見出し画像

私のスパーク!「第3の大人」との出会いが人生を変えたというお話

こんにちは。数日前より、nobodyknows+「ココロオドル」の練習をはじめ、ついに一人でフルコーラス歌えるようになりました。どうも、まつのすけです。

「カナちゃんはとても貴重な経験をしていて、きっとその経験からくる言葉やアプローチを必要としている人はたくさんいると思う。ぜひ、中高生たちにも伝えていってほしい」

これは昨年末に、とある方と未来のこと、そしてこれまでの経験や自分のベースとなっている価値観などについて深く話す機会があった時、かけられた言葉です。

私は月に数回、青少年育成プラザMiacis(=ミアキス)のスタッフとして中高生と交流することがあります。そこで、今回の記事では少し毛色を変えて、中高生と接する中で気づいたことを、私が中高生時代に体験した実話を元にお話しようと思います。少し長くなりますが、しばしお付き合いいただけたら嬉しいです。(ショートカットしたい方は、3からどうぞ。)


1:はじめに…

中高生時代に出会った「2つ」のスパーク

私は中高生時代に、2つの大切な「スパーク」を見つけます。そして、それぞれのスパークで私の可能性を強く信じ、力強く後押ししてくれる「第三の大人」と出会い、人生の流れが大きく変わりました。

さて、この「2つ」のスパーク。どちらも希望に満ち溢れた状態からスタートしますが、全く異なる結末を迎えます。片や「その後の人生でしばらくトラウマとなる存在(ネガ)」に、片や「自分のアイデンティティとして寄り添う存在(ポジ)」となるのです。

少し大人になった今、それらを冷静に観察してみると「第三の大人」「第三の居場所」が、キーだったと感じています。何の因果か、これはミアキスが大切にしている考え方でもあります。これから、「中高生と関わっていく上で何かのヒントになるかもしれない」と、自身の中高生時代を振り返り気づいたことを、つらつらと書き連ねたいと思います。

少し前置きが長くなりましたが…まずは明るい話から。「ポジのスパーク」について綴ります。


そもそもスパークって何?

先ほどから何気なく連呼している「スパーク」という言葉ですが、いまいちピンとこない方もいると思うので、簡単に補足します。(既に知っている方は、スキップしてください)

スパークとは、誰もが持っている「感心、スキル、パッション、特別な資質」のことを指します。

平たくいうと、自分が夢中になれる「好き」「楽しい」を表現するものです。青少年育成プラザMiacisに関わるスタッフは、青少年との関わりの中で、中高生たちのスパークを発見し、成長につながるような機会を提供できるよう心がけています。

もっと知りたい!という方は、地域おこし協力隊でミアキススタッフのKenjiが、自身のnoteでとてもわかりやすく説明しているので、ぜひご覧ください。



2:憧れ→尊敬→私もなりたい→スパーク炸裂

さて、私が学生時代に出会った明るいスパークの正体…それは「音楽」から生まれます。中学1年生の時、何気なく耳にしたMDから流れてきたMr.Childrenの曲『蘇生』がきっかけでした。

ボーカルの桜井和寿が紡ぐ、人間の心の機微を比喩を用いて表現するところや、繊細で奥行きのある小説のような世界観に「世の中は、こんなにキレイな言葉で溢れているのか」と、聴けば聴くほど心を掴まれました。

今でも捨てられず手元に数枚残っています。

初めのうちは歌を聴きながら歌詞をノートに書き写し、作者が何を表現しているのか思いを巡らせる程度でしたが、いつしかその憧れは「桜井さんのように人の心を動かす詩を書きたい」という目標へと変わります。そう、高校2年生に上がる頃には「私の夢=作詞家」にまで膨らんでいたのでした。

そうと決めたらフットワークが軽いのが10代。ひたすら言葉を鬼のようにメモする日々のはじまりです。例え授業中だろうと言葉が浮かべばノートに、教科書に、テストの問題用紙に…時間も場所も選ばず、容赦無く何にでもメモを取っていました。

消えかけてますが当時使っていた電卓にも。
おそらくテスト中。恐ろしい執念です。

そして、大量のメモの中から気に入った言葉を選び出し、それをベースに詩の世界観を頭に描きながら、作詞専用のノートに一つの物語を完成させていきます。

誰かに披露するためのものではなく、ただの自己満足に過ぎませんでしたが、この作業が私にとって身も心も満たされる至福の時間でした。まさに「スパークの種」を見つけたのです。


3:子どもの夢を本気で信じてくれる大人の存在

山梨の音楽界でレジェンドと呼ばれる「第三の大人」との出会い

ターニングポイントは、それから数ヶ月後に訪れました。尺の関係でグッと端折りますが…
ひょんな事から、アコースティックギターなど触ったこともないのに、「わずか2週間で弾き語りライブのステージに立つ」という機会が与えられ、なんやかんやあって無事に乗り越えます。

そして、これをきっかけに音楽への情熱が高まりすぎて、親の目を盗みライブバーに足繁く通うようになってしまったのです。もう時効ですよね?

ハードボイルドすぎる

ある日、そのライブバーのカウンターで物腰の柔らかいダンディーなオジ様と出会い、気づけばいつも持ち歩いていた「歌詞ノート」を徐ろにテーブルに広げ、自分のこと、自身の詩の魅力や作詞家になりたいという夢について熱弁していました。(数分前に出会ったばかりだというのに…。)

その間おじ様は、私を馬鹿にすることなく、言葉を一切否定せず、ただただ優しい眼差しで話を受け止めてくれました。そして、ひとしきり話終えた私にたった一言、「じゃあ、俺がその詩に曲をつけるよ。」と、笑顔を見せます。続けざまに…

「いいかい、カナ。このノートは君の宝だよ。この詩を書き続けるということ、その情熱は、君にしかできないことなんだよ。陸上競技で酸いも甘いも色んな経験をしてきた君だから、伝えられる言葉がある。だから、どうかそのままの君で、ずっと詩を書き続けてほしい。」
今でも忘れない小野さんの熱い言葉


これが「第三の大人」小野英明さんとの出会いでした。

この時の、驚きと嬉しさが同時に湧き上がり、進むべき道を照らす一筋の光が見えた感覚を、今でも鮮明に覚えています。

小野英明さんは、1999年に結成された、英詞、和詞、インストを織り交ぜ、ロック、ソウル、ファンク、ジャズなど様々なジャンルを吸収したミクスチャーバンド『Lost Color People』のボーカルギター。2008年7月に、パリで開催された『Japan Expo 2008』に雅-miyavi-、Ra:IN、Machine、SCANDAL、AciD FLavoRらとともに招待された華々しい経歴を持っています。
ウィキペディアより引用


無名の高校生が作詞家デビュー?

小野さんに詩を託し作曲をお願いしてから数日後。「カナ、本当にいい詩だ…。曲ができたよ聞いてくれるかい?」と吉報が届きます。その時、誕生したのが「デイリードラマ」という曲でした。

(↓たまたま、3年前にカメラマンとして訪れたライブで、飛び入り参加した時の動画がありました。ちょうど前説で小野さんと、スパークについて語っていたので置いておきます。)

デイリードラマが曲として完成した時、私の心はとても満たされ「この道に進んでいいいんだ」という、強い自信が芽生えました。

そして、小野さんが自身のライブで、この歌を大切に歌い継いでくださり、いつしか県内で活動しているシンガーソングライターたちに「デイリードラマの子」として認知され、声をかけてもらえるようにもなります。

また、小野さんと出会ったライブバーは「第三の居場所」として、高校時代から今日まで、私にシンガーソングライターとして「表現する場」を与えてくれたのです。

私の可能性を誰よりも信じてくれた「小野さん」という、かけがえのない存在との出会いが「想いを言葉にする」という喜びと経験を…私のスパークを引き出してくれたのでした。

小野さんは「ひねくれもの」という詩にも作曲をつけてくださり、デイリードラマと共に自身のミニアルバムに収録してくださいました。
この記事を読んだ方の中で「何を大げさな」と思われる方もいるかもしれませんので、念のため補足します。
この頃は、ガラケーが主流で、ようやくパケホーダイという概念が生まれた時代です。当然、SNSもなければ、グーグルも今ほど活躍していません。山梨という田舎に住み、移動手段はもっぱら自転車で、お小遣いも僅かです。そんな時代を生きる高校生には、とても刺激的な交流であり、とても勇気の必要な行動だったことをご理解ください。


スパークの影響力、その後の進路にもチラリ

1年後、大学生になった私は作曲も手がけるようになります。すると、小野さんから「カナの可能性がもっと広がるように」と、自身がプロデュースする『タテタカコ ワンマンツアー in 山梨』で、オープニングアクトという大役を任されたのでした。今思うと、とんでもない経験です。

小野さんのご厚意でいただいた記念のノート

また、大学で所属していた音楽サークルでは、学園祭に合わせてオリジナルソングのバンド「Cadd9(シーアド)」を期間限定で結成したりもしました。

青春全開な歌詞なので改めて聴くと恥ずかしいのですが、当時のメンバーがアップしたライブ映像を偶然見つけたので、こちらも置いておきます(笑)。短期間の練習かつ期間限定バンドの演奏なので、暖かい目で観ていただけたら嬉しいです。

就職という2文字を頻繁に見聞きする頃になると、作詞家という夢を諦めてしまいますが「言葉が好き」ということに気づいた私は、進路を選択する時もぶれませんでした。「文字がもつ無限の可能性で人の心を動かしたい」と、出版社に的を絞り就職活動を進めます。

その後、出版社に勤務 → ライター → 編集者・広報 と、紆余曲折ありましたが一貫して「言葉を扱う」お仕事に携わることになります。中高生の時のスパークが、今でも自分の人生を選択する時の大きな支えとなっていることにとても驚きました。

ちなみに、現在の私はまったく音楽活動をしていませんが、今でもひっそり歌詞を書き溜めていて、どこかのタイミングでカタチにしようと企んでいます。

4:スパークを大切に見守り、優しく導く存在に

小野さんと出会い、想いを言葉やカタチにする感動を知らなければ、今頃はまったく違う人生を歩んでいたかもしれません。もしかしたら、河原部社にもいないかもしれません。

見ず知らずの子どもの話を真剣に聞き導いてくれる、心ある大人との出会いがどれだけ大切か。そして、そんな大人たちから投げかけられる一言が、その振る舞いが…どれだけ子どもたちの心に響き、大きな支えやエネルギーとなるのか身を以て知ることができました。

社会人2年目に小野さんと再会し一緒にデイリードラマ

あの時、もし小野さんではなく別の方に相談し「夢なんて叶わない」「稚拙な歌詞だ、よく人に見せれるな」など、心ない一言をかけられていたら…
大袈裟かもしれませんが、きっと歌詞ノートを燃やし、目標を持つことさえも諦める大人になっていたかもしれません。

だからこそ、中高生たちが自らの可能性を信じ、自分の意思で前へと進んでいくサポートができるよう、ミアキスのスタッフとして丁寧に言葉を選び真剣に向き合っていきたい。そして、私にとっての小野さんのような存在になれたら…そう願いつつ交流していきたいと思っています。

少し雑な結びになってしまいましたが…どこかのタイミングで「ネガのスパーク」についても綴ろうと思っているので、この話の続きはその時にでも。最後まで、思い出話にお付き合いいただき、ありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?