見出し画像

身辺雑記:何とか生活の立て直しをしなければと思う日々

妻が亡くなってから2ヶ月以上たった。いろんな意味で失速している。日々何とかかんとか生きているだけで、やらなきゃいけないこともなかなか処理ができないできた。当然のことながらnoteへの投稿も出来ないできた。

今日ようやく彼女の年金関連のこと、それから健康保険からの退会届けや健康保険証の返却などの手続きを終えた。つまり、関連書類を集め、手紙を出したのである。多分、これで彼女が亡くなったことで処理しなければならない仕事は終わったのではないかと思う。

もちろんまだ大きな仕事が残っている。
年内いっぱいで法務局に連絡してマンションの登記の変更手続きをしなければならないし、年があけたら確定申告(青色申告)の準備を始めなければならない。

なぜこのようにモタモタしているのか。

理由は明白だ。生活していくに必要なことのほとんどを妻に任せていたからである。郵便物の処理や公的な事柄の処理などすべて彼女に任せていた。旅行の手配などもすべて彼女がこなしていた。

単身者であれば当然のように自分ひとりで処理しているはずのことである。

彼女が自分自身の手で用件を処理できなくなった後でも、実質は彼女がやっていた。彼女の指示で私は手を動かしていただけだからだ。その指揮命令をだす人がいなくなったので、正直どうしていいか分からずあたふたしている。時間だけが虚しく流れている。

事務仕事は苦手だ。不得手だ。やらなきゃと気は焦っているのだが、いつも先延ばしにしてきた。なかなか取り掛からないのだ。分からないことがあっても電話も苦手なので問い合わせたりがなかなか出来ない。分からないままに放置する。それで大学の事務室からいつも怒られていた。

片付けること、整理整頓をすること、物事の手順を決めて規則正しい生活をする、というようなことがまったく出来なかった。習慣化出来なかった。

その結果、いざやろうとする時には肝心の書類が見つからず、2,3日は探しもので消費される。それでも見つかるならばまだ幸いである。見つからないことが多いのだ。彼女が亡くなってからのストレスは、自分でテキトーに置いた書類が見つからないということである。いくら探しても見つからない。絶対に必要だった領収書は、息子に頼んで再発行してもらった。

不要な書類も必要な書類も適当なところにほっぽりだしている。ゴミ屋敷みたいなところに住んでいる、ある種の生活破綻者である。生活をすべて妻に依存してきた男の典型である。社会人として、生活者としてほとんど無能だということを、妻の死で痛いほど思い知らされている。

彼女は、私とは正反対であった。いつもきちんとしていた。すべてが整然とかたづけられていた。亡くなる前までそうであった。ベッドの脇に置いてある携帯や体温計、クーラーや室内灯のリモコンまですべて規則正しく置いてあった。彼女によれば停電の時、真っ暗闇の中でも必要なものが手にすることが出来るためということであった。

洗剤などの日用品の置き場所、それからその予備のものもすべてラベルをつけて整理してあった。だからこそ突然に倒れて何も出来なくなっても私に指示を出して、介護と看護を滞りなく私にさせることが出来たのである。

ジュリアン・ムーアは、’Game Change’「ゲーム・チェンジ 大統領選を駆け抜けた女」で、ゴールデングローブ賞女優賞を受賞した、アメリカの女優である。彼女が、自分の人生についてホームレスの自立支援のための雑誌『ビックイシュー』の巻頭インタビューに答えている。その中で、フランスの文豪フローベールの言葉を引用している。

(ジュリアン・)ムーアはフローベールのある言葉を引用した。
「規則正しく、秩序ある生活を過ごすこと。そうすれば仕事の中で激しさや独創性を発揮できるようになる」と。

「ビックイシュー日本版」(Vol.325,2017.12.15)

「規則正しく、秩序ある生活を過ごすこと」が本当に大切だということを、この2ヶ月余の自堕落な生活で身にしみて感じている。

規則正しい、秩序ある生活を送るには、何よりもモノの整理整頓である。これを自分自身では何もしてこなかったので、彼女が亡くなってから本当に困った。書類であれ何であれ適当に置いてきたので、必要な時に当の書類が見つからず、探すのに何日も何日もかかった。意味のない仕事である。

息子は、葬儀関係のことは一切取り仕切ってくれたが、それ以外はまったく放置である。次に会うのは、一周忌の時であろうか。

逆説的ではあるが、妻に似た、優秀で甲斐甲斐しく働くというか面倒みてくれる娘がいなくて本当に良かったと思っている。もしもいたらきっと妻以上に何でもやってくれるだろう。そうすると、ただただ妻を亡くした悲しみで泣き暮らすだけになり、確実に鬱が再発し、認知症の道へまっしぐらのような気がしてならない。

何とか生活を立て直そうとしている。

息子に迷惑をかけないように自立して生きていく生活スタイルを見つけようと、ようやく一歩を踏み出そうとしているところである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?