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[解説]なぜ日本語での作詞は難しいのか? 〜日本語の構造から考えてみた〜

こんにちは。
地方都市中の地方都市、徳島市でデザイン仕事をしながら音楽をやっております。

日本語作詞の構造的難点について

つくづく思うんですが、ジャズやロック、ポップス、R&B等の、もともとが英語圏から生まれた音楽に対して日本語詞を載せることは本当に難しいと思います。

やはりそういった西洋で発生したリズム・譜割りの音楽に対しては英語詞を載せる方が圧倒的にです。楽というか、そもそもがそういう風に作られているように感じます。

もちろん英語以外の言語の音楽も無数にあるんですが、もうそんなん言い出したらえらいことなんで今回は「英語 VS 日本語」で考えますね。
言語学ってややこしいこと言い出したら無限にヤヴァイ領域なので、できるだけ簡単に。

とにかく、この後詳しく書きますが、はっきり言って日本語は言語の構造特性として「西洋のミュージシャンと同じように西洋音楽のリズムに載せる」というのはあまり「向いてはいない」と思っています。

しかし美しい日本語歌詞は確実にありますし、どうにか日本語を使って西洋のビート感に載せているミュージシャンもいます。また、日本語独特の節回しに海外のミュージシャンが魅力を感じることもあると、最近はよく聞くようになりました。

今回は、日本語という特殊な言語を、西洋生まれの音楽に載せる「歌詞」として扱う時にどういう難しさがあって、僕がどういう風にいつも悩んでいるのかをできるだけ誰にでもわかるように明文化して解説したいと思います。

「構造上なにがどう難しいのか」をある程度わかっていれば、日本語での作詞の進め方も少しはスムーズになるのではないかと思います。ミュージシャンの皆様の一助になれば幸いです。

難点その1:日本語は「長い」し「遅い」

言語学的なややこしいことは、ある程度すっ飛ばします。
日本語が母音と子音からできてる、とかその辺のことはわかってくださってると思って書いています。

とにかく日本語って子音単体の発音が基本的にない構造であるため(本当はありますが)、その文が意味をなすために必要な音(母音)の量が英語等よりもめちゃくちゃ多い言語です。

「文字の数」じゃなく「音の数」です。「音節・音符の数」と言った方がいいかもしれません。(本当は「モーラ」というワードを使うべきだしもっと細かく分類すべきなんですが、邪魔くさいのでわかりやすく「音」でいきます)

簡単なとこだと、英語で「私は」と言いたければ「I」の一音ですみますが、日本語では「ワタシハ」と4音必要です。
っていうか、「I’m」ですら一音でいけます。

例えば今井美樹さんが「わたしはいま~~」って言ってる間に、英語だと「I’m looking for the star」(私は星を探している)ってとこまで言えてしまうんですね。

では、同じ曲の英語歌詞と日本語歌詞を並べて比較してみたいと思います。

《 例:A Whole New World  》

◆英語歌詞

A whole new world(直訳→全く新しい世界だ)
A new fantastic point of view(直訳→新しくて素晴らしい眺めだ)

有名なこの曲ですが、それでは日本語で歌われるために翻訳された歌詞だとどうなるでしょうか。
ミュージカル映画の劇中歌なので意味をあまり大きく「意訳」してしまうと、ストーリーがわからなくなってしまいます。したがって、できるだけ原曲(英語詞)の歌詞の意味を変えるわけにはいかないはずです。
(新しい訳詞もあるみたいですが、それはそのまま英語詞を使ってるので、日本語に訳された昔のやつです)

◆日本語歌詞

大空
雲は美しく

こんだけ!!!!!

例はいくらでもあります。もし興味があれば和訳がある歌を聴いてみてください。
日本語歌詞がどれだけ省略され、抽象化されているかがわかるかと思います。
(例えば、「アナと雪の女王」や「デイ・ドリーム・ビリーバー」とか)

あるいは逆にこんなのも。英語に訳す場合にはいろいろと足して「抽象的な日本語」を盛っていかないといけないんです。

作詞した永六輔は一回も「愛」については言及していないのですが、余裕で「Love」って言っちゃう感じ。抽象的な表現をザクっと具体化されちゃう感じ。

別になにも、どっちが優れてる/劣ってるって言いたいわけじゃないです。
「いちいち全部言ってるとめっちゃ長いし遅い」っていうのが日本語という言語の特徴ですし、「全部言う」っていうのが英語の特徴なんです。
(言語学の先生に言われせばもっといい表現があると思いますが笑)

日本語は「省略ありき」

日本語は「いちいち全部言ってるとめっちゃ長いし遅い」ため、常に「省略」される言語です。

特に、主語と目的語が省略されます。
例えば英語で

I love you

これをそのまんま全部訳すと

私はあなたを愛している

ですが、そんな風に言わないですよね。

愛してる

だけになります。
目的語をはっきりと言うのは、「省略できない」時だけです
目の前の人に、別の誰かを愛していると伝える時には省略できませんから

I love him →【彼を】愛してる

と言わなくてはなりません。

ところで、高校の古文を真面目に勉強していた人なら、こういう解説文を目にしたことがあると思います。
「主語が省略されているので誰が主語になっているのか注意して読みましょう」

そして思ったはずです。
いや、主語言えや、わかるか、と。

しかし古文を書いてた紫式部や清少納言からしたら「お前らかて省略しとるやんけ」と思っているでしょう。

友達に「今度ラウンドワンいきたいね」ってLINEするとしますわな。
ほら、主語言ってない。英語だったら

I’d like to go ROUND-ONE next time 

って言うと思います。よっぽどくだけた言い回しでないと主語(I)は省略されません。(若者言葉で [Wanna go ~~]とかは言ったりしますけどね)

この「いちいち全部言うてたらワヤですわ」という言語であるからこそ、日本語には「省略」という美学が生まれたのではないかと僕は想像しています。

「以心伝心」「空気を読む」という日本で重視される文化とか「全部見せるのは粋じゃない」とか「侘び寂び」的な精神性みたいなものも、実はこういうところから醸成されてきた部分があるんじゃないか、と。

あと、日本人がやたら言葉を「短く」したがるのも。
「さようなら」は「さようならばこれにて失礼いたします」の略ですし、「スマホ」とか「アラサー」とか「キムタク」とか。

日本語の詩句

この傾向は日本語による詩句、短歌や俳句において顕著です。絶対にいちいち「私は」なんて言わないですよね。4文字(=4音)も使うので。

前述したように「省略」し倒します。
全部言うてたら邪魔臭いしカッコ悪いので、少ない言葉で意味が伝わるように、言葉を探し抜き磨き抜くわけです。「てにをは」の一文字だけでも全く意味が変わります。

また、5・7・5というフォーマットにいれることができるのは「音の数を数えることができる」日本語だからこそできることです。日本語はほぼ「文字の数」=「音の数」だから、これができるんです。

【あ・い・し・て・る】は5文字で5音です

英語では違います。

【I love you so much】は、めんどいので何文字か数えませんが、5音でいけます。音符5つです。ドレミファソ~で歌えるっしょ。

【Please hold on me tight】これでも音5つです。

英語で俳句もできないことはないでしょうが、一般化するにはちょっとわかりにくいですよね。文字じゃなくて「音節」ですから。
日本語が、ある意味「平坦な音韻」の言語だからこそできる文化ではないかと思います。

あ、一応英語の俳句という文化もあるそうです。
こんな感じ。

Spring is here
Buds opening up
I got new shoes

「速く聞こえる」言語

実は日本語は、世界でも1、2を争う「速い言語」なのだそうです。外国の人からすると、めちゃくちゃ早口で話しているように聞こえるのだとか。

本文の最初で「日本語は長い、遅い」と書いているので矛盾してると思われるかもしれませんが、ちゃいます。矛盾してません。
「日本語はそのまま歌い言葉にすると長くなる」もしくは「全部言うと長い、意味伝達が遅い」ということです。

前述の通り、日本語は意味をなすために必要な「発音」の量(母音の量)が、同じ意味内容の英語等のセンテンスに比べて非常に多い言語です。
したがって、歌唱言葉として (そのまんま)音符に乗せていくと、意味をなすまでにたくさん音が必要です。

話し言葉では、それをギュッと詰め込みます。それが外国人からするとものすごく早く聞こえるわけです。
そして早口プラス、多くの主語や目的語を省略することによって、即座に情報をやりとりせねばならない日常会話のスピードを保っているということです。

そしてまた、日本語の発音は(現代の若者言葉では特に)英語に比べて「平板」だと言われています。抑揚が少ない言語を、ダダダダ〜と話すと、余計に早く聞こえる(聞き取りにくい)のだろうと想像できます。

どうしよう?

この「日本語はいちいち長くなるし遅くなる」ということに対してどうすればいいかというと、それはすでに答えが出ています。

俳句や短歌と同じように「省略」し、「てにをは」にまで気を配って「言葉を磨き抜く」ことしかないと思います。
そのためには当然「比喩」が必要ですし「暗示」や「行間」と言った部分まで気を配って「言外」の意味を組み込んでいかなければいけません。

「比喩」というものが何のためにあるのかについては改めて書きたいと思っているのですが、要するに比喩とは、膨大な情報量をたった一言で片付け、しかも想像力を掻き立てて意味を自由に付加できる「抽象化」の魔法です。

「赤くて丸くてつるつるで瑞々しい」なんてダラダラ言ってられない時に「りんごのような」と変換することで短くした上にイメージを増幅させられる魔法のツールです。

さて、以前書いたコラム「なぜありきたりな歌詞を書いてはいけないのか」では

芸術の根源的な目的である【共感】(意識外での理解)を得るためにはオリジナルの視点と表現でなければ意味がない

というような結論を置きましたが、今回の文脈からこの問いに答えるならば

日本語の歌詞ではありきたりな(無駄な)ことを言っている余裕はないぞ

ということになります。

作詞者が伝えたい表現を観賞者に届けるためには、音符を隅々まで、できるだけ自分のオリジナルの表現のために使い切らなければ、「翼広げて」とか「瞳を閉じて」とか、わけのわからんことを言うてお茶を濁してる余裕はないわけです。

(英語なら、音符がそんなになくても単語を入れられますからOh baby! とか Come on!とか適当に入れても割とサマになりますよね)

ただし、余裕がないからと言ってただ「詰め込めばいい」というわけでもありません。
どこまで想像させるか、どこまでをこちら側、どこからを聞き手に描いてもらうか、抽象性の配分を作らねばなりません。
そしてもちろん音数や音程による制限があります。

そういう細かい作業をしなければいけないのに、特に意味もなくなんとなく「果てしない~~」とか「いつまでも~~」で5音も使ってる余裕はないってこってす。

ではここで、とある革命家をご紹介します。
本来「長くなる・遅くなる」はずの日本語を、歌い言葉でもまるで話し言葉のようなスピードで違和感なく、ものすごい密度で歌い上げることができる、音韻選び・言葉選びの天才を今、我々は目撃しています。

なぜ彼の楽曲がこれほどまでに「快楽的」であり「耳に入ってくる」のかが、ここまでを読んでいただいた方にはよくわかるかと思います。


難点その2:印象的な「一発フレーズ」をつくりにくい

ここまでで説明した通り、日本語は意味を成すために必要な「音(符)数」が多い言語です。意味に対して音コストがかかるわけです。

したがって何が起こるかと言うと…

これ!という、端的で印象的で、繰り返せるような一言、または「文」を歌詞に載せるのが非常に難しくなります。

別に普通に、流れの中で歌詞を書く分には頑張って文字数に照らして意味を考えていけばいいのですが、今問題にしてるのは「リフレインできるような短くて印象的なフレーズ」です。

英語なら3音とか5音くらいあれば、オリジナルのワードやセンテンスをビシっと言うことができます。その曲の世界観を一言で表すような決め台詞ですね。

Smoke on the waterとか、Stand by meとか。

例えばこんな風に↓↓↓↓

Be-cause I’m ha-ppy (5音)
なぜなら僕は幸せだから~~~

Ye-llow Sub-ma-rine(5音)
黄色い潜水艦~~~

そういえば昔、水前寺清子によるカバーがありました。「あ、せっんすっいかん〜〜」っていう。
「黄色い」ことには触れなくていいのか、と子供心に思いました(笑)

前回も出てきたアラジンの主題歌「A Whole New World 」
これは日本語に訳すにしても本来ならば絶対に外せないワードですよね。「全く新しい世界だわ!」って、絨毯に乗って空を飛びながら歌うわけですから。

でも英語なら4音でいけるところを「全く新しい世界だわ~~」って、これ何音?まぁええわ。長い!!!! おさまらんでしょ。冗長でしょ。

「音コスト」がかかる日本語では、3〜5音程度でつくれるのは、ほぼ「単語だけ」「文節だけ」ということになります。

例えば海援隊の「贈る言葉」の冒頭には「暮れなずむ」という美しい表現があります。
これは5音なのですが、この「くれなずむ」だけを独立してポンと置いても、意味がよくわかりません。

暮れなずむ〜 暮れなずむ〜 暮れなずむ〜 

ってリピートされても全く意味が作れません(笑)
先ほど例に出した「Because I'm happy」のように、意味を完結させられないのです。

印象的な「一発フレーズ」を作るには

そこで、日本のポップスターたちはどうしてきたかと言いますと、もちろん日本語を駆使して素晴らしい歌詞がたくさん作られて来ましたが、実は多用されている、すごく簡単な解法があります。

それは「もう英語で言っちゃう」です。

日本語ではよっぽど用意周到に言葉を選び抜いたり、時には造語を作ったりしなければ表現しきれない「大量の意味」を、英語を使うことによってたった数音にこめることができ、リフレインでき、そのまんまその楽曲のキーワードにできるわけです。

マセたガキだった頃は「なんで急に英語になるねんwww」とか生意気なこと言うてましたが、ちゃんと理由があったんですね。

でももちろん日本語を使って、短くとも意味のこもった(こもっていそうな)ビシッとしたオリジナルの完結した「一発フレーズ」を作り出す人もいます。

これはもはや「コピーライター」の領域だと思います。

メロディーに乗せて口を動かして、どれだけ印象的なワンフレーズが出てくるか。
奇跡が起きるのを待つような作業です。
僕自身は日本語でこういうビシッとしたフレーズがでてきたことはまだないですね。恥ずかしながら。これは今後やっていきたいところです。

あとこんなのも?

(あ、これ英語かw)

難点その3:単語の中に音程がある

英語でも長い単語であればそうなることもあるんですが日本語では特に、基本的に単語が一文字一文字バラバラになってしまいますから、ほぼ必ず「1単語の中で音程がある」という状態になります。

したがって常に、単語のアクセントを気にしながら言葉を選んでいかなくてはいけません。
英語なら、一音一音節(短い単語なら一単語)なので、どんなに起伏のあるメロデイでも大抵は違和感なく歌うことができます。

I↑ love ↓ you↑
だろうが

I↓ love↑ you↓
だろうが、その文章の意味自体がイントネーションによって崩れることはありません。
文の意味がメロディーによって干渉されるということが(ほぼ)ない、ということになります。

しかし日本語では

【は↓し↑】 なのか、【は↑し↓】なのかで、【橋】と【箸】がごっちゃになってしまいます。もしくは関西弁になってしまいます。

「晴れ」→「ハーレー(ダビッドソン)」
「雲」→「蜘蛛」

とかね。

【靴を履いて】出かけたいのに、【靴を吐いて】出かけてしまったり。

つまり日本語の歌詞では音数がハマるかだけでなく、音程の上下も気にしながら言葉を拾っていく必要があるのです。

これの解決法は・・・ありません。笑

違和感がない言葉をひたすら探したり、組み替えたりし続けるだけです。
もしくは詞と曲を同時に作っていくかです。
そもそも、意味が伝わる限り、必ず話し言葉と同じアクセント・イントネーションにならなければいけないわけでもありません。歌なんだから。
問題は上記のように、違う言葉に聞こえちゃう場合です笑

とりあえず難点はこれくらいにしときます

難点は挙げようと思えばまだまだあるんですが、僕の音楽的知識では説明が難しくなって来たのでこの辺でやめときます。

ここからは、日本語歌詞の難点を独特の方法で乗り越え、自らのオリジナリティとして昇華しているミュージシャンについて書きたいと思います。

 

英語のような日本語歌詞

桑田佳祐さんといえば、その独特の歌唱法で知られ、モノマネの定番にもなっています。
彼がなぜあのような独特の歌唱法、節回しになったかと言うと、それは彼が「日本語を英語のように扱っているから」だと言うのは有名な話です。

わざと英語に聞こえるように日本語で遊んだりもします(逆空耳アワー)。例えば「Skip beat=スケベ」とか。

彼の作る歌詞とメロディーは、日本語であるにも関わらず「一音に一文字」でない場合が多く見られます。

‎顕著な例として【太陽は罪な奴】のサビ部分を、一音(音節)ごとに切って行きます。

※サザンの曲は全くyoutube上がってないので、こちらで再生してみてください。

こう/きあつ/は/ビー/ナス/たち/の/こう/さ/て~~~ん/
あい/よく/に/とー/き/めー/く/STA/GE/

この【きあつ】のところ、すごくないですか? 一音に3文字ものってるんです、日本語なのに。ていうか他のところも【こう】【ナス】【たち】とか、平気で2音ずつのってます。

これがなぜできるかと言うと、桑田佳祐さんは【二重母音】と【子音だけでわかる発音】を知り尽くしているからだと思います。
(別にそれ自体は歌詞の作り方として珍しいことではありません。どれだけ多用しているかです)

「二重母音」と「子音だけでわかる発音」

二重母音とは要するに母音が連続する単語のことで、上記の歌詞に出てくるものだと

こう【KOU】
あい【AI】

がそれに当たります。

他にも適当に上げてみると「苦い」【NIGAI】のAIの部分とか、「使命」【SHIMEI】のEIの部分がそうです。「見える」「期待」「態度」「会話」とまぁいろいろ出てきます。

で、二重母音を使うと、母音単体の部分は前の音とまとめてしまうことが可能になります。

上記の中でも「こう【KOU】きあつ」は「こーきぁっ」になっていると思いますが、この「こう」が「こー」になるのを「二重母音の長音化」と言います。
実はこの二重母音の長音化は、我々の日常会話では当たり前です。
例えば動物の「ゾウ」を「ZO-U」と、ウの部分をはっきりという人はいないと思います。「ぞー」って言ってるはず。
(笑い飯の漫才で「かわいそうなゾウ」ってのがありましたね・・・。西田さんが「ゾー」ではなく「ゾウ」って言うやつ)

また【子音だけでわかる発音】も同様に、前の音と一緒にまとめて「一音節」にすることができます。

例えば「つ」【tz】「ち」【ch】、「す」【s】、「く」【k】、し【sh】などが上げられます。

この曲ですごいのは「きあつ」部分です。
まず「きあ」で二重母音、そのうえ「つ」は【tz】で、ググッと一音に収めることができます。
【KIATSU】ではなく【Kiatz】と言ってる感じですね。

他にも例えばファックスっていう単語は1音でいけます。
【FA-KKU-SU】ではなく【Faks】と言う具合に。

今あなた、騙されましたね。ファックスって英語ですから!!!当たり前でしょうが!!!

日本語でいうと例えば「理屈」を【RI-KU-TSU】ではなく【Riktz】と発音すれば一音に収めることができますね。他にも「小突く」「記憶」「タイツ」「バイク」などで可能かと思います。まぁ、後半英語やけどな。

このようにして桑田佳祐さんは、ものすごく選択肢の少ない中から二重母音や「つ」「す」「く」(他にもありますよ)といった音が含まれた単語を選びとって、ある程度歌詞の意味をないがしろにすることもありながらも、英語っぽい音韻のビート感を「発明」したわけです。
(サザンの歌詞は冷静に読むと意味がほぼわかりません笑 それも桑田マジックです)

「きあつ」の部分を歌ってみると、昔ながらの日本語的な歌い方でないことがよくわかると思います。
ちょっと桑田佳祐のモノマネをしてるような気になりませんか?
それが桑田佳祐のあの独特の歌唱法の理由だと、僕は考えています。彼はこういう、一音にグッと単語を詰め込んで海外の8ビート的な言葉のリズム感を得るために、あのような歌い方になったのだと思います。

そこだけ急に洋楽っぽい歌い方になってもおかしいので、普通に一音一文字のところも、グネグネと揺れるような、日本語的でない発音で歌うことで全体がスムーズに、一連の「クセ」として流れるようにしているのだろう、と。

※そういうビート感+日本の歌謡曲的なメロディーのハイブリッドであることが、サザンや桑田佳祐の魅力だと言えると思います。

一見ただ変な歌い方で個性を出しているように見える(失礼)ボーカリストにもそういう理由があるのだというのがわかっていただけたかと思います。

もちろん彼らもそればっかりやってるわけではないですが。全部二重母音とか子音にしてたら歌詞なんて書けないっすから。
でもポイントポイントでこういうテクニックを入れることで、日本語をロックやポップスのビート感に近づけられるという方法論です。

他のミュージシャンも一応

他にも、特徴的な人物を紹介しておきます。

せい/ちょう/し/ない/って/や/く/そ/く/じゃん/
(中略)
あい/の(ぅ)/さい/のう/ない/の(ぅ)/
い/ま/も/べん/きょう/ちゅう/よ/そうる/

で、こういう、二重母音や子音だけの発音を巧みに扱った、「日本語歌詞を英語のようにメロディーに載せる」テクニックの極致が、こちらになっております。

別に、こういう歌詞の乗せ方が優れているなどというわけではなく、日本のポップソングの歴史の中で生まれてきたひとつの方法論です。

日本語を日本語として歌う

逆に、フジファブリックの志村さんという人はあえて昔ながらの日本語歌唱的な一音一文字のリズム感で歌詞を設計することが多いように感じます。
彼の一文字一文字区切るような、あるいはのっぺりとした歌い方が日本人の心に染み入るような気がするのはそういう節回しによるところもあるのではないでしょうか。
できるだけテンポの速い曲を探してきました。このサビの部分を一音ずつに分けてみます。

ば/く/ば/く/なっ/て/る/こ/どう/
た/び/の/は/じ/ま/り/の/あ/い/ず/さ/
こ/れ/か/ら/まっ/て/る/せ/かい/
ぼ/く/の/む/ね/は/お/ど/ら/さ/れ/る/

ほぼすべて一音一文字になっているのがわかると思います。

一音二文字になっているのは「鼓動」【KODOU】のOUと「世界」【SEKAI】のAI の二重母音が2回だけです。それから「なっ」などの小さい「っ」(促音)だけです。

合図【AIZU】のところだって【Aiz】を一音に収めることもできますが、それはしていません。

桑田佳祐さんが多用する【子音だけでわかる発音】のはずの「ばくばく」とか「ぼく」の【k】もしっかり一音与えて発音しています。

こういう、日本語っぽい歌詞の乗せ方をする人として思いつくのは、例えばスピッツ、aiko、奥田民生なんかがあげられるかなと思います。

いやまぁ、何度も言いますが全部がそうだとも言えないんで、なんとなくの傾向ですけどね。ちゃんと研究してる人がたぶんおると思うんで、興味があれば探してみてください。

歌詞をそういう風に考察してみると意外と面白いよってことで、参考にしてみてください。

例えばこの曲は歌詞をほぼ全て1音1音くっきり発音しながら、行の最後だけが全て二重母音になってます。

「雨降りでも気にしない」の【ない】(ai)のとこです。

あーむずい

現代において我々が作る、聞く音楽のほとんどがルーツを西洋にもつ、もしくは影響を受けているものだと思います。

ジャパニーズメロコアでもシティポップでもフォークでも、その系譜において完全に海外アーティストを無視することは不可能なはずです。
しかし、英語を基準にして成立しているビート感に対して日本語を、何も考えずに単純に音符に一文字一文字「当てはめていく」だけだと、なんだかチープで非常に情報量の少ない歌詞になってしまうというのは先に出した例によって明らかかと思います。
日本語で使える音数は非常に限られているのです。

で、どうすればいいかと言うと、個別の難点についてはいくつかの対処法があり、その一例は既に示しました。
で、桑田佳祐や、もっと遡れば「はっぴぃえんど」が、様々な「日本語の音節の処理」について頭を悩ませ、発明を繰り返してきたわけです。
そして現在、我々は米津玄師という日本語歌唱の革命家を目撃している真っ最中です。

あるいは、俳句や短歌のようにしっかりと言葉を練りこんで、たとえガチガチに一音に一文字であろうとも魅力的な歌詞を書いている人が志村さんをはじめ、確実にいます。

楽譜に起こせないボーカルの魅力

先ほど例に出した『太陽は罪な奴』のサビの部分、あるいは米津玄師のスピーディーな【二重母音】や【子音だけでわかる発音】の部分を楽譜に起こしたとして、それだけでは本人がどういう風に歌っているのか、実際に聞かないとわからなくなってきます。

したがってこれらの曲が音楽の教科書に載ることはないでしょう。歌い方がわからないのだから。

お年寄りが「今の曲は難しい」と言う理由のひとつは、そういうところにあると思います。
「さ/く/ら/さ/く/ら」とか「う/さ/ぎ/お/い/し」に慣れ親しんだ人からしたらサザンやミスチル、宇多田、米津、もしくはラップ等の、一つの音符にいくつも文字が入るような音楽は理解しがたいものだろうと思います。

そういや中学校の時、卒業式でなぜかMr.Childrenの「終わりなき旅」を歌わされたんですが、あれはなんだったんでしょう。・・・・あれ、なんだったんですか?マジで。
親に「なんであんな難しい曲歌ってたん?」って聞かれて「知らんがな」と答えたのを覚えています。

一方で「贈る言葉」とか「サライ」は、それこそこの曲を聞いたことがない人でも楽譜が読めれば歌えると思います。

ただし、やっぱり、「贈る言葉」も武田鉄矢が歌うと「やっぱこれこれ」と思います。あのタメやしゃくりがあってこその、ボーカリストとしての武田鉄矢なのだろう、と。

そういう、楽譜に起こせない息遣いや癖といったところにボーカリストの魅力がでるのだろうと思っています。そして歌詞という文字をどれだけ音声に変換して歌い上げることができるか。

くぅれ〜〜なずぅ〜んむ〜〜まぁちぃんの〜〜〜ぅお

(実際に聞くと意外とあっさり歌っているパターンのやつ)

このへんで終わります

なんかよくわからない結びになってしまいましたが、最後に、ある人物を紹介して終わりたいと思います。紹介も何もって感じの人ですが。

歌詞を書いていてわけがわからなくなることがよくあります。
適当に「ファック」とか入れたくなります。意味はまぁあれなんですけど笑、1音あれば入れられるんで、すっごい便利なんです。

これ伝わるか?とか、何が言いたいんや?とか、そう言う時に、まぁいろいろな曲を聞いて「うまい載せ方」とかを探したりするんですが、最終的にこの人の曲を聞くと、それらは全部「方法論でしかない」という結論に至ってしまいます。

そのある人物は、何百曲という楽曲を持っていて、ヒットソングも数えきれないほどあります。日本を代表する、もうめちゃくちゃ代表するシンガーソングライターです。
この人の楽曲は、音への歌詞の乗せ方自体は楽譜に書いてしまえば全然平坦に思えますが、この人の独特の歌唱法は唯一無二です。

その人物は、100人のアメリカ人音大生が分析した結果、日本一の「天才」と評されております。
歌詞の細かいニュアンスまでわからないだろう、アメリカ人から!
(この記事の出展の信頼性のほどは知りませんが、別に驚きませんでした。)

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それでは最後に聞いていただきましょう。

さだまさしで「関白宣言」


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