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古文作家 松井 浩一 の面白くてためになる古語と古典文法解説 第1回   「なむ」が終助詞か複合助動詞かによって「来なむ」の意味が変わる話

※注意喚起~ここは18禁の場面につながっていくところになります!(笑)
今回取り上げますのは、「来なむ」という言葉(文節)を構成している「なむ」が終助詞か複合助動詞かによって、意味が変わってくる事例です。一見すると同じ言葉なのに意味が変わってきてしまうんです。
 
この「来なむ」という言葉(文節)を単語に分解すると、
 ①「来」+「なむ」 
 ②「来」+「な」+「む」
の二通りに分解出来ます。

「来」はカ行変格活用の動詞です。
活用を示しますと、未然形「こ」連用形「き」終止形「く」連体形「くる」已然形「くれ」命令形「こ(こよ)」

そして①の場合は、「来」は未然形「こ」で、「なむ」は未然形に接続する終助詞「なむ」ということになります。
意味は「来てほしい」となり、終助詞「なむ」は願望の意味「~てほしい」になります。
 
②の場合は、「来」は連用形「き」で、「なむ」は完了の助動詞「ぬ」の未然形「な」+推量の助動詞「む」の終止形「む」ということになります。
「来」が連用形「き」なのは、完了の助動詞「ぬ」は連用形接続だからです。
また、完了の助動詞「ぬ」が未然形「な」となっているのは、推量の助動詞「む」は未然形接続だからです。

意味は確実な推量「きっと~だろう」ということで「きっと来るだろう」になります。

ここで下記の事例文(「苔の下道」80ページ3行から6行目)を見ていただけますでしょうか。事例文は拙著「苔の下道」から引用しております。

○「苔の下道」本文80ページ3行から6行目

 心づくるけしきなどつぶさに言ひやりても、かひなかりけるものと、思ひ寄るに、ただ愛敬づきてをかしげなるかたちこそよけれと言ひ立つれば、かくなる女こそ来ざれ、こと成らば良きに寄れる来(こ)なむ。なほせめてはよろしきに寄れる来(き)なむと、思ひまはして来む刻定めつ。

○「苔の下道」現代語訳81ページ4行から8行目

 好きな女の子のタイプなど細かく伝えても、その通りになる訳がないと思えるので、ただ愛嬌があってきれいな子が良いということを強調して伝えた。ここまで言っておけば、どうせ美人は期待できないとしても、うまくいけば、まあまあ良い女の子に来てほしいし、やはり少なくとも、何とか悪くはないタイプの女の子は寄こしてくれるだろうなどと、あれこれ考えながら女の子に来てもらう時間を決めた。

本文の太字で示してありますが、「来なむ」が2回出てきます。振り仮名をつければ違いは分かりますが、振り仮名がなければ同じ言葉(文節)に見えて違いが分かりません。もし振り仮名が無ければ前後の文章の意味の流れから違いを判断していくしかありません。ややこしいですよね。(笑)

そしてこの事例の場合は「来なむ」の「なむ」は複合助動詞として「まあまあ良い女の子が来るだろう」と訳しても意味は通らないこともないです。
ますますややこしい。(笑)

しかしこの場面は男性がホテルに大人のマッサージをしてくれる女性を呼ぼうとしている場面なので、やはり「来なむ」の「なむ」は終助詞で、「来てほしい」と訳すのが適当であると著者は思っております。
こういう時の男心は出来るだけ美人に近い子に来てほしいと願うものだからです。ですけどその望みは自分ではコントロールは出来ないことで、往々にして期待を裏切られてがっかりすることも多い。(笑)
だから手の届かない対象への願望に使われることが多い終助詞「なむ」による訳でもあるのです。

なお、後の「来なむ」の訳は「なむ」を確実な推量として訳しているのですが、「きっと来るだろう」と直訳はしないで「寄こしてくれるだろう」と意訳を入れています。



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