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三島由紀夫という「映像」から伝わる戦後そして今

三島由紀夫を取り上げた映像をいくつか見たの。どちらかというと初めて三島由紀夫を映像で見た。

例えば、本屋さんの天井まで本棚にびっしり本が並んでいる。

日本の戦後と民主主義について、なにか曖昧に、ぼんやりと見えるものがあって、そんな中を歩いてる。で、ふっと手を伸ばして本をとると、意外と気になってたことがその本に詳しく書いてあって、「ああ、そうか」って思う。

そんな豊穣の荒野を散策する感じ。っていうか、なにか、最近そういうことをして、だから三島由紀夫の映像を一つ見て、二つ目を見て、三つ目を見てって、まあ、ひとつ目で大体わかってるんだけど、ダメ押しって言うの?

結構たくさん、三島由紀夫の映像を見た。
でね、リンクを貼っておこうと思って。ほっとくと忘れちゃうじゃない。

なんちゃってっ。

今年2020年が、三島由紀夫が1970年に自決して50年ということで、三島由紀夫を取り上げた映像が、(幸いというか)たくさんメディア上に揃っている。いっぺんに色々な映像を見るのには何の創意工夫もいりません。

そして、三島由紀夫という「映像」から伝わる戦後そして今にいたる日本の民主主義、すなわち、第二次世界大戦が始まった1939年、真珠湾攻撃によって日本がアメリカ合衆国に宣戦布告した1941年12月8日、敗戦となった1945年を経て、もはや戦後は終わったと言われた1960年代後半から1970年代の高度成長期、そして2020年に至る「日本の民主主義」の構造に関する系譜について、自分に見えてきたことを語ろうと思った。

のだけれど、映像から得られる知識というモノには、映像なりの限界があって、ワタシが語るよりは、映像を見てもらったほうが良くというか十分なことは伝わるんじゃないかと思い、とりあえず見たやつを並べるだけでもいいかという程度の note になりそうな予感がする。

Here: https://note.com/matsunoya_note/n/n326377a3785a

このコンテンツ 7826 文字|15分(500文字/分)

三島由紀夫という「映像」から伝わる戦後そして今

結論から申し上げると、というと、まとまっているのかと期待されるかもしれないのですが、初めて見た映像によって数秒後に直感的に認識したインパクトだけで言ってしまうと、三島由紀夫は理智か情念かと言えば、「情念」のヒトだろうと思いました。

三島の情念が三島自身を引きずって、1968年(昭和43年)に「楯の会」を結成させ、1969年(昭和44年)に東京大学の全共闘との討論会での討論に至り、1970年(昭和45年)の「楯の会」メンバー4名と共に陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地・東部方面総監部にて益田兼利総監を拘束し、バルコニーで演説後、森田必勝との割腹自決に至るという最期へと持っていってしまった。

そこには三島由紀夫の自身のコミュニティの認識と、自身のコミュニティへの共感があって、彼が情念に引きずられていく様子は、彼が東大での討論のときに使った言葉「エロティシズム」と「関係」という概念で何らかのメタファーとして表されている気がする。

彼にとって、「楯の会」のメンバーは彼の子のような、彼が彼の時代を継承すべき、言ってみれば、日本の長い時間軸を伝承していくはずの我が子のような輪廻転生のようなそんな共感を持った人たちであろうし、思想によって極右と極左のように形式上対立した東京大学の全共闘のメンバーもまた、彼にとっては同様に我が子のようにとても近しく共感をその中に深く傾けていく存在だったのだろうと空想する。

彼にとっては、その若者たちの親は同世代であって、彼は兵隊として戦争に行けなかったけれど、その若者たちの親は兵隊として戦争に行って殺し合いの中生き残って帰ってきた帰還兵の人たちで、三島由紀夫は、彼が近しくした若者、第一次ベビーブーマーである団塊の世代に対して、特別の共感と愛を持ったのだと映像から感じた。

でも三島由紀夫にとっては、彼の結成した自衛部隊「楯の会」の若者にしても東京大学の全共闘の若者にしても、その彼らが何者かは理屈では分かっていても情念としてわかっていなかったのかもしれない。

彼らは、三島由紀夫の系譜の人間ではない。

敗戦と同時に生まれた団塊の世代というもしくは第一次ベビーブーマーという、戦争の申し子たちなのだ。

特に東京大学全共闘のデモの様子など映像で見ると、全共闘の彼らには「思想と思想によって導き出される今の日本の民主主義に対する課題」がなかったわけではないけれど、その課題解決の第一選択のソリューションは彼らにとって何だったのか、それは映像に映っているので明白である。そして彼らにとっての課題解決の第二選択から第五選択までのソリューションは、と考えてみれば、やはり映像に映っているそのまま以外にはなかっただろう。

彼らは第一次ベビーブーマーとして、著しい攻撃嗜好性と殺人への嗜好性、侵略戦争への嗜好性という戦時中の激しい生き残りのための適性を親から受け継いだ(ほかに生きて帰ってきた兵隊がいなかったので)特殊な偏りを持った一団の団塊の世代として、その反社会的な衝動や嗜好性を日本社会から何の矯正も受けずに1969年まで成長してきたのだ。

むしろ、団塊の世代は彼らの親に対して、他の世代よりもより強い肯定感、親を継承するという意識があるに違いない。彼らは自分が何者かわかっている。それは意外と他人からはわからないのだ。他の人が心の中で24時間何を考えているかそんなことは誰にも分らない。相手の仕草や行動選択から推察するしかない。

ワタシは団塊の世代ではないし、社会に出るまで団塊の世代から何の影響も受けずに育った世代なので、団塊の世代が24時間何を考えているか、あらかじめ予測がつかない。それは、団塊ジュニアの世代に対してもどの程度のことを24時間考えているか、ワタシはそれは仕草からしか推測できない。

1960年代後半から1970年にかけて、彼ら、団塊の世代の荒ぶる若者たちは、この日本の長い時間軸の系譜を継承していることが明らかで頭脳明晰な三島由紀夫に対して共感を持っただろうか。

三島を自分たちの父であると、自分たちのルーツであると思っただろうか。継承すべき輪廻転生の祖霊であると思っただろうか。

「否」

彼らは決して三島由紀夫という人間の存在に共感しない。彼らにとって三島由紀夫は何だったのか。彼らの身近な攻撃の対象、殺人衝動のターゲット以外の何かだったのだろうか。

1970年の三島由紀夫には、そこが見えていなかった。彼はその時、間違った「ディープな恋愛感情、むしろ無償の愛といったほうがいいかもしれないけれど」を彼の親しいコミュニティの一員と思った彼らに対して持ち過ぎていたのではないか。

日本人として、父として、自身を継代する「我が子に対する共感」として、長い時間軸を伝承しなければいけないという自分自身に課せられた重責とから、三島は団塊の世代の若者への共感と情念とに引きずられて結局、自分自身を殺すところまで行ってしまう。

三島は人間だから。

自分と他人との関係性の中、相手の逸脱した非合理的な攻撃性の激しさに対して、コミュニティの人間として当然の防衛本能と共感としての攻撃性を上げていって、他者からの影響によって生じた、その人間的な、国を守りたいという気持ちと情念による(相手の逸脱した非合理的な攻撃性の激しさに対抗するに相応しい)攻撃性の上昇から彼は行動選択を次々と実効していく。

彼は、理知のヒトではなく情念のヒトだ。

あれだけ高い知能を持っていて、ノーベル文学賞候補になるほどの高い文学的な才能を持っていて、それを死の直前までまったく衰えることなく持っていて、そして、最後は情念に引きずられて(ワタシは「他殺」だと思うけれど)自死に至るのだ。三島は死ぬ直前まで彼の死をリアルに想像していない。最期まで生きるための行動選択をしていた。生きる意識のみが彼にあった。見ればわかる。彼は死のうとしている人間ではない。

映像から伝わってきたことは、そんな空想を持たせる。

三島由紀夫の死後、介錯によって切断された首の写真がニュースに載ったとか。その後、三島由紀夫が手掛けた戯曲「サロメ」が上映され、サロメに向かって捧げ持たれた首から血がしたたり落ちるという(三島がその戯曲のために書いた詳細な)演出が実際に舞台で行われた。

そこには、三島由紀夫の「サロメ」という戯曲の中でのメタファーで表される物語における美への異様な執着と情熱しかない。

それでもなお、三島由紀夫が、観念的な死を積極的に能動的に受け入れていたとしても、人間として死を望んでいる人のようには、ワタシにはみえなかった。

半分くらいは、サロメの深すぎる「愛」による欲望によって殺される若者のような自覚を持っていたのかとも思う。

映像のメリットは、もしもそこに人間が映っていれば、ああ人間が動いていると直感的にわかり共感できることです。

映像には、三島由紀夫という著しく明晰な頭脳と、そしてその頭脳を具有した美しく魅力的な人間が映っている。映像で三島由紀夫を追うのは初めてのことだけれど、彼の表情、笑い方とかを見ていて、美意識の高いダンディズムを持った素敵なひとだなと思う。可愛らしい笑顔をする。

正直に言うと、三島由紀夫の文学は、その美しい日本語の文体は、日本一美しいと思うほど美しい日本語の文体なのだけれど、内容が、ワタシには無理なんです。グロすぎて。

完読したのは「三島由紀夫 午後の曳航」くらいで、これでさえもグロすぎてゲロゲロしてしまうくらいなものですから、相当、読むのは無理なんですけれども。

なので、三島由紀夫文学がどうこうといったお話ができる立場の人間ではない。

ただ、映像から伝わってくる第二次世界大戦をはさんだ昭和という時代を生きたその天才的な文豪の人間像は、日本の歴史に「戦争による刻印」を明確に残した。

それが彼が遺した生き様だ。

それさえも彼の作品のように思う人は多いかもしれない。かれは、誰もがそう思うように日本における最後の「何らかの人間」として生きて死んだ。

それが映像として残っていて、彼の自決の50年後に、若い人たちも映像としてその人間である彼を見ることができるというところに、ワタシは意味があるように思うのです。

戦争があったこと、その戦争が日本人に与えた影響というか深い褥瘡を理解するには、三島由紀夫の映像はとても分かりやすい。

自分も人間としての感情から、その戦争の褥瘡を理解できそうな気がしてくる。

戦争だけで三島由紀夫を語ることは不十分であって、色々な背景があるのだろう。また、そこに存在する彼と他人との関係性は、知るに値するものである。それは、彼の文学作品にのみ書かれているので、読めばいいんですけどね。ワタシには無理だけど。無理、無理。

でも、三島由紀夫の映像からアプローチ可能なアレコレというものもあるのだなと気づいた昨今でした。

文学作品は、10代から20代に読むととても栄養になるので、年代が若い人は、三島由紀夫の生きた時代背景や人物像を理解したうえで、彼の作品を読んでみることはお勧めします。

ワタシは、グロいの無理なんで、冒頭以外を読んだことはないけれど。無理なら無理しないでいいけど。少なくとも、そのストーリーを全肯定しながら読むものではないなと思う。

グロさの意味が分かる人と分からない人がいると思うけれど、ようするに人権逸脱に至ることを肯定的にゆがめて美化するとか、そこがグロいんです。

グロいことをする人間がいても社会が成り立つというストーリー展開がグロすぎる。グロいことをする人はいてはダメです。人権侵害の被害者が必ず出るから。被害者の身になってほしい。共感とは、そこに持つべきものだ。

映像やWikipediaから得た知識としては、彼の祖父、父などは、東京帝国大学を出ていて国家の官僚や政治家というキャリアを積んでいるという背景があり、三島由紀夫自身もまた日本が敗戦に至る1945年の前年、1944年(昭和19年)9月9日、学習院高等科を首席で卒業して同年10月1日に東京帝国大学法学部法律学科(独法)に入学します。彼の家系には武士が多く、遠くは徳川家康にもつながる家系であることから、彼自身も自分が日本の長い時間軸の一部であって、武家文化を引き継ぐものといった感覚的な自負とか芸術家としての元型を追い求めるリビドーはあったのだろう。

三島由紀夫は1925年(大正14年)1月14日に生まれて1970年(昭和45年)11月25日)に自決して死ぬのだけれど、2月26日に二・二六事件があった1936年(昭和11年)には11歳、真珠湾攻撃の1941年(昭和16年)には16歳で本土決戦が予測されていた敗戦の年1945年(昭和20年)には20歳を迎えていた。三島は徴兵の際の健康診断で肺浸潤と診断されて兵隊になれなかった。兵役を全うするために家に遺書まで残したけれど彼は兵隊として戦いに行くことができずに東京が空襲で焼かれがれきの廃墟となることを目の当たりにする以外の術がなかった。彼が過ごした第二次成長期は戦争のただなかであって、彼が兵隊として「日本」を守れなかったという記憶は彼の心に深い傷のように残ったに違いない。

言葉で伝えられることは、限りがありすぎるので、興味があったらリンク先の映像を見ていただければいいです。
三島由紀夫という「映像」から伝わる戦後そして今を知る知的冒険の旅に出てみませんか。

三島由紀夫という「映像」から伝わる戦後そして今

最近見たメディアへのリンク集|

BS1スペシャル 「三島由紀夫×川端康成 運命の物語」 -NHKオンデマンド

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NHKスペシャル 三島由紀夫 50年目の“青年論” | NHK放送史(動画・記事)

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ETV特集 転生する三島由紀夫 | NHK放送史(動画・記事)

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三島由紀夫 割腹自殺 | NHK放送史(動画・記事)

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三島由紀夫|NHK人物録

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NHK アーカイブス≫あの人に会いたい≫三島由紀夫さん

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三島由紀夫vs東大全共闘 自決1年前の“伝説の討論会” |YouTube|

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三島由紀夫 没後50年 生前最後の手紙につづられた言葉 /Mishima pondered on the Socrates’ death before Harakiri suicide.|YouTube|

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三島由紀夫関連のTwitter ツイート

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おまけ|

三島由紀夫が東京市ヶ谷自衛隊駐屯地に乱入し自衛隊に決起を呼びかけたときの映像を見てふと、Queen News of the world のジャケットアートが思い浮かんだ。

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News of the Worldは、1977年10月28日にEMIによってリリースされたブリティッシュロックバンド Queen による6番目のスタジオアルバム。

ジャケットは、アメリカのSF画家フランク・ケリー・フリース(英語版)によるイラストで、アスタウンディング誌1953年10月号に掲載された「The Gulf Between」と題されたトム・ゴドウィンの小説のために描かれたものが元になっている。SF好きとしても知られるロジャー・テイラーがこの絵を気に入り、ジャケットに使うことを提案したとか。(※Wikipedia 世界に捧ぐ)

偶然かもしれないけれど、三島由紀夫の東京市ヶ谷自衛隊駐屯地での演説のときのシーンに、右手の位置と顔の特徴がそっくりなの。

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amazonJP|世界に捧ぐ クイーン

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YouTube|Queen - News Of The World (1977) 

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クイーンのフレディ・マーキュリーは 1946年9月5日生まれで、いわゆる団塊の世代と言われる1947~49年生まれの人たちと同世代です。

今年の初めにワタシは初めて Queen というロックバンドの映像を見てフレディ・マーキュリーを「発見」したのだけれど、そのファーストインプレッションで、フレディ・マーキュリーについて note に「フレディ・マーキュリーは、例えれば三島由紀夫であり、たぶん、サン=テグジュペリであり、星の王子様であり、ピーターパンである。でも一番の特徴は、その目の表情に現れるオープンマインドなコンピテンシーだと思う。宮沢賢治と保坂嘉内のどっちかというと保坂嘉内なんだよね。」と書いた。

フレディ・マーキュリーと三島由紀夫は、感覚的に、似たところがあると気づいた。でも、年代が違うとか育った国が違うとかいう以上に、フレディは理智のヒトで、それに対して、三島由紀夫は情念のヒトだという印象が強い。

かれらの理智を感じさせるセンチメンタリズムや情念を感じさせるロマンティシズムとノスタルジー、それにもかかわらず破天荒な先進性を見せつけるところは、ほかの誰とも違う。

ただ、その情念と理智との対称でまったく異なる表現型をわたしたちに見せてくれている。

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今日のところは、この辺で。

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マガジン|matsunoya diary

日々の雑文をクリップでまとめた感じのマガジンです。
 🖇 matsunoya diary 🖇 

よろしければ、こちらのコンテンツもいかがですか?

小林一三著「アーニイ・パイルの前に立ちて」- 戦後|その一つの記録と終焉 -
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BLOG 祖母の手記(写し)|「末ちゃん」・「製糸場回想記」
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別の note でフレディ・マーキュリーの2枚目のソロアルバム「バルセロナ」について書いた。

その中で紹介した曲を一つ、ここにのせておこうかなと思います。

フレディが日本語で「夢のよう」と歌っているフレーズを、もう一度聞きたくなって。

YouTube|Freddie Mercury Solo
La Japonaise (New Orchestrated Version)
https://youtu.be/THDBBvjOc4M

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Queen のことなど。。

Queen の "All Dead, All Dead" を聴きながら|matsunoya

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今日は 7つの海を越えて。Queen - Seven Seas of Rhye|matsunoya

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Queen - Good Old Fashioned Lover Boy | フレディ・マーキュリーの Ragtime をたどる。|matsunoya

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Queen - Innuendo (Official Video)とスペインへの憧憬|matsunoya

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Queen - It's A Beautiful Day / Made In Heaven, 1995|そして、Mahler Symphony No.5 Adagietto、そして、Death in Venice|matsunoya

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Barcelona (Freddie Mercury and Montserrat Caballé song)|エキゾチズムとクロスオーバー&フュージョン、そしてフレディの夜明け・季節・夢・希望|matsunoya

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"I want it all." - Queen が追い求めたキセキ -|雑感|matsunoya

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それではまた、
お会いしましょう。

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