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自由とはそんなにも薄っぺらいものだったのだろうか?

アメリカでは、ワクチン接種の義務化が長く議論されています。

バイデン政権はどうしてもワクチン接種を義務化したい方向のようです。ニューヨーク市はすべてのビジネスに、従業員のワクチン接種を義務化しました。

僕は義務化に反対なのですが、でもまあ、推進派の理屈も分からなくはありません。なるべく多くの人がワクチン接種を受ければ、それだけ早く集団免疫の獲得に近づくからです。つまり自分だけではなく、「みんなのため」を考えて、みんながワクチンを打とういうわけです。

しかしその一方で、若い男性にワクチンの副作用で心筋炎が起こるケースが少なからず指摘されています。その上若者は、そもそもコロナウィルスに罹患しても重症化するケースがほとんどありません。

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東京大学保健・健康推進本部保健センター「若年者と新型コロナウィルス感染症」より

だとすると、ワクチンを受ける方が良いのか、それとも何もしないで自然免疫の獲得を待った方がいいのか、なかなか判断が難しいところです。

みんなのために、個人の自由はどこまで制限されてしかるべきか?

ただ、世の中にはワクチン以外にも、「みんなのため」に個人の自由が制限されていることがたくさんあります。例えば、車を運転すれば制限速度がありますし、飲酒運転も禁止されています。また、シートベルトやヘルメットの着用なども義務化されています。だからこそ僕らは安心して車の運転ができるのです。ですから、「みんなのため」に、個人の自由がある程度制限されるのは仕方がないことである、という議論には一定の正当性があります。

ただ一度自由を手放してしまうと、それが戻ってくる事は未来永劫ないであろうことは、記憶しておく必要があります。

例をあげてみましょう。

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