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遠距離の人間関係は、可燃性の高い「危険物」です

数年前に、かつての憧れの女の子に再会したことがあります。最後に会ったのは僕がまだ23か25歳くらいの頃でしたから、なんだかんだ30年近く前のことです。ちょっと太めの、ごく普通のおばさんになっていました。正直言って同窓会に出席しなければよかったさえ思いましたが、おそらくそれは彼女の方も同じだったでしょう。思い出は思い出のままにしておくのが一番です。

なお、こうしたことは、30年も経たなくても簡単に起きます。例えば僕の母親は非常に厳しい人だったので、とにかく毎日叱られ通しで育ちました。ところがアメリカに留学していた5年間、2週間に1回くらいのペースでなんとも優しい言葉遣いのエアメールが届いたのです。書き出しはいつも「ヒロシちゃん、お元気ですか?」というようなものでした。しかし、現実の生活で「ヒロシちゃん」などと呼ばれたことはただの1度もなく、いつも「ヒロ!」と呼び捨てにされ、そう呼ばれたときはだいたい叱られるときか、何か言いつけられるときでした。ま、僕は飛び切りいうことを聞かず、成績も悲惨な子供でしたから、それはそれで仕方がないことです。

ところが4年間顔も見ずに、隔週で「ヒロシちゃん、お元気ですか?」で始まるメールを読み続けるうちに、母親がものすごく優しい人のような気がして来たのです。そして卒業後に実家に帰ったところ、帰国した次の日から小言を言われて、砂糖菓子のように甘い母親は、僕の妄想の中にしか住んでいないことに気がつきました。

この現象には、「結晶化」という名前が付いています。思い出の中で勝手に美化してしまう現象です。結構みなさんも体験があるのではないでしょうか? 別れた恋人を美化したり、昭和の時を懐かしんだりするのも、同じような心理ではないかと思います。どんなに懐かしんでも昭和は戻ってこないわけですが、だからこそ安心して美化できるとも言えます。

実際の昭和はその辺でおっさんが立ちションしてたり、タバコをスパスパと吸っていたり、日活ロマンポルノのポスターが堂々と街中に貼ってあったかなり微妙な時代だったわけですが、僕らはこうして脳内で都合よく美化して懐かしむわけです。横浜のラーメン博物館はそんな妄想を具現化した空間ですが、スモーカーも立ちションもヌードポスターも排除された、作り事の世界に過ぎません。ま、だからこそエンターテイメントとして成立するわけです。

さてこの「結晶化」、こんなふうに思い出の人や時代を美化するだけならいいんですが、実は結構しょうもないことも結晶化してくれます。なので、なかなか扱いが難しい代物なのです。

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