matoiba keiichi

第2の人生を模索中です。自分の書きたいことを上手に表現出来ず、悪戦苦闘中です。読まれる…

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第2の人生を模索中です。自分の書きたいことを上手に表現出来ず、悪戦苦闘中です。読まれる文章を書くことができるようになること、そして何よりももっと気楽に書くことができるようになることが目標です。

マガジン

  • 身辺雑記

    自分の身の回りに起きたこと、自分が感じ考えたこと、また過去に書いた自分のメモ書きをリライトして掲載していきます。

  • 介護生活と彼女の思い出

    亡き妻の闘病と介護生活について感じたこと、考えたことを少しずつ書いていきたいと思っていました。週に1回の投稿を目標にしていましたが、容態の悪化に追いつかず、ちゃんと書かないままに終わりました。気持ちが落ち着き、彼女の不在を受容できるようになったら、また少しずつ書いていきます。不定期投稿です。

  • 紀行文

    在外研究でロンドン大学SOASに滞在した時に訪れた史跡、観光地などの紀行文や、その翌年の夏にロンドン滞在中のメモです。

  • 古代ギリシアのあれこれ

    古代ギリシアについての原稿をまとめています。

最近の記事

  • 固定された記事

初めての投稿です。よろしくお願いします

生まれて初めてのSNSです。熊本生まれ東京在住です。 学者の端くれをしてきました。自分の感じたこと、考えたことを自由に書けるようになりたい、それもまとまった分量の文章を書くことができるようになりたいと思ってのnoteへの挑戦です。 なぜnoteを始めたのかHPを作ったことも、ブログやツイッターなども一切しないままに年をとってきました。仕事上絶対に必要だったメールだけは、何とかできましたが、それ以外は全然駄目でした。 このままだと単なるボケ老人になると思ったのか、息子から

    • 身辺雑記:腹回りが・・・

       先日投稿したように、11月11日開催の故郷での「古希を祝う会」に出席することにした。  そこで定年後放置していたスーツをクリーニングに出した。  クリーニングから帰ってきたスーツを試着して驚いた。  腹回りがきついのである。  太ったのだ。  体重計に乗ったらなんと4kgも太っていた。  筋肉は落ち、脂肪がつくという最悪のパターンである。  彼女が亡くなってからただ泣き濡れているだけで何もしないで無為に過ごす日が増えた。というより、日々何もしないで生きている。  not

      • 身辺雑記:故郷へ

         妻が亡くなって早いもので1年と2ヶ月たった。あっという間である。  どうするか迷っていたことがある。  コロナ禍で延期されていた中学の同級生による「古希のお祝い会」への出席である。  コロナ禍の前から田舎には帰省していなかった。それは彼女の病気があったからだ。  彼女の闘病生活は5年続いた。  発見された時にすでにステージ4であった。リンパ節と肺に転移していた。肺の5分の4はすでに冒されていた。原発の甲状腺ガンと転移していたリンパのガンの切除には無事に成功した。しかし

        • 身辺雑記:最初の東京の住まい

          引っ越した。 人生の大半を過ごしてきた東京を離れることにした。 彼女が亡くなってから半年ほどはとにかくいろんな残務処理が残っていて大変だった。それを一つひとつ片付けていかなければならないので、ある意味気が紛れていた。しかし、それが一段落した途端に悲しみと寂しさが襲ってきてへたり込んでしまった。 毎週1本は書こうと思っていたnoteからも完全に離れてしまっていた。書く気力も、また他の方の原稿を見る気力もなくなっていた。 先日のつぶやきで書いたように「学生結婚」についての文

        • 固定された記事

        初めての投稿です。よろしくお願いします

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        • 身辺雑記
          16本
        • 介護生活と彼女の思い出
          10本
        • 紀行文
          18本
        • 古代ギリシアのあれこれ
          8本

        記事

          2月以来まった投稿していないので、noteのことはほとんど忘れていたら、この9月になってから、「学生結婚」についての原稿にスキをしてくれる学生さんがたくさんいることが分かった。 メールでお知らせが届くからである。 ということで、少しだけ加筆した。

          2月以来まった投稿していないので、noteのことはほとんど忘れていたら、この9月になってから、「学生結婚」についての原稿にスキをしてくれる学生さんがたくさんいることが分かった。 メールでお知らせが届くからである。 ということで、少しだけ加筆した。

          一周忌の時にお世話になったお医者さんに、あらためて御礼状とそれに添えて、最期の日々についてのメモとノートに投稿した「なぜ学生結婚をしたのか」という文章を送った。 その時に学生結婚についての文章に手を入れた。 原稿に手をいれたのは7月のことでそのままにしていた.

          一周忌の時にお世話になったお医者さんに、あらためて御礼状とそれに添えて、最期の日々についてのメモとノートに投稿した「なぜ学生結婚をしたのか」という文章を送った。 その時に学生結婚についての文章に手を入れた。 原稿に手をいれたのは7月のことでそのままにしていた.

          今年2月以来、まったくnoteから離れている。 喪中はがきを出し、それでたくさんの電話や手紙などをいただき、その対応に忙殺された。私の状況を心配してわざわざ会いに来てくださる方もいた。 それが一段落したら、すっかり滅入ってしまったのだ。 廃人のような生活をしている。

          今年2月以来、まったくnoteから離れている。 喪中はがきを出し、それでたくさんの電話や手紙などをいただき、その対応に忙殺された。私の状況を心配してわざわざ会いに来てくださる方もいた。 それが一段落したら、すっかり滅入ってしまったのだ。 廃人のような生活をしている。

          学生結婚、その後(2)

          4年生になった時、バッカスの仲間のほとんどは留年確定でした。私はぎりぎり頑張れば何とか4年生で卒業できるという感じでした。しかし、みんなと一緒に留年する気でした。 というのは、4年になった時点で留年確定ではなかったものの、フルに履修して、一つでも単位を落としたら留年確定だったからです。 本日の投稿は、留年しないでなぜ卒業したのかいうことと、私たちを襲った想定外の出来事についても書きたいと思います。 「卒業しないと別れる」 4年の授業が始まってバッカスの仲間と会い、おし

          学生結婚、その後(2)

          学生結婚、その後(1)

          「なぜ大学3年生の時に結婚したのか」という記事は、私の投稿としては例外的にたくさんの人に読んでいただいた。特に若い人、高校生や大学生の方々が読んで「スキ」を押していただいたこと、本当に感謝します。 有難うございます。 ということで、学生結婚のその後について書きたいと思います。 新居 新居は、それまでずっと住んでいた大学まで20分という新宿のアパートを離れて、京王線の調布で探しました。都心から遠く離れた郊外です。新宿から特急で16分かかったと思います。各駅停車だと40分

          学生結婚、その後(1)

          学生さんからのメールへの返信➖親子関係➖(2)

          前回の続き 「突然ですが、反抗期と子離れ、そして親離れについて先生のコメントをいただきたいのです。・・・」 という、学生さんからのメールに対して、答えにもならないメールの返事を書いた。今回は、その続きである。 いずれにしても、中学に入ってからは子供と本格的に向き合いました。時間もとりました。以下、私が意識的にやったことを書きます。 1)長男が精神的にすごく不安定で、母親や次男とよく揉めていました。それで仲裁に入り、長男自身が納得するまで時間をかけて話しあいました。そう、

          学生さんからのメールへの返信➖親子関係➖(2)

          学生さんからのメールへの返信➖親子関係➖(1)

          ここ1ヶ月以上、noteから離れている。自分が書かないだけでなく他の人の投稿も読んでいない。時間がなかっただけでなく読む元気もなかったからだ。 体調がすぐれないのもあるが、喪中はがきを出したことで妻の早すぎる死に戸惑った人たちからの電話であったり手紙だったりへの対応に追われていたのもある。香典を送ってこられる人もいたので、そのお返しと返事も必要だった。それが結構しんどかった。 心のこもったお手紙をいただくと、それでまた涙していた。 noteのコメント欄でも大丈夫ですかと

          学生さんからのメールへの返信➖親子関係➖(1)

          身辺雑記:体調が最悪

          明日は、11時半に来客の予定である。 しかし、全然寝付けない。 この頃毎日のことだが、寝付けない。ウトウトはするのだが、すぐに目が覚める。その後はいろんな想念が湧き上がり、寝付けない。 結局、夜中の3時とか4時に諦めて睡眠導入剤を飲む。 昨晩もそうで、ウトウトはするのだが、その後はしっかりと覚醒した。急な冷え込みで頭痛もひどかった。 諦めて起き上がり、トイレに行き、そして、頭痛薬のイブと睡眠導入剤を飲んだ。結局、それでも寝付けず、追加で睡眠導入剤を1錠飲んだ。 午前10

          身辺雑記:体調が最悪

          紀行文:ジョン・ロック晩年の住まいとお墓を訪ねて(2)

          17世紀の思想家ジョン・ロックの晩年の住まいと彼が埋葬されている教会を訪ねる旅の2回目です。 旅行の手配はいつもすべて彼女がやってくれていました。 ロック晩年の住居と葬られている教会への行程は、次の通りです。 地下鉄のビクトリア・ラインでトッテンハムヘイルの駅に行き、そこで鉄道(アングリア)に乗り換え、ハロー・ミルで降りる。ハロー・ミルの駅からシティ・センターであるオールド・ハローまで歩く。郵便局前のバス停で47番のバスに乗り、ハイ・レイバーの村のAll Saints教

          紀行文:ジョン・ロック晩年の住まいとお墓を訪ねて(2)

          紀行文:ジョン・ロック晩年の住まいとお墓を訪ねて−(1)

          17世紀の思想家のロックの晩年の住まいとお墓参りのために、ロンドンのお隣のエセックス州に出かけました。 2013年の6月25日のことです。 ハロー・ミルへ 私たちの住んでいたフィンチリーから地下鉄でロンドンの中心まで行き、そこで、地下鉄のビクトリア・ラインでトッテンハムヘイルの駅に行きました。そこで国鉄(アングリア)に乗り換え、午後2時6分、ハロー・ミル(Hallow Mill)の駅に到着しました。 駅は町外れにあるので、下の写真の道を、オールド・ハロー(Old Ha

          紀行文:ジョン・ロック晩年の住まいとお墓を訪ねて−(1)

          身辺雑記:やっとギブスがとれた

          左手中指の折れた骨と切れた筋をつなげるためにしていた指のギブスが、ようやくとれた。お医者さんから完治まで1ヶ月と言われ、えっ、そんなに時間がかかるのかと事故った時には思ったが、実質は1ヶ月以上かかってしまった。 ギブスがとれたら一挙に元の生活に戻れるのかと思ったら、そんなことはない。相変わらず不自由な生活である。相変わらず痛いし、その上、ギブスが取れたというのに指がよく動かない。 ギブスをしている時の大変さ、不自由さについては下記の記事で書いた。特に手袋に指が入らないので

          身辺雑記:やっとギブスがとれた

          身辺雑記:約50年前のヨーロッパ一人旅にいくらかかったのか

          大学3年生の夏に2ヶ月半のヨーロッパ一人旅をしました。1973年の夏のことです。前期試験を終えて、8月になってすぐに出かけ、すっかり涼しくなった10月中旬に帰国しました。 当時の渡航費 まだ海外旅行が一般的ではなく、航空運賃も高かった時代です。その時、ヨーロッパ往復は、飛行機だと100万近くしました。私の通っていた私立大学の年間授業料が8万円でした。その10倍以上はしましたから、その運賃の高さが想像していただけると思います。 私がこの3月まで勤務していた大学の授業料はお

          身辺雑記:約50年前のヨーロッパ一人旅にいくらかかったのか