私に潜むあんぱんとばいきん

「なんのために生まれて
 なにをして生きるのか」

必然性をなくして人生は立ち行かない
あんぱんまんは私たちに問う

愛と勇気が他人を救う
そんなことはわかっている

だから誰かに寄り添う
でも助けることは難しい
何を救えたんだかわからないまま投げ出す
訪れる孤独と無力感
また問いかける

今目の前にいる人
困っている人
大切にしたい人
そんな人たちのためだけに生きることができたらどんなに幸せでしょうか。

「命の星のドーリィー」
友人に勧められて観たあんぱんまん映画なのですが不覚にも普段映画で泣かない私が涙をこぼしてしまいました。

24歳にもなった大人をこんな感情にさせるなんてやなせたかし恐るべし。

あんぱんまんについて考えると、私は自分の善性と悪性について向き合うことになります。
あんぱんまんは圧倒的な愛と勇気でみんなを救いますが、私にはどうもそういうことができないのです。

困難や悲しみを抱えた人に出会った時、みなさんはどんなことをしますか。
私にできるのは話をただ聞くことだけで、前を向いて歩いてもらえるような言葉や行動をすることができません。
もちろん助けられたと感謝してくれる人もいます。
でもそれは真に私が誰かを助けたのではなく、誰かがその本人の力で立ち上がったのを見守っていたに過ぎないのです。
病気になった時に服用する薬と同じです。
同時に私の良心や優しさは有限で、そのエネルギーは他人に与えるほどなくなっていくのです。

アンパンマンのように顔を変えたら元気に戻るとかできたら楽だよなあ。
誰かの不安を引き受けるのはとても難しいことで、底無し沼のように私も一緒に飲み込まれて、故に今の私はあんぱんまんにはなれない。

消費され続けたエネルギーは底をつき、自分が誰なんだかもうよくわからなくなっていくことがしばしばあります。

人間とか理性とか優しさとかどうでも良くなってしまうのです。
ごちゃごちゃと積み上がるゴミの山、世界がそう映るのです。
悪性が強いことは言わずもがな、ばいきんまんのように街を破壊したい気分になります。

そんなサイケデリックな心のまま始まった友人との電話での出来事。
友人の行動で私は大号泣しました。
これを俗に「マヨネーズ事件」と呼んでいます笑
なぜまたこんな名前なのかというと、友人の発した「マヨネーズって美味しいよね」という言葉を聞いたあたりで私の涙腺が崩壊したからです笑
(米にマヨネーズと七味をかけると最高だと泣きながら返事をするカオスでした笑)

私が散々なことを喚き散らした後、友人は突然ご飯のことを話しはじめます。米から始まり、ラーメンやらのことをずっと。
静かに聞いていましたが、だんだん自分が情けなくなってきて気づけば涙ぼろぼろ。
それが落ち着いたら私はいつもの私に戻っていました。

友人は電話の最後の方にこんなことをいいました。
「食べる行為は生きることに直結する。だから生きていることを自覚できるように食べる話をしたんだ」

あんぱんまんは人に食べ物(あんぱん)を与えます。
彼はまさしくあんぱんまんの化身でとても眩しかった。
普段はしょうもないことばかり話している私たちで、だからこそこんなんされたら泣いちゃうでしょ!笑

ちゃんと映画の感想をまとめると、作中に登場するロールパンナちゃんに私は一番救われました。善と悪その両面を持ち合わせる彼女は人間臭く、悩める私に重なるのです。
メロンパンナちゃんの姉のロールパンナちゃんは姉妹一緒に暮らしたいと願いながらも自分の持つ悪性のために妹を傷つけることが怖くて離れて暮らしている背景があります。

ロールパンナちゃんがいつかメロンパンナちゃんと一緒に暮らせるようになれたらいいなあ。
そして私も死ぬまでにはアンパンマンのように愛と勇気を持って、誰かのことを救えるような人間になれたらいいなあ。

険しい道のりだけれども笑

そんなこんなで、あんぱんまん映画に泣かされ、友人に泣かされ、善を取り戻した松澤でした。

では良い夢を!

それいけあんぱんまん!!!

松澤

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