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遊ぶために生まれてきた|わたしの豊かさ#39

見出しの写真は東京・汐留にあるパークホテル東京で宿泊した忘れられない一室。遊び心のあるアートホテルでお気に入り。

現代美術作家の右田啓子さん作「ぽに」というオリジナルキャラだそう。
遊び、キマってる。

37歳にもなって「遊びたい」という気持ちが強くなっている。
優等生だったと思うし、社会人としてなんらかの成果を仕事として打ち出すことが最重要で、真面目は基本装備だし、遊んでばかりいたらバチが当たるという思い込みすら抱いていた。

しかし今、何をしに生まれてきたのかと問われたら
「遊びにきました」と答えたい。

ワーカホリックの回し車から強制的に降ろされて、初めてゆっくり呼吸をしたのが産休育休のとき。社会と一旦切り離されたことで仕事というのは暮らしの中の一部でしかないんだ、と気づいたときは衝撃だった。
回し車を回すことに必死になりすぎて、周りの景色を見失っていた。

動かすにも重くなった回し車をしげしげ眺めると、一体なにをそんなに焦っていたのか、自分自身も回し車の一部になっていたような気がした。
自分のやっている仕事や暮らし方に疑問を持つことは、あたらしい景色を見つけるための第一歩になった。

すると、私たちが暮らす社会は「ルールに従って攻略するゲーム」のように見えた。そもそも都市のシステム自体がゲームのように思えてくる。

例えば、流行りやトレンドカラーによってファッションやデザインが決まったり、全ての道には路線価が定められ、売上をいくら達成したら昇格できる等、全て人が決めた枠組みで、その世の中をどう切り取るか、どう解釈するか、ということに過ぎない。

これらは広義に捉えて「遊び」と解釈することもできるのでは、と思った。

「遊びだなんて、責任感がないんじゃないの」と言われるのかもしれないけど、遊びと責任は別論点だと思う。責任とはその行為をするために選ばれた人の任務のことで、責任を感じられること自体が誇らしく素晴らしいものだと捉えられる。

しかし、ネガティヴに責任を感じすぎて深刻ムードになると世の中の視野が一気に狭くなって、小さい穴からしか見られなくなってくる。
そこで「遊び」という視点を持つと過度に深刻にならず物事を捉えることができる。遊びだからといって中途半端に行うのではなく、遊ぶと決めたからには本気で真剣に遊ぶことが大切だと思う。

また、遊びの視点は仕事だけでなく、育児や暮らしにも持つことができる。

育児は「子供から遊びを学び、自己表現を再確認する遊び」、暮らしは「自分のやりたいことを現実化する遊び」である。
特に家事・主婦業の舞台=家の中というのは、現実化までのスピードがかなり早い場所だと思う。気分で模様替えしたり食べたいものを作って食べるなどというのは如何様にも遊びと捉えて楽しむことができる。

これまで抱いていた幻想が、人が決めたルールに過ぎず、誰かが決めた価値観の中でジャッジし続けることだったとしたら、遊びはルールを自分で決められる。

私たちが本当に自由に遊ぶことができる場所は、そのルールを自分で決められる場所だけだと思う。そして遊びから得た発想が日々をより豊かなものにしてくれているのかもしれない。

わたしは遊びの視点から、自由に選択して生きることを楽しみたい。
わたしたちは、楽しむために生まれてきたのだと思う。
ここは、どの選択も許されている場所だからこそ。

今日はどこで、なにをして遊ぼう?

この記事は2023年の「豊かさ」に必要な8つのことの中の
5.好きなときに好きなことができるを補完する:#39【あそぶ】を説明する内容でした。元になる記事はコチラ▼

次回は5.好きなときに好きなことができる#40【身を任せる】について書きます。

読んでいただき、ありがとうございました!


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