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マタニティリープマガジン vol.16 あたりまえを超えていきたい「フリーランスの妊娠出産から別居婚、三世代同居へ」インタビュー1回目/全4回

みなさん、こんにちは。「マタニティを飛躍の機会に」。マタニティリープです。このマガジンでは毎週木曜日にメインコンテンツとして、マタニティ期、子育て期の経験とリープについて伺ったインタビュー記事を連載しています。今回から新しく藤本奈美さん(仮名)のインタビュー(全4回)が始まります。読んでいただいて、共感したり、元気になったり、癒されたりと、みなさんの力となる記事になれたら嬉しいです。


▪️マタニティリープインタビュー 藤本奈美さん

〜藤本奈美さん(仮名)のマタニティリープジャーニー〜(1回目/全4回)

現在、奈美さんには3人の子供がいる。フリーランスで働き、親兄弟同居で子育てをするかたわら、地方に住む旦那さんとは別居婚を進行中。世の中の当たり前を超えていこうとする、奈美さんのマタニティリープの物語です。今回はそんな奈美さんの子供時代から結婚に至るまでのお話を伺いました。

親兄弟同居で子育て

ーー今の家族構成を聞いてもいいですか?
藤本奈美さん(以下 奈美)私と子供が三人、長男が12歳、次男9歳、長女5歳、あとは、私の両親、私の弟という、七人が一つ屋根の下にいる形ですね。

ーー大家族同居ですね。
奈美 あとは、仕事の関係で夫が時々こちらにきています。

ーーご両親はおいくつなんですか?
奈美 もう70歳を超えています。
ほとんどの食事をうちの母が作り、子どものこととかお弁当作ったりは私、洗濯と食材や日用品の買い出しは父と分担しています。父は結構きっちりしていて、ゴミ出しもプラゴミとか有価物、ミックスペーパーや廃油などを見事に分別して。(笑)

子供時代の遊び場は会社の敷地で

ーーすごい。親兄弟総動員で子育てしてる感じですね。奈美さんの実家はどういう感じだったか伺ってもいいですか?
奈美 私は三人兄弟の一番上で、下に妹と弟がいて結構オープンでしたね。両親は人が家に来るのもウエルカムで、飲み会をうちでやるとか。小さい頃のことを思い出すと、父が会社をやっていたので敷地の中に倉庫があって。敷地の端にボロボロの社宅がありました。 そこに小学生ぐらいまで住んでいました。その隣にはお弁当を社員みんなで食べる古い食堂というか、ご飯を食べるための場所がありました。それが大きな駐車場とともに庭のようにありました。

ーー日々、社員さんたちともずっとすぐ近くにいるような。
奈美 そうですね、ずっと一緒でした。日曜日に敷地内に車がなかったりすると、そこでサッカーやったり、自転車をガンガン乗り回すとか、倉庫に入って行って、そこに事務用の机を並べて隠れ家にしたりとか。山積みの段ボールを掘っていって、秘密基地にして夜中に隠れてそこに集まったり、そういうことをしていました。

家族ではないけれど、親戚のような大人たちの中で

ーーなかなか子供らしい子供ですね。
奈美 ははは。そうですね。
私の父が子どもだった時は、従業員みんな住み込みだったんですよ。そうするとやっぱり女の人たちは分担して掃除したりご飯をみんなの分用意していました。そういう名残が私が小さい頃も残っていて、お手伝いさんというか、会社の使用人みたいな形でおばあちゃんぐらいの年齢の人がいて、うちでみんなの分の夜ご飯を作ってくれていました。おじいさん、おばあさん、あと、おばさん、おじさんの四人分と、我が家の食事。だから十人分ぐらいの食事を毎日作ってて、おじいさんおばあさんたちは仕事が終わるとうちに寄っていって、食事をピックアップしていって家でご飯食べるみたいな感じでした。

あとは、通り隔てた前の路地に、私の父の乳母(めのと)をやってくれていた、これまた同じぐらいの年代の元社員のおばちゃんがいて、家族ではないけれど、親戚みたいな感じで、私たちをすごい可愛がってくれていました。親に怒られたりすると、そこに逃げていっておやつ食べる(笑)そんな思い出があります。第三者の大人にすごく近い感じで、そういうところで育ちました。中学校に入って違う場所に移りました。そこから結構また全然違う暮らし方になったんです。

おじいさんのヒストリーと家業の歴史を聞かされて

ーーそのことに違和感なかった?
奈美 様子は変わりましたよね。私立の女子中だったから、また全然世界が違うじゃないですか。反骨精神みたいなのが結構ありました、中高時代は。不条理な先生にも対抗していたし、勉強はできた方だったので。なので、結構勉強の資金はおじいさんが出してくれていました。

ーーおじいさん、おばあさんの期待が一心に集まって?
奈美 そうですね。女系だったこともありましたね。家とか家業みたいな。誰が継ぐかとか、今でこそそんなに男だから女だからとかないですけど、お金的なものも資産的なものも、家業的なものもやっぱり男っていうか、そういうふうなものが暗黙のうちにあったように思います。

私のおじいさんは、三つの戦争に行ってる人なんです。大東亜戦争、支那事変、満州事変。その三つに行って帰ってきた。おじいさんが生きてきた時代は日本が右肩上がりの時代で、経営に関して、銀行との取引の仕方とか付き合い方みたいなことに関して、ずーっと再生テープを何度も聞くかのように聞いてきたんです。

ーーおじいさんが語り部みたいな感じで聞かせてくれてたんですね。
奈美 聞かせてくれるというよりも、なんていうのかな。遠くを見て話すという感じですかね。エピソードをたくさん聞いたつもりはないけど、断片情報っていうのかな。その頃の日本の時代の話を聞きました。

あと、家業のこと、それをどう大きくしてきたかとか。それによって、私たちが生かされている部分もあるし、家とかお金とか、経済の仕組みみたいなこととか、ちょっと普通のサラリーマンだったら見られないような現場感というのはちっちゃい頃から見てきたなと思います。

おじいさんや家業に恩を返すような流れに

ーーそういう家庭に育ったんですね、その後大学に行ったのですよね。
奈美 そうですね。ビジネスが強い大学に流れで入学したのも、こういったファミリーヒストリーがあるからだと思います。

ーーその頃、自分の将来、仕事とか、結婚とかどういうふうに思ってたのですか?
奈美 当時は、結婚とかはあんまりイメージがなかったですね。大学では、結果的に経営の方向に行きました。卒業後はなんとなくモラトリアムで、そのまま大学院に行きました。そこも社会人大学院だから新卒は一人か二人しかいないんです。でもまあもう大学院行くとしたらそこしかないなと思って。モラトリアムでそこに行くとしても、ビジネスの中に生きてきたのと、おじいさんや家業に恩を返すみたいな部分があって、なんとなく自分では選んでないんだけど、そこに流れができる、っていう感じで進みました。

気がつけば独立の道に

奈美 就職も大学院を卒業するときには考えました。コンサルティング会社が当時は人気で、就職もちょっと考えたんですが、なんかやれる気がしないっていうか、そういうところで働ける気がしませんでした。かっこいいというか、体裁の良さみたいなのはあるけど、これを続けられる気はしないなっていうのがありました。

それで博士課程へ行くかなという感じで、色々な大学の先生のところに会いに行ってご飯をご馳走になって話を聞かせてもらったり、研究会やリサーチのアシスタントを結構やっていました。そして、ご縁があって業務委託という形でいろんなお仕事をやっていました。

高校の同級生と、物々交換のサイトの起業アイディアを温めたり。オークションを物々交換でできないかな?と。価値って何なんだとか、哲学的なところからも社会の流れに物申すみたいなところから考えていました。

ーーそれで最初から独立だったのですね。なかなか他に無い感じですね。
その後どうなったのですか?
奈美 26歳の時にコーチングに出会いました。コーチングのワークショップを受講したっていう人が、あなたにぴったりなワークショップあるよって話してくれて。その時は「そうなんだ」と思ったぐらいでしたが、二ヶ月ぐらいしてまた飲みに行ったら、あなたに絶対ぴったりだとまた言ってくれたんですよね。それで行ってみようかなと。

ーーもうそこからどんどんコーチングの道に進んだのですか?
奈美 そうですね。29歳か30歳くらいだったと思います。コーチングを教えるという仕事も始めました。

どうせならいい方向に人生を動かしたい

ーー30歳になった頃、なにか思ったりしたりしましたか。
奈美 やっぱり節目の時なので結婚のことなんかも考えたりしましたね。その頃色々あって、引っ越しをしたんです。友人に紹介してもらった占い師に、どっちの方向がいいか占ってもらって決めました。360度可能性があるというよりも、こっちの方向でこういう条件とかって言われた方が探しやすいし、どうせならいい方に人生動かしたいって思って。

それで、引っ越しして二年ぐらい経った頃、隣にすごく大きなマンションが建ち始めて。景観も悪いし、うるさいしどうしよう、引っ越す?と思った時に、32才くらいになっていて、一人暮らしは満喫していたし、仕事も充実していたけれど、そろそろ結婚も、、みたいな気持ちになってきたんです。

結婚を機に夫の実家へ、蓋を開けてみたら

ーー引っ越しがきっかけで気持ちが動いていったのですね。
  それからどうなったのですか?
奈美 そうですね、ちょうど34才の頃ですね。「私もそろそろ34才になっちゃう、このまま一人、それは困る」という感じになってきたんです。それで、昔からの知り合いだった夫と、雪崩のように恋愛して、結婚しました。それで、地方の夫の実家に行くことになりました。決めた時は、仕事は地方にいてもできるし、月に一回ぐらい東京を出張すればいいし、みたいなイメージで考えていたのですが、実際、蓋を開けてみたら全然違っていました。


<次回へ続く>



▪️マタニティリープ情報

マタニティリープインタビューを受けてみませんか

今回インタビューを受けてくださった美奈さんから、感想をいただきましたので、ここで紹介させて下さい。

自分自身の話をすることに少し心理的なブロックがありましたが、あえて話してみたことがすごく良かったです。思い切って話してみて、マタニティリープのみなさんが編集してくれた原稿を読んでみて、ある種の爽快感さえ感じます。自分の人生を俯瞰して改めて違う見方もできるかもしれないと思えるようになりました。家族のパターンが改めて分かったり、だったらこうしていけばいい、無意識に同じ轍を踏まないというような感覚になりました。

私もそうですが、マタニティにまつわる出来事や思いは、非常に個人的なことに思えて、誰かに話す機会はなかなかありません。奈美さんだけでなく、インタビューを受けた多くの方が話せてスッキリした、当時の自分を癒せた、次へのいいきっかけになった、といった感想をおっしゃいます。自分のマタニティにまつわることを語り誰かに聞いてもらうこと、インタビューを見直すことが、新たなリープを引き起こしているようです。

こうやってインタビューを重ねていくと、知られていない無数の、一つとして同じではない物語があることがわかります。これからも、話さなければどこかにしまわれて日の目を見ることのない無数の物語に光を当てていきたいと思っています。そして、その物語がそれを目にした誰かの希望やリープにつながることを願っています。

マタニティリープマガジンではインタビューを受けてみたい方、インタビューをしてみたい方を募集しています。

興味のある方は下記までご連絡ください。

<編集>
マタニティリープ合同会社
https://www.maternityleap.com/


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