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「クミアイ」なんて無くなれば良い ー6年続けた労働組合役員を退任して思うことー

このたび、長年務めた労働組合執行委員を、任期満了に伴い退任しました。
平執行委員から始まり6年間。最後の2年は副執行委員長をやらせていただきました。

お世辞にも熱心な組合役員ではありませんでしたが、私なりに組織と会社を良くするために色々考え、行動し、私なりに成長できた6年間だったと思います。
一般従業員ながら経営層の方々の視点を考え議論する時間は、なかなか得られないものでした。

「クミアイ」なんて無くなれば良い。

本ポストのタイトルは、そんな私が組合役員を退任するに当たって、改めて思うことです。
退任時の挨拶でも語らせていただいたのですが、改めてnoteにも記しておきます。

DEIが謳われ、組織における「個」のあり方が問われている昨今。
各種法整備が進み、従業員に優しくなる労働環境(異論は認めます)。
そんな中において、一致団結し最大公約数的な一定の落とし所を求める労働組合に存在意義はあるのか。

VUCAの時代、事業や労働者をとりまく環境は激変しました。

例えばコロナウイルスなんて3年前は影も形もなかった。リモートワークは事情を抱えるごく一部人のための「オプション」だった。それが今や「ニューノーマル」が死語になる昨今です。

世界情勢不安。国内の急速なインフレと円安。
挙げ出すとキリが無いくらい、労働者がおかれる状況は刻一刻と変わり続けます。

そういった厳しい環境の中では、一人の労働者が持てる力は限られます。
組織は一を切り捨ててでも全を守るものですから、苦境の中では個人のやりがいや働きがいなんて簡単に置き去りにされます。
人事職能やカウンセラー、相談窓口が全てをカバーできれば良いですが限度がある。

そういった時に立場の弱い組合員が一致団結し、互いに助け合い、組織に対するチェック機能を担うのが労働組合というものです。

労働環境が安定して、チェック機能の役割を終え形骸化した「クミアイ」は、存在する意義はありません。そうやって「クミアイ」が無くせたらそれで良い。でも、チェック機能としての「労働組合」は、やっぱり必要。むしろ、これからのWell-beingや個人のパーパスが重要視されていく中で、従業員にフォーカスする労働組合もその重要性が高まる側面もあると思います。

いつの日か労働組合が不要になり、自律した個人が共創しあって良い社会を生み出す未来となることを願いつつ、普通の組合員に戻ります。

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