それってギャンブル依存症と変わらなくない?

娘の保育園の卒園式で思ったんだけど、
やはり用意された感動よりも
ふとした人との繋がりみたいなものへの感動のほうが、印象が強く残るなあ、と。

「楽しかった!運動会!」
「運動会!」

てきないつものよくある卒業関連の催し。
練習されたものでの作られたものより、

終わったあとの先生たちとこどもたちの「よくがんばったね〜!」と心からのハグをしていたところに私は感動してしまった。

さてさて、話は本題へ。。。

最近まじで思うのが、

「やっぱ人間って、本能には勝てないよなあ」てこと。

どんな味付けやこだわった料理よりも、
焼いて塩コショウかけただけの料理のほうがうまく感じたり、と

本能的に野性的に、うおおおお!!!ってなる瞬間がふとした生活のなかにたくさんあるんだけど、
やっぱそこには勝てないな、と。


最近よく長女と長男が楽しそうに2人で遊んでるのを見るんだけど、

「あ、俺ってこの景色見るために生まれてきたんだ」
「この景色見るために今まで生きてきたんだ」

って自分でもこんな感情あるんだってびっくりするくらいの心が動くことが起きてる。

どんな趣味も

どんなファッションも

どんな仕事も

なんでもそうだけど、

本能的には結局「自分の子孫を残すため」という本能に繋がってる。

これはやっぱり間違いがないんだ。

何万年も前の人間も

今生きている人たちも

同じ仕組みの人間なんだよね。

何万年も前の人間が

「未来のこどもたちが野球で幸せになれますよに」

とか

「ギャンブルで幸せになりますように」

みたいなことは思っていないわけで。

結局のところ、本能的に生き物として、子孫繁栄のために動いてる。

つまりは、趣味もファッションも仕事もギャンブルも野球も、なにもかも、それらは

手段

であって、

ほんとうの目的ではないんよね。


もしその子孫繁栄の手段が生きる目的となっているのなら、それは実は洗脳や依存に近いもので、

ギャンブルのために生きてます!

みたいな人と

野球のために生きてます!

みたいな人の違いは無くなってくる。


生き物は必ず「死」があるからこそ、

子孫繁栄のために生きる、そのための手段が今の時代、たくさんあるだけ。

ほんとただそれだけなんだな、と思う。

勿論のこと異論はあるだろうし、

いろんな生き方がある時代ではあるけれども、

私の思う主観としてはそんなところかな、と。

楽しい趣味がたくさんうまれてくる
子孫繁栄の手段の選択肢が多いこの時代に

「こどもなんていらない」と言う人たちは増えるけれど、

それって、時代の産物に

洗脳されてるよ。
依存してるよ。 

って思うんだよね。

あなたのしているそれって、
ギャンブル依存症と変わらなくない?

では。

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