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020.『誇れる自分コンプレックス』

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ーゲスト紹介ー

湯浅遼太(ゆあさりょうた)。大分県出身。2018年から1年間休学し、東京、岡山、大分でジーンズや日本の伝統的な履物について学ぶ。休学して3ヶ月が過ぎた頃から『EVERY DENIM』というデニムブランドのゲストハウス作りを手伝い、藍染の下駄を考案。現在はLEGITというプロジェクトを立ち上げ、藍染の下駄の良さをより多くの人に体感してもらうべく、クラウドファンディングに挑戦している。Twitterはこちら。

どんなコンプレックスですか?

僕のコンプレックスは、幼稚園児の自分に誇れる自分ではないというものです。そのコンプレックスが生まれたのは、成人式のときでした。成人式のために帰省して、通っていた幼稚園に集まって埋めたタイムカプセルを開けるという催しに参加したんです。カプセルの中身は幼稚園の運動会でもらえるような金メダルが3枚と、手紙が一枚、そして自分の写真でした。

そのときの僕は、徒競走で一位になってものすごく嬉しかったんでしょうね。その感情を閉じ込めたような笑顔の写真が入っていて、それを見て、こんなに純粋に笑ったのはいつぶりだろうなと落ち込んだんです。今の自分はそんな素直に喜べることがあるのか。今の自分は、金メダルをもらえるくらい頑張っているのか、と。

去年の僕は、自分が頑張りたいことを頑張れてない人でした。でも幼稚園のときの僕は、とにかく1位になりたい、全力でやり切りたいという気持ちで物事に取り組む少年でした。運動会でもらった金メダルを見て、そのことを思い出したんです。

小さい頃、なりたいものとして思い描いてたのはサッカー選手とか、科学者とか。その分野や世界を背負って、第一人者としてやってるような人でした。そうはなれなくても、せめて、一つの世界で一番夢中になれてる人がかっこいいと感じていて、そんな人でありたいと思ってたんです。手紙に書かれた「サッカー選手か社長になってね」というメッセージが、僕の心を締めつけました。

一緒に父と母のメッセージもありまして、両親が誇れる人間でありたいと思いました。自分を見ると、全然誇れる自分じゃありませんでした。その頃の自分は、周りの人たちに比べて自分がどうすごいとか、すごくないとか、そんなどうでもいいことに捉われていて。幼稚園の頃は自分がどう楽しむか、喜怒哀楽に素直に生きてたんですね。手紙を見て、今の自分が昔の自分の想像の延長にいないことが悲しく感じ、そんな自分をとても嫌だと思いました。

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コンプレックスをどのように乗り越えようとしていますか?

ジーンズを軸に、自分発の何かを作ること。それで人に喜びを提供すること。それが、嫌な自分を乗り越える方法だと感じています。

高校のとき、先生に言われたことが印象に残っていて。湯浅遼太じゃないとできない生徒会長をしろと言われたんです。
「みんなから求められることをするのは、自分じゃなくてもできる。自分から何かを発信して、相手を0からプラスの状態にするのは自分にしかできない。
先生はその言葉で、自分をもって生きることの大事さを教えてくださいました。それまで人に求められることを行動の中心に置いていた僕は、自分ありきの自分でいたいと思うようになりました。

僕にとっての”自分”は、ジーンズでした。友達やお世話になった人たちに大好きなジーンズを紹介するのをよくやってたんですね。それが、湯浅遼太だからこそできる発信だと考えていたからです。ただ衣類を紹介するのではなく、ジーンズに込められた思いや楽しむ価値を提供することだと考えてやっていました。その結果、喜んでもらえたり、紹介したジーンズを履いている人たちがそのジーンズを通して仲良くなったりといった経験をして、それがとても嬉しかったんです。

もしかしたらその紹介は半分押し付けだったかもしれないけど、擦り切れるまでジーンズを履いてくれる人もいて。その事実が、自分のジーンズに対する思いを一段と深めてくれました。そんなときにタイムカプセルが届いて、ジーンズを軸に、生きていきたいと思ったんです。

かっこいい大人になるために、ジーンズとかものづくりの面白さを突き詰めていこうと。興味がある方に行こうと思いました。

タイムカプセルに入ってた自分の写真を見たとき、「やりたいならやればいいじゃん」と言われたような気がしたんです。だから休学して、ジーンズ修行を始めました。

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なぜジーンズが軸になったのでしょうか?

ジーンズは、僕にとって家族とのつながりだからです。

もともと両親がジーンズ好きで、影響されて好きになったのが始まりでした。両親は、例えば休みの日に、たまったジーパンを洗って庭に干すのが楽しみな人たちなんですね。サッカー少年だった小学生の僕は短パンが好きだったので「なんで長ズボンがいいの?」なんて聞いてましたが、中学に上がると見事にジーンズの良さがわかりまして。よく母のジーンズを借りて遊びにいってました。父のジーンズも借りて、ベルトで絞って履いたり。家族でジーンズを楽しむようになっていました。

しかし小学校高学年になったあたりから父が鬱になりまして。暴言がひどくなり、怒鳴り声が日常的に響くようになったんですね。殴られることはなかったですが、母はそんな父から、僕と妹をかばって、妹は泣いていて、、、。僕も父に感化されて、家ではピリピリしちゃって。それが嫌で。とても苦い時期でした。

しかし僕が高校生になり、1年ほど経ったくらいに、父は精神的にも体調的にも良くなりました。そして一緒にリサイクルショップに行くようになったんです。そこで、父からジーンズのことをたくさん教わりました。普通の服は古着になると価値が落ちるけど、ジーパンは古着でこそ価値が上がるとか。汚れや色褪せがあるほうがかっこいいとか。どういう汚れ、色褪せがいいかとか。世に同じジーパンは二つないとか。そういう話をしながら、どれが良いジーンズかを見て回りながら、時々買ってました。

「お母さんには内緒な」って言う父とのジーンズ選びは、男だけの秘密を共有できたような感覚で。新しいのを買うたび、仲が深まるような気がしてました。まぁ、母には毎回バレるんですけどね(笑)。「また買って来たの?」って笑いながら言われるんですけど、そうやって父と母とジーンズを通して普通にしゃべれるようになったことが本当に嬉しかったんです。

大学進学とともに家を出ても、父に見つけた良いジーンズについてLINEしたり。僕が沖縄に来てしばらくすると妹も履くようになり、最近ではみんなでジーンズを履いて出かけました。一時は冷戦状態だった家族が、ジーンズで再びつながれたんです。だから僕はジーンズが好きです。そしてこれからも、好きでいたいと思っています。

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休学をされてから、どのような活動をされていましたか?

まず東京に行って、『EVERY DENIM』というデニムブランドの社長さんに会っていただきました。その方は兄弟でそのブランドを運営されていて、共同代表の弟さんを紹介していただき、次は岡山へ。EVERY DENIM製品のデニム生地やその他いろんな生地を織っている篠原テキスタイルという工場で働かせていただきました。そこからご縁があって、友達の祖父の工場でジーンズを洗う仕事をできることになりまして。約1ヶ月ほど、午前はジーンズを洗い、午後にデニム生地を織るという生活をしてました。

ジーンズには、産地というものがありまして。日本では昔から、備中備後地区という産地が有名です。今では広島県の福山市という場所になっていまして、僕が伺ったのは福山市にある工場でした。福山市内には糸を染める工場、糸から生地を織る工場、生地加工工場、生地をジーンズにする縫製工場、洗い加工工場がありまして、ジーンズを作るための工場がすべて連なって、密集している場所が、産地です。国産デニムの5割が福山市で生産されていて、海外からもお客さんが訪れるほど有名な場所です。

その産地で、糸からジーンズになるまでのほとんどを見させていただきました。各工程の新人が触るところは経験させていただけました。

その後8月からは、EVERY DENIMのご兄弟と、ゲストハウス作り。EVERY DENIMのお二人は、2015年から47都道府県を巡り、瀬戸内エリアに集積する工場で作られるジーンズの作り手と売り手の距離を縮めるための移動販売をされてきました。そんなお二人が2019年夏、『泊まれるデニム屋』をコンセプトにしたゲストハウスを作られるとのことで、協力させていただいたんです。

オープンまで約1ヶ月というスケジュールの中での準備でなかなかに大変でしたが、自分の本当にやりたいことを見つめ直す時間になりました。ゲストハウスの壁を塗り、EVERY DENIMのお二人のクラウドファンディングの進捗を追う日々。それまでずっとジーンズに触れてた時間を止めて、ひたすら自分のしたいことについて考える中で、今までお世話になった方々と合作の何かを作りたいと思うようになりました。

何を作ろうかと考えて思いついたのが、デニムの藍染を施した下駄です。実は僕、下駄も好きなんですよ。地元の大分が下駄の産地ということもあり、大分で買った下駄を大学で履いてました。ゲストハウス作り生活の中で、木を染めてインテリア家具を作っていたときに「下駄をデニムの藍染したら面白いんじゃないか」と思いついたのが、藍染下駄の始まりです。

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自分の大好きなものであるジーンズと下駄を掛け合わせた、間違いなく自分発の藍染下駄。これでたくさんの方に喜んでいただけるよう、尽力しています。

過去の自分に、どのような思いをもっていますか?

ちょっとはマシになってきたのではないかという気持ちはあります。が、一人前、一流なんてとんでもない。そこに行き着こうとしてるスタートにようやく立ったのではないかと思っている次第です。とはいえ、自分が思う一人前、一流だと思うかっこいい大人像は更新されていくはずです。だからこそ、都度変わっていくなりたい姿を実現するために、何にでも挑戦し続けている人でありたいと思います。自分の目標に向かい続けます。

昔の自分に向けてメッセージをお願いします

幼稚園の頃の君が描いていた夢は、絶対叶えるよ。サッカー選手にはなれないかもしれないけど、社長にはなってやるという気持ちです。ジーンズという世界においてはまだまだヒヨっ子ではありますが、自分発信のLEGITをやりきって、世の中に新しい価値を生み出すことから始めます。その積み重ねで、一番夢中な大人になっていきたいです。

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お世話になった方々へ向けて

『ジーンズ修行のために休学する』と決めてから、本当にたくさんの方々にお世話になりました。突然原付でやってきたにも関わらず、暖かく受け入れてくださったEVERY DENIMの山脇さん、島田さん。福山市で一緒に住ませてくださり、仕事もくださった小田デニム洗業の小田さん。デニム生地について教えてくださり、たくさんの工場の方々をご紹介くださった篠原テキスタイルの篠原さん。今回のプロジェクトのメインである下駄を作ってくださった、本野はきもの工業の本野さん。そして1年かけて育ててこられた藍を使わせてくださる藍屋テロワールのけんけんさん。みなさんのご助力のおかげで、今の僕があります。本当にお世話になりました。これからもぜひ、宜しくお願いいたします!

そして休学する前、ジーンズを自分の軸に据える後押しをしてくださった『Double Volante』の國吉さん。僕に会ってくださったとき「ジーンズで生きたい」と言ったら「絶対にやめた方がいい」と言ってくださったことが、ジーンズ修行に出る後押しとなりました。

本当に強い覚悟をもっていろんな苦難を乗り越えてこられたからこそ、そう言ってくださる姿がとてもかっこよかったです。自分も國吉さんのような大人になりたいと思っています。日本のジーンズを背負ってらっしゃる國吉さんは、僕の憧れです。

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ジーンズソムリエ授賞式のときの湯浅さん

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