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【1000字で雑記】紙袋を宝物と呼ぶ人の話【銭湯】

その日は最高気温27℃と、7月初旬並みの温かさだった。久々の浅草での買い物帰りに、汗を流そうと自宅最寄り駅の銭湯を訪れた。

買物の荷物が大きく脱衣所のロッカーに入らなかったため、番台で預かってもらえないか聞いてみることにした。顔見知りの番台のお母さんは、けして広くないスペースに紙袋を置くことを快く承諾してくれた。

番台から身を乗り出して差し渡し1メートルほどの紙袋を受け取る際に、お母さんはニコニコしながら「あら、宝物ね」と誰に言うでもなく呟いた。

宝物。

いい言葉だ。

その日買ったのは、個人経営の革製品の工房で作っている牛革のカバンだった。サイズ感や蝋引き革(仕上げに蝋を塗ることでマット感を出す技法)の質感が好みで、初めて見かけてから2年くらいずっと欲しかったのだが、ふっと思い切って買った品だった。

もちろんお母さんは袋の中身を見たわけではないので、私が何を買ったかなど知る由もないのだが、相手の持ち物に対してさらりと価値を認める発言ができること、そしてその表現ぶりが「宝物」というのはなんとも心地よい。

「IT」(イット)や「ミスト」で知られる米国の作家スティーブン・キングの代表作で、映画化もされた「スタンド・バイ・ミー」において、主人公は少年時代を述懐して、このように述べている。

「おのれの人生の中のよりよきものを、他人にたいせつにしてもらうのは、むずかしい」
 ー スティーヴン・キング著 山田順子訳「スタンド・バイ・ミー 恐怖の四季 秋冬編」新潮文庫・1987年

上のモノローグは、モノというより他者の価値観への理解と共感の難しさを示した表現といった方が適切なんだろうけど、高価な物を購入するときには、物に買った人なりのこだわりだったり、悩みに悩んだ末の意思決定だったり、そういった心の動きがまるんと乗っかってくるような気がする。

だからこそ他人の買い物や持ち物へのまなざしに共感するのは簡単ではないのだけれど、知らないなりに全部ひっくるめて肯定し尊重してくれるお母さんの姿勢がとても尊いものに感じられて、その日はつい長湯してしまった。

夜を迎えても気温は高くて、折角風呂に入ったのに帰り道でうっすら汗をかいてしまったけれど大丈夫。帰るだけだし、宝物もあるし。

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ここまでお読みくださりありがとうございました!

ちなみにここまで、丁度1000文字です。


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