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Vol.41 改めて評価について考えてみる

 評価という言葉を聞くと、どうしても「値踏み」されている感覚になってしまうのは私だけではないはず
 ですが、世の中は評価という言葉で溢れている
 どうやって見栄えを良くしていくのか
 いい評価がつくようになるといいな
結局、他人からの評価を気にする世界が広がっているような気がします。
また、評価が出た段階がそれまでの総括が終わったことになるのも評価があまりいい意味で使われていないことの要因であると思います。


1.評価をどう考えるか

 評価を「つける」のか
 評価を「する」のか
 評価を「出す」のか
でも、これら全て相手に行うことですね。
相手がいるということは、相手が評価をどう受け止めるのか
少なくとも我々教員は考えなくてはならないと思います。
評価を与えることでその子がどう成長していくのか。
つけて終わりの一過性のものにならないか、なっていないか。
評価がその子の成長の通過点として機能しているのか
考え続けて到達していくことが大切です。

2.評価と、指導と

 評価を行うということは、なぜその評価に至ったのかを明確にしなければなりません。知識や理解、また、思考・判断・表現について、その単元における積み重ねていくものと、積み重なってきたものがどう関連しているか、どう表出すれば良いのかがしっかりと示されている必要があります。
また、示すだけでなく示したものが相手に対して「適切」であるか
進んでいく中で、理解の方向が間違っている生徒への指導を行っているかということも大事なポイントになってきます。

放り投げておしまい
伝達しておしまい

これで「指導した」とできる人はかなり限られた人たちだと思います。
ラーニングピラミッドが示しているように講義での学習の定着率は5%と言われています。
この方向へ向かって進んでいくことを示す(指導)→形成的評価
指導を重ねた結果の力を評定として示す→総括としての評価
指導を重ね、学習者本人が
どうすれば単元における力が身についているのか
何が評価されていくのか
を振り返り、繰り返しそれを行っていくことを目指していく

総括としての評価というものは、少なからず指導の評定でもあるということです。

3.終わりに

 評価をつけるという行為そのものが、教師としての役割なのかなと思うことはよくあります。中学校でつける評価は、大部分高校入試のためのものという役割を持ってしまっています。
 評価を聞いて、子ども自身が自分の力を伸ばすための材料なんだ、しっかりと次からやるぞいう話につながりにくいのです。(あの高校、大学に入りたいから頑張ろう!は、受験が終わるとなくなるものなので除きます)
 だからこそ、指導して伸びた力をほめていき、総括としての評価で手応えを感じられるような「指導と評価の一体化」を目指した学習環境を整えたいです。

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