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幸せ不幸せが決まるのは、脳内信号の解釈です

日本に帰ってくるたびに、僕は通勤を苦しく感じます。以前日本に住んでいた時にはは毎日片道1時間半も電車に揺られていたのに、以前はこんなふうに苦しく感じることはありませんでした。

あるいは仕事でフィリピンに行くと、ゴミが散らかった道路や大気汚染をありえないことのように感じます。ところが、現地の人はそれを特に苦しく思っているわけもありません。よく考えてみたら日本だって、僕が子供の頃にはポイ捨てや公害や交通事故が大きな社会問題だったのですが、当時の日本人は自分たちのことを不幸だとは感じていなかったのです。みんな、生活というのはそのようなものだと思ってなんとなくそのまま受け入れていました。実際に昭和40年〜50年代の自殺率を見てみると、今とは比較にならないほど低かったのです。

生活水準は今よりもはるかに低く、娯楽も少なく、交通事故は多く、光化学スモッグで子供がバタバタと倒れていた時の方が、今より幸せに感じていたというのはなんだか不思議な気がします。おそらく、未来は今よりも明るくなると多くの人が素直に信じることのできた社会だったのでしょうね。

しかし冷静に考えると本当に奇妙なことです。今とあの頃を比べると生活の質はどう考えても明らかに今の方が大幅に上です。当時は外食など特別な日しか行かず、ネットもスマホも存在せず、交通事故で1年に1万人以上もの人が亡くなっていました。スマホどころかファミレスもファーストフードもコンビニすらも存在しませんでした。1970年には交通事故死亡者数がなんと1万6765人にも達しましたが、この数字、現在の4.5倍です。逆に言うと、なぜ快適な現代を生きる僕らがここまで不幸に感じるのか、本当に謎だらけなのです。

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