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「陰気なクィアパーティ」に初めて参加したら癒された

※本記事には死に関する内容を含みます。



私は、いまだにryuchellの死を受け止めきれていない。身近なトランス男性が自殺したことも、ヘイターによってX(旧Twitter)のアカウント削除に追いやられたクィアたちの存在も、無知な政治家の差別発言も全部、消化できないまま心の奥の方に沈殿している。そんな息苦しさがずっとある。

ロシアのウクライナ侵攻も、イスラエルによるガザ虐殺も、次期戦闘機の第三国輸出方針の閣議決定も共同親権の可決も全部怖くて。

一方で友達と買い物したり、恋人と美味しいご飯を食べたり、1人で大好きな映画をみたり、それなりに日常を楽しく過ごせてしまう図太さがあるのも事実で。本当はそんなに辛くないんじゃないかと自分を疑う。

それでもやっぱり、友達と戯れ合っても恋人とキスをしても1人の時間を楽しんでも頭の片隅には差別が、人の死がずっとある。心の底から笑うことができない。この幸せな時間が近いうちにすべて奪われてしまうのではないか。そんな不安が付き纏う。


楽しく生きたいだけなのに、あまりにもノイズが多すぎる。

生きるだけで、存在するだけでなんか疲れる。ここにいるだけで精一杯。こんな調子で「ハッピープライド!」なんて言えない。

それでもいいんだ、いるだけでいいんだと思わせてくれたのが「陰気なクィアパーティ」だ。

 陽気でハッピーで資本主義に迎合的な、LGBTQ関連の社会運動のあり方に違和感を持ったものたちが、勝手に集まって開催しているパーティです。

陰気なクィアパーティ in 東京 陰パ紙 2024年4月号  

2023年にスタートしたイベントで、これまで東京レインボープライド、名古屋レインボープライドといったイベントに合わせて何度か開催されたという。主な活動内容はピクニックや読書会、ZINE(個人・グループが制作する冊子)の交換会など。

今年4月21日(日)のパーティは、参加者がレジャーシートの上で読書、スケッチ、楽器演奏、おしゃべりなど、好きなことを各々楽しむという内容だった。


私が会場の代々木公園パノラマ広場に着いたのは、開催時刻の13:00から少し過ぎた13:30頃。「陰」と書かれた布地にくくられた木(ちょっとシュール)と、レジャーシートの上でくつろぐ集団がみえて「ここだ」と分かった。

周囲の人に軽く挨拶をして、持参したレジャーシートを敷く。手持ちの本を読みながら、のんびり過ごす。途中で主催者さんからZINEをいただいたので拝読。いろんな方の寄稿文に深く、深く共感し唸りそうになる。素敵な文章たち。

ちょっと休憩……のふりをして、周囲の様子をこっそり伺ってみる。黙って読み物に集中する人もいれば、おしゃべりを楽しむ人も、楽器を弾く人もいる。そこには心地よい静けさがあった。

何をしても自由(自他の境界線を尊重した上)な空間では、ただそこにいるだけでいいと思えた。心から笑えない、全然ハッピーになれない私にはそれがありがたかった。

「こんな時だからこそ」と笑顔で頑張る人たちが眩しい。強くあろうとする素敵な人たちが、どうか傷付きませんように。楽しめる日でありますように。曇り空の下、Seriaで買った花柄のレジャーシートの上でうとうとしながら思った。

いただいたZINE

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