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365日、毎日、色彩と向き合う

・色彩の世界へ

 この世の中には様々な「色」が存在します。「色」と「色彩」という言葉意味の違いは重なり合いがあるかどうかです。これから話すことは単独の色ではなく、色の重なり合いになるので「色彩」という言葉を使って行こうと思います。
 
 さて、その色彩を語るうえで外せない人物が3名います。歴史的な順番から言えばニュートン、ゲーテ、シュタイナーです。私が勝手にこの3名を選出したのには理由が有ります。まず、人類にとっての「色」という概念について提唱したのは古代ギリシアにいたとされるアリストテレスが記録上最初と言われています。彼が残した言葉はこれになります。
 
「色は光と闇の狭、黒と白の間に存在するものである」
 
 この言葉が2000年という長い年月信じられてきました。これは芸術的なという意味ではなく、理論的なという意味になります。つまり色彩に関しての論理的な物は2000年間閉じられていたということになります。芸術的な面、生活的な面でいえば有名な画家さんは沢山いますので技法や新しい絵の具、顔料などそっちのほうはどんどん開拓されていった感じです。そのため、個人としての論理は存在していました。
 
 2000年間閉じられていましたが、まず歴史的にニュートンがこの色彩に着手し、それらからゲーテ、ニュートンが更に手を入れていきます。まず、ニュートンが手を付けたのは「光学」という分野。ニュートンが光学に手を付けたのは当時、高性能な望遠鏡が存在していなかったため、レンズの研究をしている時にたまたま見つけたという話が有ります。

 ニュートンの「光学」というのはつまり光についてです。光の波長によって人の目に見える色が変わるということ。つまり色の違いは光の波長の違いだということを実験を行い、理論立てて説明しました。有名なプリズムの実験というやつです。
 
 そしてその後、ゲーテが登場します。有名な話ですがゲーテはニュートンに反対意見を述べる形で色彩論を展開しました。ゲーテの色彩論は約20年の歳月を経て完成されたものだと言われています。

 簡単に言えばゲーテはニュートンと違い光だけではなく、闇。つまり黒い世界も色彩にとって必要だと考えそれを盛り込んだ理論を提唱すると同時に、ゲーテはゲーテなりの実験を行います。

 これは人体を用いた感覚に関わる実験。なので実験というよりも色彩体験という表現が適格かもしれません。分かりやすいのが残像実験です。緑色の紙をじっと見つめ、その後素早く取り去ると目の中に赤色が出てきます。これによってゲーテは「色は互いに呼び合う性質、求め合う性質がある」と提唱しその理論を展開して後の世に残しました。
 
 更にその後出てきたのはシュタイナーです。彼は今日まで続くシュタイナー教育と言われるものの提唱者であると同時に、色彩に関しても残しているものが有ります。彼の残した本である「色彩の秘密◎色彩の本質」にはこんな一文が残されています。
 
「色彩を理解すれば、全世界の成分を理解できるのです」

 この言葉に表されているようにシュタイナーは「赤に見える」という人間的な感覚と「どうして赤は赤をしているか?」ということそして「人が赤を見るとき、体に何が起きるのか?」ということについての理由を述べています。述べているのですが、その内容をここで説明して十全に把握することはスペースが足りませんので興味がある方は本を買ってみてください。

 そしてそもそもシュタイナーの言っているやり方では「色を塗る」ということが出来ない色が有ります。例えばシュタイナー曰く、人間の「肉色」である「桃花色」つまり「ピンク色」に近いものは「入り混じって動き続ける黒と白の中を赤い色が貫くと桃花色が出来上がる」と述べています。

 シュタイナーにとって色彩というのは頭の中、ファンタジーの存在であり、それ自体が持つ世界観を重視し、考えることが重要だ。ということを私は受け取りました。

・色彩の世界表現

 これら3人が残した言葉の意味を自分が行った365日のベランダ植木鉢実験の変化から考えてみようと思います。

「色彩、つまりカラフルな物の集まりを語るのに絵じゃないのか」

 と思う人もいるかもしれません。当然、絵でも語れます。ですが絵で語ると作者の色、時代の色、書かれた目的の色など様々な色が織りなし、シンプルではなく説明がしにくく大変です。
 
 あと、基本的に絵というのはさっきの言葉の通り、世界の成分を使ってキャンバスに絵の具を使って世界の成分を表現した物です。なので、世界の成分の秘密を知ればおのずと絵も何となくわかるようになります。

実験1日目の様子

 実験開始時の植木鉢の様子です。条件的には家の庭の土を適当に植木鉢に放り込んでベランダに置いただけになります。ただそれだけのことです。
 
 これを色彩的に見てみると、地球から青い成分を少しだけ切り出して植木鉢に入れたということになります。世界の成分的には土は青色に該当します。ですがここで言っておかなければならないことが有ります。
 
「地球は青かった」
 
 これはカザフスタンの基地からボストークという宇宙船に乗って人類初の宇宙飛行を行ったガガーリンさんの有名な言葉です。この言葉が残っていることもありますし、今だと人工衛星からの画像などもあるので「ああ、地球ってのは青いんだな」っていうのは誰にもわかることなのですが
 
「土は青い地球から取り出している。だから青なんだろう」
 
 というわけではありません。確かに外から見た地球は青く見えます。けれど現実的に植木鉢に入った土は茶色かあるいは黒色に見えます。
 
 色彩的に少し考えてみると、土の色をそのまま黒色と捉えてしまうとこの土は何もしません。もし、土が世界の成分である黒色であるのであれば何も出来ないのです。ですが土は植物を育てます。それは誰だって知っていることですし、見たことが有ると思います。
 
 ということは、土は何かしらの可能性を内側へ内包していることになります。可能性が無ければ種から芽が出ることは無いですし、そもそも「可能性」というのは人目線の話になります。
 
 可能性という言葉には様々な意味が込められていますし、様々なことを想像すると思うのですが、ここでは単純に「なんかあるかもしれん」とか「なにか起きるかも」ということの塊だと思ってみてください。
 
 そしてこの「なんかあるかも」というのは総じて「輝き」と言われるものに属しています。色彩と輝き?よくわからない状態になってきたと思いますが、そもそも輝かなければ見えないのが色彩でもあります。つまり輝きがあるということは光が関係していることは何となくわかると思います。
 
 で、次に土に戻ってみます。これは植物を育てる可能性があるものだと私たちは知っています。知っているのであれば「なんかやってくれるかも」ということが見えてきます。つまり、輝きを持っているということです。ですがその輝きというものが表面にありません。なので、それは内側に入り込んでいる状態だということです。
 
 輝きを内包している色は青色になります。赤でも緑でも黄色でもありません。
 
 色と輝きの違いについてもう少しだけ詳しく説明をすると、色は白黒で表現できませんが輝きは表現することが出来ます。それぞれの色の輝きのみの部分に注目するとこんな感じのものが描けます。

それぞれの輝きの特性

「色」について語るとその中身は2つの枠組みに分けることが出来ます。

輝きとして「赤、黄、青」
もう1つの軸として「黒、桃花色(ピンク色)緑、白」

 この2つの違う世界の者たちが折り重なって色彩になり、それを人が体験しています。あまり実感がわかないかもしれませんが、私たちが色を見るとき、実は色を見ているわけではありません。その色の重なり、つまり色彩を見ているわけです。それは世界の重なりを見ているということになります。

 なのでそれぞれの「色」にはドラクエなどのRPGの世界観のように「世界設定」というか「色としての要素設定」が存在します。例えば赤は火の要素、黄色は空気の要素、青は土の要素。などです。緑は水の要素に該当します。ここら辺の話を詳しくしようと思うと夜が明けるのでやめておきましょう。

 ですが1つだけ語らなければいけないのが「水って青じゃないの?」という普遍的な疑問についてです。試しにコップに水を入れてみると色はついていません。ですが多くの人は水=青という認識です。少し目線を変えて海に行くと海は青く見えます。なので海=青というのはそうなのかもしれません。ですが海の水をすくい、水槽に入れた時、青くは見えません。

 シュタイナーの気質や色彩論で水の要素が緑色に置かれている理由はおそらく「始まりに近いから」です。緑色の代表は「植物」ですがこの植物が無ければ今の生き物たちは全てスタートを切れません。なにせ彼らがいなければ酸素が無いわけですから。われわれ人間も直接的、間接的に植物を摂取しています。つまりこれは緑色を摂取しているということでもあります。

 水が無ければ植物は育ちません。色彩の世界の話において重要なことはこの2つの物、水と植物がスタートラインにいる。そしてそれらは緑色に該当するということです。

 なぜここまで水についての話をしたのかと言いますと、これからこの植木鉢に芽が出るまで毎日水を与えることになるからです。言い換えるとこれは

「青い世界に緑の世界を注ぎ込む」ということになります。

 シュタイナー曰く、人間は桃花色の世界の住人になります。なのでもっと詳しく言えば

「桃花色の世界の住人が青い世界に緑の世界を注ぎ込む」

 というのが何か植物を育てるときの色味になります。色彩で世界の成分を語ろうとするとこんな感じになります。人の世界の感覚で言えば

「松下一成という人物が土を植木鉢に移して水をあげている」ということです。

2月10日

 実験開始日時が2023年2月9日だったのでこんな感じにもなります。

 解凍と凍結を繰り返しながら植木鉢君は春を待つことになります。唯一人の手が加わるのは水を与えるということだけ。それ以外は何もしません。

「桃花色の世界の住人が青い世界に緑の世界を注ぎ込む」

 と先ほど言いましたがこれには続きが有ります。それはこんな感じで見てわかるように植木鉢は外に置かれているので当然、日の光と風が吹いています。となると色は追加されます。それが白と黄色です。さらにもっと言えば植木鉢は物質になるので黒色も入ってきます。物質界の色は黒です。

つまりこの写真の中にあるものを色彩世界の成分について語るとしたら

「黒、桃花色、青、緑、黄色、白」となります。言い換えると
「植木鉢、人、土、水、風、日の光」です。

 これは写真なのでまだ私が文字で解説するだけで済むのですが、これをじゃあ「絵に起こそう」としたとき、考えなければならないのはこんな感じの世界観を構築している単独の色についてと、それを絵として調律していく技術が必要になります。この場合の技術というのは単に構図とか絵筆の感じとかそういうのではありません。思考による色の変換技術です。

 それって大変じゃない?と思うかもしれません。そうです、本来絵は大変なのです。なにせ「目には見えていない色を表現しなければいけないからです」レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた有名な「モナ=リザ」という絵が有ります。一説にはこれの製作期間は4年と言われていますが実際は15年とも言われているのはこのためです。

 今の時代の絵の多くはこれよりもかなり早いスピードで描かれています。これの答えは「ニュートン的な色」を使っていて「ゲーテ・シュタイナー的な色彩」を使っていないからです。全く使っていないというわけではありません。ですが色彩を使うとなると1枚の絵を完成させるのには相当長い年月が必要になってきます。現代は次々と、新しくということのスピードがデジタルによって加速しました。それが良い、悪いという話ではありません。現に今、そのスピード感に合わせるために絵を描いている人たちは鉛筆と絵の具ではなくタブレットと液晶を使っています。

 だから同じ絵を描くことを生業としているとしても「芸術家」と「絵師」という違う2つの表現が存在するわけです。

 この写真を「絵に起こして欲しい」と言われれば出来なくはないと思います。それが上手いか下手かが問題ではなく、そもそも絵として起こすということは「色の選択」が出来るということです。先にも言った通り、この1枚の写真は少なくとも「6色」の色がそれぞれ重なり合っています。

 色彩の世界の住人から言うとこれを「絵で表現する」ということは「いやーちょっとまってよ、色んな色が複雑に絡み合ってて、これ、時間かかるよ」という回答になります。

 ですが人はある程度の割り切りと「見える色」を判断してこれを絵に表現することが出来ます。複雑に絡み合った糸の中から自分たちにとってやりやすい形の糸を1本引っ張り出すことが出来ます。

 これだと何の話なのか分からないと思いますが、割と身近にあります。自然界の中に存在する人工物である「畑・田んぼ」がそれを体現しています。複雑にある色彩が流れている自然界という中で「自分たちの食べたいものを育てる」ための畑や田んぼはそれを行っているわけです。形は違えど今の絵と同じです。

 もし仮に、色彩の世界の住人が畑や田んぼを作ろうとしたら、おそらくできません。なのでこの人たちの選択としては大根が生えている場所を見つけてそこから採取するという大昔の日本の狩猟生活になります。だから大昔の人たちの生活というのは「きっと色彩的だったんだろうな」と私は思うわけです。

 色彩にこだわり続けていたら畑や田んぼは出来ません。色として考えることが出来るからこそ、畑と田んぼを作ることが出来ます。畑と田んぼが出来れば食料が取れますので人がその場に安定的に定住することが出来るようになります。

 植木鉢の時間を進めて3月17日に。

3.17
3.17 拡大図

 土の中には当然、雑草の種が入っています。種は4つの条件を満たすと発芽し、その後出芽してきます。ここで初めて「目に見える色」の中で「緑色」が現れてきます。この緑色は一体何の世界を表現しているのかと言いますとそのまま「生きている」という世界です。

 でも、人も動物も生きてるじゃん。と突っ込まれてしまうかもしれないですが、植物と動物と人間の違いはその「世界の本質性」にあります。植物の輝きというのは「命の輝き」生きているということが本質になります。

 最近だと人の細胞を切り出して培養するなんてこともできるみたいです。その切り出した細胞は確かに生きていますが、同時に厳重な管理のもと「生かされています」細胞は生きていますがじゃあ人として生きているのか?この細胞に心とかそういのはあるの?という問いかけに対し、倫理の世界観はどうか分かりませんが色彩の世界の話であれば少なくともそれは生きていることが本質ではなく、生かされていることが本質になります。

 先ほども言いましたがこの植木鉢には少なくとも6つの色が関わってきています。逆に言うとこの6つの色が合って初めて緑色という物が成立するわけです。物質的に色彩を捉えて言えば

「青い世界の上に緑の世界が来た」みたいな感じでしょうか。緑という色はまず初めに青い世界を置いて、水をかけ、光を照らし初めて成立するわけです。種が発芽するための条件としてあと一つ足りないのが「温度」になります。この温度は「赤色」が該当します。温度は言わずもがな太陽光が関係しています。

「植物(緑色)を成立させるには土(青)に水(緑)を注ぎ込み、光(白)が照らし、風(黄)と温度(赤)が作用する」という感じです。

 この話に出てきていない色が有ります。それが桃花色と黒色です。このうち黒色に関しては混乱してしまうので最初に説明するのを避けましたが、黒色というのは物質の際立った色になります。地球上でそれは何を指し示しているのかというと「鉱物」になります。鉱物は生きていません。ずっとそのままです。けれど、植物に必要な栄養素を含んでいます。リンやカリウムなどです。これらは土に含まれている物なので厳密に土は青色単色ではなく、青色に黒色が散りばめられたそんな色彩をしています。

 鉱物的な黒ですがこれらはかつて生きていたものが時間経過で姿を変えたものです。例えば石炭は古代の植物が姿を変えたように、かつて○○だったものという感じになります。この植木鉢はプラスチックで出来ています。プラスチックの原料は石油です。そして石油は古代に生きていたプランクトンなどの死骸の塊です。

 となると出てきている色で余っているのは桃花色、つまり人間の世界ということになります。

 色が成立するための条件として人は必要ありません。これは環境問題を突き詰めていくと「環境問題を解決する為に人はいない方がいい」という結論になるのに似ています。人は色を利用する、自然を利用することは出来ますが色の成立にはあまり関係ないことが分かります。

 ですが、最も重要なのがここの話であり、この土の入った植木鉢は人工物になります。つまり、人工物であるがゆえ、桃花色が関与するのです。この場合の関与は「水を与える」という関与です。自然ならば雨がその役割を果たしてくれます。

 ですのでこの「関与」というのがつまり「管理」になります。簡単に言えばこの場合は「水の管理」になります。表面を見て「乾いてきたな」と想えば水を与える。人がキチンと管理するそれが「人工物の宿命」だということが色彩から分かります。

ここから少し時間を飛ばしていきます。

5月1日
6月1日
7月1日
8月1日
9月1日
10月1日

 9月から10月の間には分かりやすい変化として緑色がやや赤色に変化してきています。植物の色、分かりやすく言えば花の色の違いに関してですが、この疑問にシュタイナー的思考を持ってくると「星の影響が色になる」というのが1つの回答になります。

 星の影響?と聞くとなんだか難しい話のように聞こえますが、そもそも私達も含めて地球に生きている生物は大きな太陽という「星」の影響を大きく受けています。満ち潮、引き潮は月の引力の影響です。普段全く意識しませんがそういった宇宙に散らばる星々の影響は地球上に降り注いでいます。

 実は人もそれを利用しています。分かりやすいのが太陽光発電という人工的な装置です。あれは「太陽の影響を利用して電気を作ろう」というものです。これは人工的な物ですが、地球上にあるものは何かしらの星の影響を受け取ることが出来るということでもあります。

 少し話がそれますが太陽光発電は「太陽光パネル」に光が当たることで発電できるものです。そのパネルの内部で何が起きているのかを凄く簡単に説明すると半導体に光が当たると電子が動くわけです。言い換えると光に影響されて電子は移動するということになります。そしてこの電子の流れをとりだして電気を作っています。

 星の影響を受けるという言葉だけだとなんだか「それってスピリチュアル系のお話ですか?」となってしまうと思います。私もそう思うわけですが、とりあえず「植物の色っていうのは星の影響が関係してるのか」ということを置いておけばいいです。信じても信じなくてもあまり明日は変わりません。

 なので考えるべきはもっと現実的かつシンプルなもので、この植木鉢の雑草に起きた色の変化は今までに無かった変化についてです。これは生きているという力をもった緑色が抜け落ちはじめ、その下に存在した星の影響を受けていたであろう色が出てきたと考えられるのでありますが、もう一つ、私達にとって重大なメッセージがそこにあります。

「緑に何も混ぜて無いのに赤色が出てきた」

 しかもこの赤は「固定」されません。

11月1日
12月1日
1月1日
2月1日

 赤色は固定されず、そのまま茶色っぽく枯れていきます。触ってみるとわかるのですが植物はその命を終えると大体乾燥していきます。これは緑色という色を成立させるための条件だった水(緑の世界)の供給がなくなることで自身の緑色を維持することが出来なくなったということでもあります。そしてその水が抜け落ち、全部が無くなった時、そこに残っているのは「生きている物の抜け殻」となります。

2024年 2月9日

 話は少しだけ前後しますが、11月から12月にかけて夏雑草の時期が終わって、冬雑草が生えてきました。植物学的にはこういう感じなのでしょうが、色彩的には同じことが2つのサイクルで起きているということになります。

 ですがこのサイクルは限られた空間でのサイクルです。その理由はそれが植木鉢という限られた空間だからです。植物が生長していくためには絶対に肥料という栄養素が必要になってきます。つまりそれは青色成分になります。

 枯れたものが土の中にいる微生物に分解されるとそれも肥料になるのですが、厳密にいえばこの土の中にある栄養素は植木鉢に土を入れた段階でほぼ決まっていますし、その量は動きません。

 なので例えば私が実験が終わったから、じゃあこの雑草を抜いて庭に捨てようと考え、実行すると植木鉢の中の栄養素はマイナスされていきます。100%厳格な管理をしているわけではないので現実的にどうなるか分かりませんが、雑草を取って捨てるという行為を繰り返し行えば多分、3年後くらいにはこの植木鉢に雑草が生えてくることは無くなります。 

1年間の開始と終わり

・実験を終えての感想

 庭の土を植木鉢に入れてそれを365日間観察を行う。観察の方法は起きたタイミングでスマホを持って写真を撮るだけ。水は土が乾かない程度適当に与える。そしてそれを毎日インスタに載せる。ということだけを結果的に継続しました。最初の内はちょっとした変化とかを文章で書いていたのですが、それだと面倒になって続かないと判断したので文章的なものは日付だけになりました。

 この実験の写真を眺めていると「緑(植物)が成立するためには青(土)がベースなんだなぁ」と感じました。あと、夏と冬が似ています。違いは生えている雑草の高さでしょうか。たぶんこれは冬、雪が降るので背が高いと折れてしまうからだと思います。この高さなら雪が上に乗っても別に折れませんし。

 あと、自分は「同じ物」を撮り続けたのですが、結果的にそれは「違う物」を撮っていることになっていました。

 あと、この期間を連続させた画像を作りましたので、それを最後に載せておきます。




 



 

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