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人語の一口話(95) 画質のお話

 旅行や出張などの宿泊先でテレビを見ていると、その画質の良さに驚くことがあります。おそらくは4Kテレビのような解像度の高い画面で見ているからだと思います。いかに自宅のテレビの画質がそれほどのものではないのかを思い知らされることになっています。

 「あまりにも画質が良くなったので、見られることに耐えられなくなった。」
 芸能人やアナウンサーの方々の嘆き節も聞かれることとなりました。

 YouTubeをはじめとする動画配信サイトの画質は、自分で設定することができますね。
 私は低画質にしています。

 もちろんデータ通信量の兼ね合いで、あまり多くを使えない、使いたくないという動機もありますが、それらよりも大きな要因は、「あまり画質にこだわっていない自分には、必ずしも精度の高い画像が必要不可欠だというわけではない。」という文語で表されるように思います。

 そんな私でも、画質を下げずに見ることがあります。

 この前の井上尚弥選手が出場した東京ドームでのプロボクシング世界戦は普通に観戦しましたし、映画を観る時も同様で、画質を下げることはありません。

 画面と向き合う真剣度の高さに応じて、コンテンツを目にする画像解像度を変化させているのですね。

 『“見る”時と“観る”時で画質を変えている。』

 「液晶のシャープ」が、テレビ向け液晶パネルの生産を終了しました。

 このニュースに接したことにより、動画コンテンツにおいては、画質よりもむしろ音質にこだわっている自分を発見できたのと同時に、“見ること”と“観ること”の違いで画質を変えている自分に気づくことができました。

 シャープ株式会社。
 本当にお疲れ様でございました。


   

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