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プロフィールをまとめてみました

松下 一成 1989年1月17日 長野県長野市生まれ

 長野市にある小学校・中学校に通う。そこであまりいい思いをしなかったのと、頭が悪かったので手に職をつけようと考え、高校は中野市にある中野実業高校(現 中野立志舘)の電気科へ自己推薦で入学する。

 入学と同時になぜか体操競技をやり始め、熱意の有る顧問のおかげで2年連続インターハイ出場。高校卒業後は就職しようと考えていたが体操をやりたかったため大学へ進学。

 電気が学べて体操が出来る大学という条件だけで進学先を決め、埼玉県にある日本工業大学 電気電子工学科へ指定校推薦で入学する。体操部へ入部。高校と違って体操の指導者がいなかったため、高校時代の教えとその後の独学で練習を積み上げ、3年生の時に全日本インカレ(2部)出場。

 大学は4年時に卒業論文を書くために研究室を選ぶことに。その時、周りから「お前は森田研究室に行くべきだ」と言われ、森田登教授が開いていた森田研究室に所属する。研究内容は電動機について。そしてそこで1期生の五十嵐武志(通称イガさん)というデカい人に会う。(私は11期生)

 研究室では卒業論文を書くための研究活動以外に「技術者、企業人、組織人として。そしてその中で自分としてどうあるべきか」ということを考えるための教育として森田塾と呼ばれる環境が存在した。参加は任意である。

 塾活動は4つの柱を中核として行っていた。

デール・カーネギー「人を動かす」
行動の科学
シュタイナー教育
カール・ロジャーズ

これら4つを「理論」とし「学生にとっての実践の場」として田んぼ・畑の活動を行った。

 研究活動自体が1年半しかなかったため、全てをやり、全てを理解することは当然不可能だったが、重要なことは私自身が研究室に入って今まで知らなかったこと、主にシュタイナーやカーネギーなどの考え方や知らなかった農というものに触れたことである。

 2011年に大学卒業、千葉県にある日鉄エレックス(現 日鉄テックスエンジ)へ就職。電動機の保守、点検、工事などをする業務に就く。そこで運良く上司や先輩などの環境に恵まれたため、勤務して3年程で病気になる。

 それから休職と復職を繰り返したが2019年8月に休職満期にて退社。千葉から長野に帰ってくる。

 仕事を辞めたことを聞きつけたイガさんから連絡が入り、リモートで農業(田んぼ)を学び直し、更に大学の時に出会っていた4つの柱の中にあったシュタイナー教育。その中でも気質、色彩について学びなおすことした。

 特に色彩の学びなおしにはシュタイナーの色彩論の他にもニュートンの光学、ゲーテの色彩論。そして人類が色彩を認識するということの歴史の中でプラトンやアリストテレスといった古代の哲学者たちの当時の考え方、物の見方を知ることになる。

 病気になってサラリーマンという職業を辞め、私は半ば強制的に私の世界に一時的に入ることになった。元の生活に戻る努力もできたはずだが、私はそれを選択せず、大学の時に出会ったものを学びなおす時間になった。

普通なら元の生活に戻ろうとすると思う。

 それを選択しなかった理由は、既に大学の時、自分にとって必要な事と出会っていて、この病気はその必要な事をするための準備だと感じたから。

 一旦サラリーマンとして働くという経験も私にとって必要だったから、その経験をやり直すために元の生活に戻る必要はないということだと思う。

 では私は、何をするべきなのか?ということを考え続けた。

 その結果、今まで学んできたことを世の中に提出する。という回答に辿り着いた。その回答はコピーではなくオリジナル。オリジナルの自分が生きてきたという目線を話そうと思っている。

知らなかったものを知った時、人が見ている景色は大きく変わる意味を物語によって伝えられればと考えている。

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