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登山って何が良いの?

人生初。ケーブルカーやリフトを使わず高尾山に登った。
※薬王院まで。しかも初心者向け1号コース。

早朝。ほぼ始発で最寄りの駅に到着。この時間の登山客は、だいたい本気の格好だ。

私のようにただのスニーカーで、PCを入れるタイプのリュックを背負っているような人はいない。

自意識過剰がはたらいて、この見た目に若干の引け目を感じながら歩き始める。

もちろん、誰も白い目で見てくる人はいないし、なんならすれ違うときは「おはようございます」という挨拶が自然に飛び交う。
挨拶すると、やわらかな空気が生まれる。なんとなくそう思う。

正直、私は体力がない。
登っている時は想像以上に傾斜がキツく、そして距離も長く感じ…ひたすらハァハァ言っているだけ(笑)。

でも「おはようございます」はもう、相手より先に言っていた。
それぐらい、なんだか気持ちの良いコミュニケーションをしたくなる場所だった。

挨拶って良いものだな。

というか、挨拶って良いものだったよな。


私は、近所の人と必ず挨拶をするような地域で育った。田舎。
家の前の道を誰かが歩いていたら、互いに挨拶する。洗濯物を干している時に、家の横の道を、中学生が自転車を漕ぎながら「おはようございまーす!」と過ぎ去っていく。
こちらも元気に返す。


中学生の時、近所の商店のおじちゃんに挨拶をすると
結構な確率で、間違って私の姉の名前で呼ばれたな。
でも「元気だねー」「いってらっしゃい」
「おかえり」「今日は早いね!」なんて言われると心地良くて
明日もまた大きな声で挨拶しようと思えたんだよなぁ。
あと、挨拶することで顔も覚えてもらってたんだろうな。


…そういう清々しさを久々に感じながら登山。


時々吹く風は、木々を通り抜けていく。涼しい。
早朝とはいえ、上着を脱ぐほど体温が上がっていたので
その瞬間だけ風を感じながら、あたりの景色を見回す余裕ができた。

つらいけど、山には良いところもあるな、と。


こちらは薬王院。本堂。

以前、週末に参拝した時のような人だかりはもちろんない。
独り占め。

寺社仏閣は結構好きなので、ゆっくりあたりを見ながら、一社一社参拝できた。
良い日だ。


さて、下山。
登っているときは「下山するときはケーブルカーでも良いな。疲れたし」と思っていた。

でもケーブルカーの始発まで20分ある。

待っているより、歩いて自然を感じながら帰りたいという気持ちが強まった。
あと、ケーブルカーに乗るのはなんだかあっけない気がした。


登るときは、マラソンの時のような息苦しさがとにかくあったが
下るときは、足のひらの負担を感じる。違う大変さがあるみたい。

それにしても今すれ違っている人たちは、さっき私が抱えていたような苦しみを味わっているのだろうか。

私より10歳も20歳も上のような人たちばかりだが、私ほどしんどそうな人がいなかったような気がする。

慣れているのか?
私も慣れれば、もっと気持ち良く登れるのだろうか。


下山中に気づいたのがもうひとつ。
こんなに緑豊かで、川のせせらぎが聞こえる場所だったのか!?
と。

登るときは苦しさに支配されていて気づかなかった。昨夜の雨か、はたまた朝露か。濡れた木々、葉っぱが日光に照らされてキラキラしている。

森林特有の湿気を感じる。
マイナスイオン?に気持ちが昂る。

苔から蒸気が上がっていくのが見える。
自然の摂理になんだか感動する。

水の音が聞こえる。
その音の出所を辿って少し歩いてみる。


そのころにはもう、登山も含めた自然の魅力に浸かっていた。
語彙力がないけど「最高じゃん、最高じゃんなにこれ!」と心の中で言っていた。

登山というレベルと言えないかもしれないが
私にとっては立派な、初登山だった。


子どものころは特に、登山は地味だとか
なんでただの山に登る人がいるんだ?と思っていた。

でも、少しだけ良さがわかった気がするし、

昔の私のように、登山に魅力を感じない人には
「とりあえず登ってみて!」とまでは言えないけど
いつか登りたくなるときが来るかもしれない、
登山が少しは良いものだと思えることがあるかもしれないね
とは言える。

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