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二つ目の「ピロティ」と出会えなくて「ピロティ」を一般化できない

多くの人が、人生で出会えるピロティは一つだけ。

二つ目のピロティと出会えないから、ピロティを一般化できないまま死んでゆくのです。

3割ほどの人は、一つのピロティとも出会えないので、そもそもピロティの存在すら知らずに一生を終えるのです。

“ピロティ”は、知っている人にとっては大変なじみ深くて、知らない人にとっては完全に初耳、とキレイに分かれる上、そこに地域性も学歴も相関が見出せない、非常に珍しい言葉だと分かりました。

個人的に大規模調査を進めていて、既に250人を超える人から回答を寄せてもらった結果です。

“ピロティ”
懐かしい派 70%
何それ?派 30%

という結果に収束しそうな見通し。

ごく一部、“懐かしくないけど建築用語として知っている派”がいました。
本来は建築用語で、フランス語“Pilotis”から来ています。英語の“柱”=“Pillar”あたりと語源は一緒かと。
要は、“壁”無しの“柱”だけで2階より上の部分を支えている構造、または、その壁無し空間が“ピロティ”。ガソリンスタンドの上にビルが乗っかっているイメージ。
阪神淡路大震災をきっかけに耐震性に問題有りと指摘され、東日本大震災では耐津波性能の点で壁が無い分むしろ強いなんて話があったりもしたようです。

ただ、大多数の“懐かしい派”にとっては、“劣化体育館”“劣化運動場”“劣化中庭”みたいな、非常に中途半端な立ち位置で学校に存在した謎の空間が“ピロティ”。
私の母校の青雲学園では、たしかに壁はありませんでしたが、全面ガラスが柱と柱の間に埋め込まれていたので、完全に屋内という認識でした。
学校によっては、どう考えてもピロティ構造じゃない空間がピロティと呼ばれていることもあるようです。
青雲学園では、避難訓練の集合場所として、晴天時は中庭、雨天時はピロティに集合みたいな使われ方。バス通学生が多かったので、雨天時のバス待ち場所としても活躍していました。土足も上履きもOKな汽水域みたいな不思議な空間。
とにかく、仕方なく使う場所だけど、なんだかんだで万能なので、なにかというと「ピロティに集合」と指定されがちという思い出の人が多いかと。

“ピロティ”のある学校に入学すると、“グラウンド”などと同列の、知っていて当たり前の言葉として、特に説明もなく使われがちです。
「俺だけ初耳なのかも…」と心配になりながら、ふんわりとした認識でピロティに集合を繰り返すうちに、すっかりなじみ深くなります。
ただ、ピロティが自分の学校固有の名称なのか、一般名称なのか、そもそもどこからどこまでがピロティだったのかも分からないまま卒業しがちです。

私の勝手な推測ですが、学校施設のうち、ピロティがある施設は3分の1程度かなと。なので、小中高のすべてでピロティと出会わない確率は3分の2の3乗で30%くらいになるのではないかと。
一方で、2つ以上のピロティと出会う確率は3分の1の2乗で10%くらいに過ぎないので、ピロティの一般化ができないのです。多くの人にとってピロティは、知っているけれど、あの学校に固有の特殊な空間だったと思い込んで誰かと語り合うこともないゆえに、こんなおもしろい状況になっていると思うのです。