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韓(から)のくに紀行2023【その3 歴史の交差路編】

前回までの分

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1 はじめてのソウル

自分はパンデミック前の2019年に韓国を2回旅行した際に釜山・光州の南部の2都市を回っていたものの、これまでソウルに行く機会・動機がなかった。
今回はKORAIL PASSを確保した時点でソウルまでKTXを使って足を延ばすつもりだった。
ソウルまで行くことで、韓国についての地理感覚を養っておきたかったのと、1987年の6月民主化運動・1988年のソウル夏季五輪についての朧げな記憶や、2014年の『セウォル号事故』以後の『ろうそくデモ』などの韓国の現代史を知るうえで外せないスポットでの光化門広場があるソウルを見ておこうと思っていたのである。
今回も結果として弾丸旅行になったが、次回につながればいいと割り切って、はじめてのソウルを体験することにした。

2日目:(2023/08/29)

旅行前から読んでいてKTX車中で読み終えた『文在寅時代の韓国』(岩波新書)
KORAIL釜山駅からソウルまでのKTX座席指定券

朝、釜山発8:40→ソウル11:20着のKTXの指定席を確保した。
この日は秋雨前線の影響で釜山は曇り(26℃/29℃)だったがソウルは雨(23℃/25℃)だった。
ソウル市内は秋雨前線の北側だったので比較的涼しく薄手の羽織るもの(シャツ)があると良い気候だった。(自分は暑がりなので歩くと暑くなる)

ホテルで充分朝食を摂ったので、少食の自分は空腹感がない限り食べないようにし、そのままソウル駅から地下鉄4号線で二村(イチョン)駅に向かい、国立中央博物館に向かった。

2 モノリス/聖地:国立中央博物館

国立中央博物館は龍山(ヨンサン)地区の旧アメリカ軍基地跡に作られたが、横がとても長く(全長404m)、2021年秋に行ったJR京都駅ビル(全長470m)に匹敵する規模だった。
まるで『2001年宇宙の旅』に登場したモノリスが横たわっているようだ。
パッと見は故・黒川紀章氏の作品である福岡銀行本店にも似ている。

ここは韓国の歴史の『アーカイブス』である。

国立中央博物館の外観(東側)
国立中央博物館の外観(西側)



館内は旧石器時代〜大韓帝国時代までの出土品や工芸品・古文書などが収蔵・展示されている。
展示点数がかなり多く、1階を観るだけで3時間かかったが、歴史好きな方だとお腹いっぱいになるのではないか。
特に『街道をゆく』シリーズや日韓関係に関する司馬氏の著書を読んだことがある方だと、人類の歴史の中での東アジアの繋がりを思い起こすだろう。
2〜4階も見所があるが、次回以降の旅行で改めて見物してみたい。

石器時代・縄文時代・古朝鮮時代(日本の弥生時代・大和時代)から歴史を下っていく構成であるが、特に新羅=しらぎ/シルラ・百済=くだら/ペクチェ・高句麗=こうくり/コグリョの『三国時代』金の装飾品は目を見張るものがある。
新羅時代の金の王冠を見たときは、10年ほど前に台北・故宮博物院で見た『玉(ぎょく)』の細工以来の衝撃を受けた。
2020年代の今あのような工芸品を作るなら、おそらく高度な技術が必要だろう。
技術力の高さ、それが当時東アジア各地にもたらしたインパクトは相当なものだったのだろう。
21世紀のITやそれ以前の通信・工業技術のインパクト並み、いや、それ以上だったのかもしれない。

館内はフラッシュ撮影は禁止だが自由に撮影可能だった。
ひと通り回って注意書きを見直し、新羅時代の金の王冠などの金細工の装飾品を撮影しとけば良かった、と、この時後悔した。

東側の常設展示棟のエントランスホール
高麗時代の石塔『敬天寺十層石塔』



今回来てたまたま・初めて知ったが、博物館の館内はBTSのMV撮影に使われた場所だった。
館内で実際にBTSのメンバーが立っていた場所にはステッカーが貼ってあり、ファンの方と思しき来館者の方が思い思いに記念撮影していた。
『ARMY』と呼ばれるBTSのファンの人達は、観光案内サイトなどでBTSゆかりの地(『聖地』)を調べ実際に現地を回るとのことで、この国立博物館も『聖地』になっている。

BTSのMV撮影が行われたことを紹介するポスター
BTSのメンバーが立っていた位置のステッカー
同上(場所を変えて撮影)
吹き抜けから漢江(ハンガン)方向
ソウルタワー・南山方向を見る



参考リンク

2 歴史の交差路に立ってみた:光化門広場

国立中央博物館の見物後、二村駅からソウル首都圏鉄道(KORAILの通勤路線だが料金体系はソウルメトロと一体)で漢江(ハンガン)と高速道路を眺めながら清涼里(チョンジャンリ)経由で光化門(カンファムン)広場・清渓(チョンジン)川に向かった。
ソウルメトロの鐘路(チョンノ)地区での乗り換えでは一駅分歩くことになった。
東京メトロの大手町駅を思い出した。

光化門広場は韓国の現代史を追いかけている人だと馴染みの場所ではなかろうか。
地下鉄5号線光化門駅・3号線景福宮(キョンボックン)駅が最寄り駅である。

光化門広場から見る景福宮・青瓦台方向



景福宮の南向きの門が光化門であり、その南に
・世宗大王(セジョンデワン=ハングル制定に寄与した李朝の王)
・李舜臣(イスンシン=壬辰倭乱/文禄・慶長の役で李朝の海軍を率いて秀吉主導の日本軍を撃破した)
の像がある。
ここは韓国の人々、そして韓国という国の『コア』『基礎』にあるものを見ることができるエリアである。
また、この光化門広場は、特に政治にまつわる国の一大事があると一人ひとりが集う場所としてニュースでも取り上げられる広場である。
近年は時に何十万人が集まっても、流血沙汰が起きていないという。
血を流さずに大勢の人々のエネルギーで世の中を動かすことができるようになった、『人類の進歩』のひとつの形態を象徴する場所、とも言えそうだ。
韓国現代史の象徴であり、生きている歴史の交差路である広場。
自分は、半世紀近く生きてきて漸くナマで『現場』を観ることができた。

ハングルを制定した李朝時代の王・世宗大王像
世宗大王像から見たソウル駅方向
世宗大王像の背後。
地下の展示スペース入口がある。
壬辰倭乱(文禄・慶長の役)時の李朝側水軍の将だった
李舜臣像。釜山市の龍頭山公園にもある。


広場の世宗大王像の下には、世宗大王の功績を紹介するコーナーがあるが、韓国の『コア』ゆえか、独島(竹島)に関する紹介コーナーもある。
今回はチラ見しかしなかったが、李舜臣像の下にも李舜臣に関する展示のコーナーもあるようだ。


東にアメリカ大使館、西に政府のソウル庁舎(霞ヶ関の合同庁舎のようなもの)・外交部の庁舎があるためか、広場は警察官の姿がちらほら見え、物々しさを排除できない、油断を許さないエリアでもあるのが光化門広場である。

また、アメリカ大使館の側には韓国の右翼or保守団体の横断幕らしいものも見えた。韓米同盟に関する内容だということは察することができた。
アメリカ大使館の外観は、アメリカらしさよりもむしろふた昔前の日本の中央省庁の合同庁舎に通じる機能性を重視したものだったのが意外だった。

広場の北にある景福宮は一大名所であり、多くの観光客が訪れる韓国の歴史を体感できるスポットだが、日程の都合で次回以降見物することにした。
また、景福宮の北には文在寅大統領の時代まで大統領官邸だった青瓦台(せいがだい/チョンワデ)があり、外国人は先着順で当日券を確保できれば見学可能である。
景福宮もいずれ観ておきたいスポットだが、青瓦台も政治史とか現代史に興味がある自分としてはいつか押さえておきたいスポットである。

光化門広場の見物後、かつては高速道路の高架橋が上を通っていたものの近年撤去され整備された清渓(チョンジン)川側のカフェでカフェラテとアイスクリームを口にしてソウル駅へ向かった。
(このカフェにレンタルWi-Fiルーター用の変換アダプターを忘れたことに気付いたのは、釜山に着いてからだった)

再開発後の清渓川の夕方(西向き)
清渓川東向き。近くに東亜日報や朝鮮日報の社屋がある。
崇礼門(南大門)

4 陰/業:釜山市立博物館

『東アジアにおける朝鮮(半島)の地理的環境というのは、それ自体が悲痛というべきであろう。
地理そのものが政治であるというのは、朝鮮が負いつづける業(ごう)以上のものかもしれない。…』(『街道をゆく 韓のくに紀行』(P248より)

最終日(2023/08/30)釜山:曇り(26℃/28℃)

ホテルで朝食を摂りチェックアウトした。
12時頃迄に釜山駅に戻れば復路のクイーンビートルの乗船手続き時間に間に合うので、地下鉄コンコース内のロッカーに荷物を預け、釜山市立博物館を見学することにした。

海雲台方面に向かう急行バス(1001系統)で釜山駅前を8:50頃に出て、テヨン駅経由で市立博物館へ向かった。
車内アナウンスの文言が日本式と異なっていて、テヨン駅の一つ先の慶星(キョンソン)大学まで乗り過ごしてしまったが、すぐKaKao mapで博物館方面のバスを調べて博物館に向かった。

釜山市立博物館『東萊(トンネ)館』
釜山市立博物館入口
博物館外観。いかにも1970年代の建築という趣き。
市立博物館前の交差点の横断幕。
共に民主党や正義党などが時期を区切って掲出している。

博物館内は
・旧石器時代〜李朝時代までの『東來(トンネ)館』
・李朝末期〜現代の『釜山館』
に分かれていて、開館時から変わらない『お役所』的な外観とは異なり内部は近年リニューアルされている。
李朝時代までの展示はソウル・龍山の国立中央博物館の方が充実しているが、中央博物館の復習として釜山市立博物館を見るのも良いだろう。

壬辰倭乱(文禄・慶長の役)のコーナーは『地元』ゆえに内容が濃い。
こちらの近現代史のコーナーは日朝(韓日)修好条規から始まるが、『強圧』『強占』などの表現に、韓国現代史の日本に対する厳しい視点が伝わってくる。
ハングルの上級者だと難なく説明文や資料の内容を読解できそうだ。
日韓関係の現代史に興味がある方・日韓現代史の研究者の方は、中央博物館と併せてこちらもご覧いただくと理解がより深まるだろう。

1919年の『3・1独立運動』のコーナーでは、釜山エリアでの『運動』の拡大の過程や釜山にゆかりのある5人の独立活動家について紹介されていて、当時の檄文も展示されている。

この檄文をはじめとした日帝強占(日本の植民地支配)時代の文書や新聞・ビラは漢字とハングルを合わせて使っているので、中級レベルだと見出しから文書の大意をつかむことは容易いだろう。

6・25(朝鮮戦争/韓国戦争)コーナーや『第4共和国』時代の民主化運動についても内容が濃い。

Google Earthなどで東アジアの地図をご覧になると分かるだろうが、ユーラシア大陸側から出航する船やユーラシア大陸に到達する船の視点でみれば、あるいは渡り鳥の視点で見れば、朝鮮半島はまるで港の桟橋のようである。
その地理的条件が、司馬氏が生前述べていたような『業』になってしまったのかも、と思う。
釜山は日本からユーラシア大陸へ陸路/海路で出る時に通るポイント・港湾として使い勝手が良いポイントだったゆえか、壬辰倭乱や日帝時代には真っ先に日本の侵略(進出)の橋頭堡になってきた歴史がある。
市立博物館は、そういう『陰』を意識させる構成になっている。

私達はクイーンビートルやカメリアラインのおかげでグルメやカフェや買い物や観光スポット・『映え』スポット巡りで釜山を訪れることが多いが、歴史の『陰』についても機会があれば目を向けてみるのも良いだろう。
『国家という面倒なもの』を使って、かつてはご近所さん的な関係にもなっていた釜山・加羅を初めとする朝鮮半島を、余計なお節介精神を働かせて開国させようとしたり、しまいには富を収奪するために支配してきた日本人の歴史の負の側面を、人類が他民族に対して無謀な振る舞いをやりがちなことを、今一度思い起こして欲しいところである。

今回は2泊3日の弾丸旅行(船の関係で現地滞在は実質2日)だったが、スケジュールや懐具合の余裕があれば3泊4日で韓国各地を回りたいところである。
2泊3日ならば、エリアを特定してじっくり回るのも良さそうだ。
今回の経験が他の方々のお役に立てれば幸いであり、自分の『次の韓国旅行』に有効活用したいところである。

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