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月を見る人

桜庭一樹さんは著書で
「私の身の回りでも空を見る人、旅をする人は、人の死というものに一度深く触れた経験をしていることが多いようだ」と言った。

老人ホームに10年ほど勤務していたため、家族の別れを見ることが多かった。

Aさんは、入居の際に妻子と別れた。
そして、入居後長年介護してくれていた妻を病気で亡くした。
夫婦を対面させてやりたいと息子と弟が相談してくれた。
車椅子でなければ自宅に戻れないAさんを介助させてもらった。
Aさんは自宅をすっかり忘れていたが、妻の顔を見ると嗚咽を漏らし「元気だと思ってたんだけどな」と言った。
夜にベットから降りて転びそうになったり、介護職員に手をあげたりする人だったので、この日の夜は更に落ち着けなくなって、怪我をするのではないかと心配したが、部屋で静かに泣いていたそうだ。

Bさんは、働き盛りの40代後半に脳出血になった。言語障害と右片麻痺を抱えた。豊かな生活から、経済的に大変な生活を余儀なくされても、妻は優しく介護を続け、美味しい料理やおやつを作り、それを周囲にお裾分けしていた。介護をして20年が経つ頃、妻は癌になった。余命が短いことを悟り、妻がBさんに娘の家の近くの大きな病院に入院すること、もう会えなくなることを伝える場面に立ち会った。Bさんは頷いてはいたが、いつもと変わらない様子でその後を過ごした。
数ヶ月後の妻の葬儀には、介護職員が付き添った。老人ホームに戻り、部屋で一人になった時にようやく涙を流した。

私は死別する前に離婚した。
出産後、妻ではなく母になり、その後老人ホームの施設長になり、必死になっているうちに、夫をたくさん傷つけた。
離婚後は運転していても、ヨガレッスンで瞑想していても泣いてばかりいた。全身に蕁麻疹や発疹もできた。

どんなに愛し合っていても、夫婦はいつか別れてしまう。永遠だと何故思っていたのだろう。
記憶がなくなって、先立って、離れて過ごして、一緒にいるのが辛くなって、どんな理由であれ、二人は別れる。

私は様々な夫婦の別れを見て、自分の離婚を経て、無常を教わった。
そして、そこには悲しさや辛さだけでなく、幸せも存在することを感じた。炎は燃え尽きたけど、そこに確かに燃えていたと感じる余韻のような暖かさがあった。

人はいつか死ぬ。必ず一人になる。
だから、憎んだり、傷つけたりする必要はない。
別れは、私たちの都合なんて関係なく、やってくる。感情を大きく揺らす人の側にいられた。その事実は身体のどこかに残る。
恐れず、悲しまず、今を生きていく。時間を積み重ね、別れの日が来たら、来るべきものが来たかと心のどこかで思う。

今日も朝に夕に空を見て月を探す。そして、月を見て心を通わせた気になる。少しずつ、少しずつ、私達に別れが近づいている。
だから、今があなたが大切で愛おしいんだろう。

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