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親について想うこと

 僕は親があまり好きではない。

 もっというと父親が好きではない。

 「反抗期かよ」と思うかもしれないがそうではない。

 単純に人として好きではないのだ。

物心ついた時から父親に可愛がって貰った記憶はない。

ネグレクトとまではいかないが単純になにかをしてもらった記憶があまりないのだ。

単純に放任されているのであればまだいいが、そうではなく、休みの日は父親の好きなプールや、ランニングに無理矢理連れて行かれていた。

当時の父親は(今もだが)トライアスロンにハマっていて、その練習として毎週休みの日は都内にあるプールに連れて行かれていた。

好きではないのに、足の着かないプールを永遠と泳がされるのは苦痛でしかなかった。

ただ、今思えばプールに関しては、早い段階でかなり泳げることができたし、泳ぐことが得意になったのでやって良かったと思っている。

それよりも僕が嫌いな理由は性格である。

父親はいわゆる昭和的なオヤジの意識高い版みたいな性格で、やる気があれば何でもできると思っていて、ひたすら傲慢で、人のことを一切気にしないような勘違いナルシストタイプの人間だ。

少しでも何か自分に不都合なことがあるとすぐにイライラして、話す度に僕に何がいけないのか、僕がいかに出来ない奴なのかということを永遠と説教されるという日々だった。

そんな父親だから母親とも衝突が絶えなかった。

母親も父親に負けて劣らずかなり負けん気の強いタイプでモヤモヤしたことがあるとそれを消化しないと収まらないという癖のあるタイプだった。

今思うとなんで結婚できたんだよと思うが、結婚当初は相性が良かったのかもしれない。

事あるごとに喧嘩して、よく母親が泣いていたのを憶えている。

その後、僕が小学2年生の時に2人は離婚した。

僕は母親と姉の3人で暮らすことになったのだが、父親との関係が途絶えるわけではなかった。

月に1〜2回くらい休みの日にこっちに来たり、逆に父親の家に行ったりをしていた。

使命感を感じていたのか分からないが、会いたくもないのに無理矢理よく会っていた。

離婚した後の父親も特に性格が変わることはなく、丸くなるわけでもなく、相変わらず

「そういうところがダメなんだよ」とか、

「お前にはやる気を感じられない」みたいな

まるで圧迫面接のようなことを言われていたのをよく憶えている。

そのような性格の人と話していると何を話せばいいのか分からなくなってしまう。

何故なら何を言っても否定されてしまいそうだからだ。

その恐怖で頭の中でシュミレーションをしてから会話をするということになってしまい、それが父親からすると会話のレスポンスが遅いということで、とてもイライラされていた。悪循環だ。

さらに父親はその元凶が自分にあるとは思わず「どうしてそういう性格なんだ」

「俺に似ていたらこうはならない」

といったような人格についても触れてきた。

まるで産まれた時から僕が内向的で相手の様子を伺ってしまう性格だと言わんばかりの言いようだった。

「いや、お前のせいだろ」

と言いたくもなったが、それを言うのが恐かったのと単純に人格の責任を全て親に擦りつけているのはカッコ悪いと思って言い返すことができなかった。

というように、僕は産まれてから今日まで一度も父親のことを心から愛していると思ったことはない。

恐らく今後も無いと思う。

仮に父親が亡くなってしまったとしても僕は泣く自信がない。

ただ、数年前に祖父が亡くなった時に、父親が初めて僕の目の前で泣いた。

今まで泣く姿を見たことがないし、泣くという機能が備わっていないと思っていた僕は拍子抜けした。

同時に少しだけ父親の暖かさを感じた。

よく父親は祖父との関係性が悪いということを僕に話していた。

父親も幼少期に祖父からまともに愛情を受けていなかった。運動会等には一度も来たことがないと文句を垂れていた。

僕が見ていた限りでは父親と祖父でまともに会話していたことすらもなかったくらいだ。

だからこそ祖父が亡くなっても泣くことはないと思っていた。

だが、祖父の葬式で父親が泣いたことによって

どんなに父親との溝があっても時効は存在するということを知った。

父親の場合はあまりにも遅すぎる時効ではあるが、心の中ではもっと早くから時効のタイミングを伺っていたのかもしれない。

初めに戻るが、僕は父親が好きではない。

ただ、時効が訪れることを少しだけ期待して今日も生きている。









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