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マタニティリープマガジン vol.18 あたりまえを超えていきたい「フリーランスの妊娠出産から別居婚、三世代同居へ」インタビュー3回目/全4回

みなさん、こんにちは。「マタニティを飛躍の機会に」。マタニティリープです。このマガジンでは毎週木曜日にメインコンテンツとして、マタニティ期、子育て期の経験とリープについて伺ったインタビュー記事を連載しています。今日お届けするのは、前回からスタートした藤本奈美さん(仮名)のインタビューの第3回目(全4回)です。読んでいただいて、共感したり、元気になったり、癒されたりと、みなさんの力となる記事になれたら嬉しいです。


▪️マタニティリープインタビュー 藤本奈美(仮名)さん

現在、奈美さんには3人の子供がいる。地方に暮らす旦那さんとは離れ、実家の両親、兄弟との三世代同居で暮らしています。家族のあり方や仕事の仕方、あたり前にとらわれず歩もうとする、奈美さんのマタニティリープの物語です。前回は、今回は結婚後に起きたさまざまな行き違い、想像を超えた出来事のお話でした。今回は、住む場所を変え、新たな家族の在り方を築いていった奈美さんのストーリーと、三人の子供を妊娠したの時に感じた思いを伺いました。

1回目のインタビューはこちら
2回目のインタビューはこちら

住民票が移せない、保育園に預けずに仕事を

ーーそれで、そこからだいぶ変わったんですね。親のもとに戻って。
藤本奈美(以下奈美) そうですね。みんな仕事で会社に行っていたので、私は普段は家にいました。住民票とか全部向こうだから。そうすると保育園とかも入れられないんですよね。なので、長男が三歳になるまでずっと私は家で仕事をしながら見ていました。私が運転できなかったから、家族が仕事に行く道すがら、駅に子どもと一緒に落っことしてもらって、電車でどこかに行くとか。いい思い出もいっぱいあります。息子とバスや電車に乗ったり、一緒にスタバに行ったり、波の出るプールや温泉にいくとか、そういうのはすごく楽しかったですね。ディズニーランドに子供と夫と三人で行ったりとかそうした写真は残っています。

ーー三年間は保育園に預けないで、仕事をしながら家にいたってことなのですね。
奈美 そうです。母が買い物をして帰ってきてくれて、そこまでは私は子どもと一緒で、家族がうちにいる時や子供が寝ている間に仕事するとか、ミーティングも子どもと一緒っていう。仕事仲間はみんな私に赤ちゃんがいるってわかっているので子供も一緒にオンライン。土日や夜に子供が一緒ではできない仕事をやっていました。

ーーその後、旦那さんとの関係っていうのは、どうなっていったのですか?
奈美 なかなかですね。もう一山あったのは、住民票問題です。子供の住民票を移すと、私と子供達は完全にこちらに住むことになる。それまでは、向こうにいながら、一時的にこっちにいる扱いになっていたけれど、それが住民票を移したりとかすると完全に別れるから、子供が夫の住む土地のところから離れていくみたいな。そういうふうな意識がたぶんあって、それやってしまったら、もうおしまいだなっていうように夫的には思っていたんです。私は、こちらで保育園入れたいからこっちに住民票を移したいといっていたのですが、夫がすごく渋っていて。一人目は住民票がないから保育園に入れなくて、3歳から幼稚園に入ったんです。

適度な距離で関係性に変化が

奈美 変わるきっかけになったのは2回目の妊娠です。圧力鍋みたいな夫の実家の環境の中から離れて、適度に離れた距離になって、夫は時々こっちで仕事があったから月に一回とか来る。それで、結果的に妊娠したんです。でも、生まれてくると思った2回目の妊娠は初期の流産になりました。検査薬で妊娠したのはわかっていましたが、初期の妊娠は染色体の異常があると流れちゃうんです。心音があって大きくなって流産したわけではないし、手術をする必要もないものでした。一人目は妊娠して普通に生まれてきたから、今回も生まれてくると思ったんですよね。だから、期待っていうか希望と夢を持っていたのが、流産しちゃったことですごくがっかりしました。それからまたちょっとして今の次男が生まれました。二人目が生まれると車の運転もしなきゃいけないし、仕事のこともあって、保育園に入れなきゃいけない。差し迫ったところで住民票を移すことにも繋がって、こっちがメインになるっていう既成事実になりました。

ーーこの期間の夫婦のやり取りとかはどんな感じだったのですか?

奈美 長男が一歳半の時に、アメリカに出張する機会があり、その時、こんな状態で行くのかというのもあったけれど、今しかないとも思いアメリカに行こうと決めました。その時もやっぱり夫婦の関係性が良いわけではないけれど、夫は夫の実家にいるから、夫に息子を預けることにしました。赤ちゃんを抱えて東京まで行って、羽田から夫の実家の最寄りの空港に行き、赤ちゃんを夫に手渡して、乗ってきた飛行機で東京に戻り、そこで夜仕事をしたあと、再び羽田の国際線アメリカ行きの飛行機に乗りました。そういう意味では、夫は私の仕事に関しては、キャリア的にどういう意味があるのかがわかるからそういう時には応援しようとはしてくれています。

ーーそういう時は、じゃあ預けにきて、みたいな感じになるっていう。

私がプランをして、これならできるだろうっていうギリギリなプランを遂行するっていうか。ほんと「子はかすがい」って言うけど、本当にかすがいでした。今もそうだなって思います。

夫婦で子育てやお金に関する考え方が違う

ーー子供に対して二人の考え方が合ってるとか違ってるとかありますか?。

奈美 結構違いますね。私は、結構リスクが見えるほうなんです。例えば、なんか出っ張りがある。これは危ないって思うじゃないですか。するとこれ、ちょっとしまっておこうとか。あと、これでそこからジャンプしたら確実にケガするなぁとか、そう思ったら手を出しに行くじゃないですか、実際怪我しちゃったら面倒を見るのは私だし、子どもが痛い思いをするのが嫌だし。一方で、夫は死ななきゃいいみたいな感じなのね。そういうのがすごい腹立つんですよ。あなたが見るんだったらいいけど、入院したら、私が結局ずっと一緒なんだよって、何も考えないでそう言うのやめてくれる?とか、ちゃんと見ててよとか。

お金についても、私は自分で自立して、お金を稼ぐのは当然だと思っていました。キャリアのこともあるし、心の安定性みたいなこともあると思う。私はフリーランスだったから、休業の手当も当時は全くそんな話はなかった。結局ギリギリまで仕事して、生まれて一ヶ月ぐらいしたらまた復活するみたいな感じ、3人の出産を通じてずっとそんなふうにやってきたんです。だから、家計も完全に二つに分けています。

妊娠がわかって「この仕事できないの?」「申し訳ない」忸怩たる思い

ーー子供に関してはたくさん欲しいという気持ちがあったのですか?。

奈美 うーん、全然なかったですね。たまたま四年ごとに子供が生まれたんですが、妊活もしてない。35歳で初産でしたけど。一人ぐらいは欲しいかなと思っていたんですが、一人目でこういう状況になっちゃったから、それ以上はないだろうなってなんとなく思っていたんです。でもなんとなく夫とのいい距離間の中で三人目まで生まれました。

ーー三人を育てる中で、子育てと仕事はどんな感じでしたか?

奈美 仕事のこともあって、かなり無理しながら毎日を回していたと思います。土曜や日曜にやらなきゃいけない仕事の時は、許認可外の街中にある施設に長男をちょっと預けて、近くのカフェで仕事に入るとかやったことはあります。でも、あまり子供のためにもよくないなと思って、幼稚園になるまでなんとかやりくりしていました。
妊娠に関しては、色々思うところがありました。二人目の妊娠の時には、自分にとって大切な大きな仕事の予定がすでに決まっていたのですが、妊娠が分かって、泣く泣く代わってもらったんです。そして、代わってもらった後、流産してしまいました。その後、また大きな仕事の話を進めたとき、次の子(次男)を妊娠したんです。するとまたひっくり返さなきゃいけない、「私妊娠しちゃいました」って。妊娠した時、働く母にとっては仕事への責任感から妊娠を喜べないみたいなことが起きたりします。「えーっ、この仕事できないの?」とか、「申し訳ない」とか。いろいろ忸怩たる思いを抱えたことが何度もありました。

ーーなんていうのでしょう。かなり想定できないいろんなことが起きますよね。

申し訳ないなっていう気持ちもあるし。
でも妊娠したら産まないっていう手はないですしね。またお断りしておきますが、子供達のことはそれぞれ大好きです。(笑)


<次回へ続く>



▪️マタニティリープ情報

「マタニティリープの本」出版に向けてのつれづれ

「マタニティリープの本」の出版に向けて動いています。
出版チームは4名、東京、神奈川、山梨、ベトナムと居住地が離れていて、実際に会うことはほとんどありません、オンラインで話し合い確認しあいながら進めています。大体の構成を決めた後は、とにかく書く、書く、書く、先月末には、第二稿まで辿り着きました。段々と全容が見え、さらには素晴らしいデザイナーの方との出会いもあり、これは素敵な本になるに違いない、そんな確信に近い感覚を持っています。いつもそばに置いておきたくなる、大切な人にプレゼントしたくなる、そんな本にしたいと思っています。どうぞご期待ください。


<編集>
マタニティリープ合同会社
https://www.maternityleap.com/


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