったので病院はギリギリ五時に行くことができ、通院することができました。同じようにタイミング療法でレベルを上げずに二人目も妊娠できました。妊娠に関しては順調だったのかなと思います。

ーー旦那さんは二人目に関してはいかがでした?
日向子 夫は一人いるからもういいみたいな感じでした。私はなんでかわからないですけど、一人目はコロナで赤ちゃんのことが何もわからず育児をはじめて、母乳って最初頑張らないとだめなんだとか、後から知ったことが多かったので、もう一回学習したことをちゃんとやってみたいと思っていました。

ーーご自身もお二人兄弟でしたね。それも影響してますか?
日向子 やっぱり一人で人生を過ごすより、兄弟がいた方が人生豊かだろうなというのがありました。私が出来ることって兄弟を作ってあげることぐらいしかないかなと思い、チャレンジしてみたら順調に兄弟ができたという感じです。

お願いだから今日産まれないで

ーー出産は普通の分娩だったのですか?
日向子 出産する時すごく怖くて、一人目は無痛分娩だったのですが、二人目は切迫早産だったので無痛ができないと言われて、普通分娩でした。今は普通に産んで良かったと思っています。生まれてくるのがわかるというか、、、普通分娩は生まれる感覚がわかるんです。無痛分娩の時は、産んでる時も全然感覚がなくて、いきんでくださいとか言われてもいきみ方がわからなかったり、全然産まれた感じがしなかったです。

ーー二人目の時は?
日向子 切迫早産で、手術をして二週間入院しました。その後退院しましたが、仕事は休んで家にいました。手術をした後、普通の日常生活をしていいですよと医師に言われたので、ちょっと買い物に行き始めたり動き出したら、手術の2ヶ月後ぐらいに破水してしまいました。
それからまた三週間ぐらい入院しました。破水してしまったらすぐ生まれてしまう人もいるし、羊水が流れていても感染しない限りは大丈夫だと医師から言われました。それからは毎日祈ってました。お願いだから今日生まれないでくださいって。

ーー大きくなるまで、お腹の中にいて、、そういうことですよね。
日向子 そうです。できるだけ正期産(妊娠37週0日から妊娠41週6日までの出産)に近いところで産んであげたかったので。

いつ何が起きるかわからないからこそ日常がありがたい

ーー二回の異なった経験をされたんですね。
日向子 そうですね。本当にいつ何が起きるかわからないなと思いました。
入院した時、救急治療室にいたので、隣のベッドの人たちがすごく大変そうでした。いろんな声が聞こえてきて、本当に産むのって大変なんだなと思って。そんなに大変な思いをして産んでる人がたくさんいるんだなと思いました。

ーー入院したことで、いろんな出産を見たんですね。
日向子 そうですね。そんな経験をしたので、もう自分がいつ死んでもおかしくないし、そんな時ってこういうふうにくるのかな、急に体が動かなくなるとか、例えば事故に遭って手が動かなくなるというのは、急に訪れたりするんだなとか。そんなことまで考えたりしました。だからこそ日常がありがたいと思いました。

夫がなんでもできるように

ーー旦那さんの育児や家事といったことはどうですか?
日向子 結婚したときは本当にゴミ捨てと洗濯ぐらいしかやってくれなかったんですけど、もう何でもできるようになりました。コロナの影響で在宅になったこともあって、今では料理もお手のものです。

ーー協力体制は満足という感じですね。
日向子 私が切迫早産で急に入院してしまって、子供と二人にされて、子供の面倒を一人でみないといけなくなったので、私が病院から帰ってきたら全てできるようになっていました。(笑)それはすごく良かったです。

ーーいいですね。コロナもあけてきましたけど、お二人のご両親との関係性というのは何か変わったりしましたか?
日向子 そうですね。感謝の気持ちが出てきました。親の苦労もわかるようになりました。世の中のママがどんなに大変かわかるようになりました。出産というものを経験しているだけですごいなと思います。

<次回に続きます 3/27(木)発刊予定>


▪️編集後記

マタニティリープの本を今年出版するプロジェクトですが、第3稿が仕上がるタイミングにきました。マタニティリープの考え方や、体系、そしてマタニティリープを応援するワークなども盛りだくさんで、ご紹介できる日が楽しみです。イラストやデザインを担当してくださる方との打ち合わせも始まり、皆さんにそんな思いのこもった本やワークをご紹介したり、出版に向けた動きをご報告していきたいと思います。

Xやインスタ、Facebookでもその活動を配信していきますので、よかったらフォローやいいね!をしていただけたら嬉しいです。


<編集>
マタニティリープ合同会社
https://www.maternityleap.com/


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