ウクライナ侵攻の帝国主義的背景としての穀物資本進出争い

近況報告

前回の投稿記事でもお知らせしましたとおり、転移癌の手術は無事終わりました。前回の記事は、その後久留米の家に帰って療養中に書いたものですが、8月下旬に診察のために京都の単身赴任先に戻っています。
このあと、9月下旬に造影剤CTを撮って、抗がん剤治療を再開するかどうか決めます。
また、右精巣はとらなくてすんだのですが、すでに左精巣がない現段階で、男性ホルモンの一種が少なくなっていることがわかりましたので、同時に前立腺癌のリスクも検査して、大丈夫となったら、補充注射を始めることになる見込みです。
そこまでする必要があるのかどうかという気にもなりますが、慢性的にダルいのは事実です。それが抗がん剤のせいなのか、男性ホルモンが少ないせいなのかは医師にもわからないとのことです。

まあ、泌尿器まわりの内部にはなんか違和感は残っているのですが、手術傷はだいぶ癒えて、普通に日常生活できるようになっています。
しかし、今になって自己分析してわかってきたのですが、手術前に、精巣全部とることになるかもしれない、そしたら男性ホルモン補充注射打ち続けることになって大変だとかなんとかと、困ったことのように騒いでいましたが、実は心の底では、これで全部スッキリして癌の問題はほぼ完全に終わりになるという期待があったのだと思います。ところが蓋をあけたら残っていたので、解決を積み残したような気持ちになっているように思います。
なんか手術後ずっと、メンタル的に重〜い感じを引きずってきたのですが、最近どうやらこういうことなんだと説明がつくようになりました。
まあ、そこまで心配なら、検査結果にかかわらず、抗がん剤続けてくれと頼めばいいのでしょうけどね。それもしんどそうでやっぱりいやだという気持ちにもなりますね。

ともかく、療養と称して、久留米の家ではほんとに何もしなかった。本を送ってあったのに結局一冊も読むことがありませんでした。前回のノート記事とか、本の校正とかはありましたが、基本的に寝てばかりいたような思い出になっています。ずっと食事を作ってくれたカミさんには感謝しかない。

京都に戻っても、まあ、メンタルが重いせいで手が付かないこともありますが、ぼーっとしてつぶしてしまう日があります。冷房が喘息によくないので、酷暑の中冷房を入れないでいたりもするし。

そんなことをしているうちに、やらなければならないことが溜まりまくり、8月終わりの締切に迫られたあたりから大変なことになっています。
そうは言っても、心身がなまってしまっているもので、なかなか本調子になりません。

このノートの記事とか、下にお知らせする動画の編集とかも、やらないといけないこととして、自分の頭のなかの計画には溜まっているのですけど、それよりも、共同研究の仕事とか講演の準備とかを優先しないといけない。こんな記事をあげていると、関係者からは、なにやってんだと思われるにきまってます。寝ていたほうがまだ当たりがやさしいでしょう。すみません。

お知らせ

マクロ経済学入門講座のユーチューブ動画公開開始

というわけで、とりあえず、動画のお知らせ。
私の個人チャンネルで、大学院の修士一回生向けのゼミで行ったレクチャーの収録動画を公開しはじめました。
マクロ経済学の入門講座ということで、これまでのところ、第2回まで公開しています。
3月4日のノート記事でお知らせしましたように、れいわ新選組の長谷川羽衣子さんがこの春から、うちの大学院に入学しているので、彼女相手に行っているレクチャーです。第2回の動画から声で登場しています。

動画としては、このあと数理マルクス経済学の入門講義の続編も公開していく予定です。これも、春学期の大学院の授業を収録したものです。ご関心のあるかたは、数理マルクスチャンネルをチェックしていてください。

[※後記:第1回を公開しました。

——2023年9月6日]

講演予定:コロナショックドクトリンと帝国主義への道

それから近々の講演のお知らせ。9月10日に、京都市地域・多文化交流ネットワークサロン・多目的コーナーで、「アルンディ」さん主催で、コロナショックドクトリンの講演をします。

STOP! インボイス——まだ署名受け付けてます

そういえば私も賛同人になったインボイス反対アクションですが、9月4日に350人が集まって、36万人分の署名を提出したそうです。

私も賛同人メッセージ出しました。

ほかの人のメッセージはこちらから。

財務省に署名提出しましたけど、まだ署名の受付は継続しています。まだの人はぜひこちらからお願いします。

朴俊勝さんの最近の翻訳

ところで、私はこのところ低空飛行なのですが、対照的に朴俊勝さんが、たいへん精力的に翻訳などの仕事をしています。そうした翻訳業績の中から、最近の特に有益なものを二点紹介しておきます。

マサチューセッツ大学アマースト校の人が、アメリカの現状のインフレを「売り手インフレ」と分析し、引き締め政策ではない処方箋を示している論文です。

ご存じバーニー・サンダースさんの掲げるグリーン・ニューディール政策の詳細な全貌と、そのいわゆる財源を示した文書の翻訳です。朴さんが、費用と財源を整理した表もついています。

今日の本題:ウクライナ侵攻の帝国主義的背景としての穀物資本進出争い

これまでのこのノートでのウクライナ戦争関係の拙論の主張

私もメンバーである「基礎経済科学研究所」の機関誌である『経済科学通信』の今年2023年6月発行の第157号に拙稿「帝国主義再分割闘争時代の中のウクライナ戦争」が載っています。
去年の6月の同研究所のシンポジウムをもとにした特集、「「ウクライナ戦争」と世界経済・国際秩序のゆくえ」の特集記事のひとつで、そのシンポでの私の報告を短い論文にしたものです。

このノートでも私はこれまで、ウクライナ戦争について、プーチン政権による「帝国主義再分割戦争」ととらえ、「国vs国」の図式で見るのではなく、「上vs下」の図式で見なければいけないということを言ってきました。

「れいわ新選組のウクライナ侵略非難国会決議への反対理由について思うこと」では、世界の支配層の勢力圏争いの犠牲になっている民衆——もちろん戦禍下のウクライナ民衆はその最たるもの——の目線に立つこと、ロシア民衆の反戦の闘いに連帯し、究極には彼らがプーチン政権を打倒することに解決の本筋を見るべきことを主張し、そうした文言が見られないことについて、れいわ新選組のウクライナ侵略非難国会決議への反対の声明に苦言を呈しています。

また、「アメリカ民主的社会主義者(DSA)の討論サイトに掲載された「陣営主義」批判記事和訳」では、オカシオコルテスさんたちが属しているアメリカの社会主義団体「アメリカ民主的社会主義者」内部の論争で、「陣営主義」と呼ばれて批判されている発想法についての記事を、和訳して紹介しました。

「陣営主義」とは、世界をアメリカの与国と、発展途上諸国の中にあるアメリカに対する敵対国とに世界を分けて、両者の間の対立に万象の説明原理を求めて、ともかくアメリカに対する敵対国の政府の側につく発想のことです。
この記事自体は、ウクライナ戦争前の2020年に書かれたものですが、その後ウクライナ戦争が始まると、まさしくこの「陣営主義」の見方どおりに、ウクライナの政府・国民まとめてアメリカ側、ロシアの政府・国民まとめて反アメリカ側と描き出し、ロシア側にシンパシーを抱く立場が現れました。

このどちらの拙記事でも私は、今、日本資本主義が東南アジアに怒涛の企業進出していて、日本政府はそれを国際協定や、究極には自衛隊の実力で保護するという、地域帝国主義に向かう道に乗り出しており、将来的にはそれがアメリカ帝国主義と紛争を起こす可能性もなくはないことにてらし、「今日のロシア帝国主義を許す者は明日の日本帝国主義を許す」と評しました。

世界を覆う帝国主義再分割闘争の時代

上述の『経済科学通信』の拙稿も、やはり同様の立場から、かつてのレーニンの帝国主義規定にてらして、今次戦争におけるプーチン政権の帝国主義としての性格を分析したものです。
レーニンの『帝国主義論』での説明をごく簡単に言うと、資本主義の発展がいきつくと、発展途上地域に資本が進出するようになるので、進出した自国資本を守るために軍事的に勢力圏下におくのが帝国主義だとされています。そして、遅れて発展してきた資本主義は、既存の勢力圏秩序に対して、勢力圏の再分割を要求して帝国主義戦争に乗り出すのだとされています。

今日、アメリカ資本主義の相対的な地位の低下にともない、それに追いついてきて、周辺に資本進出した世界各地の相対的大国が、その進出先を勢力圏下に置こうとする地域帝国主義に乗り出しています。
特に顕著なのは、EUを「第四帝国」としたと言われるドイツ帝国主義です。

ネット上でたくさん出回っていた画像。フューラー(総統)とユーローをかけている。

上述のとおり、日本も東南アジアを中心に怒涛の資本進出をして、TPPやRCEPで投資保護圏を作り、いざというときには「邦人保護」を名目に自衛隊を派兵して守る地域帝国主義の体制づくりに邁進しています。
同じような動きは、中国でも、インドでも、トルコでも、オーストラリアでも見られます。こうした動きは、アメリカ一極支配よりマシだとは断じて言えません。世界の民衆が力を合わせて阻止すべきことです。

そして、ロシアの動きもまさにこの一環だったと言えます。

パトルシェフという名前の農相がリードした穀物商社トラスト化

『経済科学通信』に載せた拙稿は、ウクライナ戦争に至った背景としての、穀物資本進出をめぐる勢力圏争いについて整理したものです。
同誌は何年も時間がたたないとネット公開されませんので(それどころか、基礎経済科学研究所のホームページでの同誌発行のお知らせが2019年で更新が止まっている)、改めてここで、そこで取り上げた情報を紹介したいと思います。

私が、ウクライナ戦争の背景について資料を探していたときに、まず目についたのが、ジェトロ(日本貿易振興機構)が2019年に出していた次の記事でした。

ここでは、ロシア穀物大手商社四社が外資系商社を排して企業連合を作ったとする報道がなされています。これは、ロシア農業省が主導してできたもので、西側外資系を含む既存の企業連合(NAESP)の会長は、「「必要性が理解できない」と批判した上で、「NEASPは農業省とは異なる独自の見解を持っているため、同省にとっては扱いにくい組織だろう」とコメント。農業省が穀物市場の需給に影響を一層及ぼすためのツールではないかとの見方も示されている」とのことでした。
私の目を引いたのは、ここで、すでに三ヶ月前に「主要な輸出事業者の利益を代表する強力な企業連合を形成する必要がある」と述べて、この構想を提唱していた農業大臣の名前です。
ドミトリー・パトルシェフ農業相と書いてあります。

パトルシェフと言えば、プーチン大統領の懐刀で、ウクライナ侵攻を主導したともされるニコライ・パトルシェフ安全保障会議書記のことが連想されます。
調べてみたら、はたして、ドミトリー・パトルシェフ農業相は、ニコライ・パトルシェフ安全保障会議書記の息子でした。
父のほうは、旧ソ連時代のKGBからそのままFSBの職員として出世して長官になった経歴の、シロビキ閥のドンのような人物です。息子もまた、農学出ではなく、外交アカデミー、連邦保安庁アカデミー出身のシロビキ閥の人物です。
つまりこの決定は、単純な農業政策ではなくて、父親も関与するハイレベルの国家戦略的判断でなされたものではないかと想像されます。そもそも農業大臣のこの選定(2018年)自体が、国家的大戦略のもとになされたものなのではないかとも推測されます。

小麦輸出大国にとっての戦略的位置付け

この背景としては、穀物、特に小麦が、ロシア経済にとって重要な主要輸出品目に発展しているという事情があります。いまや世界の小麦輸出国の中のトップです。
先日2023年8月27日の日経新聞ウェブ版の記事では、「2023年7月の世界供給に占めるロシア産小麦の割合は35%に達し、23年度の輸出量が過去最高になる見通しだ」と報じられています。
私の少年時代の思い出では、ソ連は、膨大な穀物を毎年輸入していて、アメリカに胃袋を握られていた(笑)状態でした。ところが、今世紀に入るぐらいから生産が高まり、一挙に世界最大の小麦輸出国になっています。

Svanidze, Götz and Schierhorn (2019), How to mobilize grain production potential in Russia?
https://www.researchgate.net/publication/341902327_How_to_mobilize_grain_production_potential_in_Russia

特に、原油が価格低迷する時期に、ルーブル安で輸出拡大して主要輸出品目になったという事情があります。
もちろん、原油や天然ガスと比べたらまだまだ桁が違いますが、しかしロシア政府も、いつまでも原油や天然ガスに頼るわけにはいかないとはわかっていたはずです。いつか原油や天然ガスが世の中から今のようには必要とされなくなったとき、いくつかある頼みの綱の有力なひとつであることは間違いないでしょう。
また単に輸出で稼ぐという位置付けだけではなくて、プーチン政権には、食糧を握ることで国際的なパワーにするというような思惑もあるようです。本稿の下のほうにリンクした服部倫卓さんの記事にそれをうかがわせる記述があります。あの手合いが大真面目に発想しそうなことではあります。(まあ、経済学者から見たら馬鹿馬鹿しい話で、冷戦最盛期も、アメリカは喜んでソ連に穀物輸出していたのですが。)

しかしまだロシアの小麦生産は、粗放的で天災の影響を受けやすい弱点があります(長友謙治, 2019)。品質も安定していないので、あまり品質について問われない中東・アフリカが主な輸出先になっています。
こんな中で、ロシアの支配体制にとって有利になるように、国家主導で輸出調整を行って、安定的な利益を得られるようにしようというのが、パトルシェフ農業相のもくろみだったと思われます。

ロシア資本の進出先であり、競合しなかったウクライナ農業

では、このように小麦輸出を国家戦略化する目線から見た時、ウクライナはどのように位置づけられるでしょうか。

ロシアとウクライナの小麦の輸出先は、中東・アフリカでかぶっているのですが、もともとは、ウクライナをトウモロコシ、ロシアを小麦で棲み分けて、相対的に競合を免れてきました
というのも、日本の農水省大臣官房国際部の2012年段階での見解では、ウクライナ農業は、農地が肥沃で潜在力は高いが投資不足で潜在力の半分しか生産できていないとされていました。

上記リンク先資料3ページ

三菱UFJリサーチ&コンサルティングが2011年に農水省に出した報告書によれば、ウクライナの独立後、2010年代に入った頃までの農業事情が次のように描かれています。

  • 大規模農業コングロマリットが、土地を農民からリースして垂直統合的に生産している。

  • そこでは、ロシアの主要な穀物商社の進出が進んでいた。

  • たしかに西側資本(穀物メジャーなど)もいたが、進出が進んでいなかった。規制・法制度が未整備・不安定だったためである。

つまり、もともとのウクライナでは、ソ連時代の集団農場の解体で自営農経営が発展したのではなく、ロシア資本が進出してそのもとで農業の資本主義化(企業経営化)が進んでいたということです。
しかし、西側資本と比べて技術が低くて投資不足で、肥沃さの潜在力を発揮できておらず、生産はトウモロコシが中心でロシアの小麦輸出と競合するものではなかったわけです。

西側資本の進出先に入れ替わった

ところが、服部倫卓(2014)によれば、財閥が親露ヤヌコビッチ政権に近かった東部中心の重工業が斜陽化するのに対して、農業・食品業の比重が拡大しています。そして、親露ヤヌコビッチ政権が追放された2014年の「マイダン革命」を前後して、両者は逆転しています。

上記リンク先論文12ページ

この背景には、西側資本の進出があると考えられます。
同じ頃に執筆されているFraser(2015)によれば、2.2百万haのウクライナの農地が外国企業の支配下にあるとされています。そこであげられたすべてが西側かサウジアラビアかキプロスの資本であり、ロシア資本は見られません

さらに、2020年には、農地の市場取引を自由化する法律が成立しています。下記は、それを伝えるジェトロの記事です。

それによれば、大統領府は、「ウクライナ市民の農地私有権の行使が保証され、農業部門への投資拡大にも貢献するだろう」としています。「このような肥沃な土地の売買をある程度自由化することで、巨額の投資を呼び込める可能性があると法案を支持する者がいる」とも書いてあります。
「農地売買の改革はウクライナがIMFからの財政支援を受ける条件の一つでもある」とも書いてありますので、「投資」といっても、これで呼び込まれる投資が西側資本の投資であることは明らかです。

この法律を、農民から土地を取り上げて大資本を富ませるものだとして批判するReicher and Mousseau(2021)は、すでに大企業による農地支配は600万haにのぼると述べています。その最大のものはルクセンブルクで登記されているとのことです。アメリカやサウジアラビアやフランスの資本の企業の名前も見られます。

つまり、2010年代に入る頃から、ウクライナ農業への西側資本の進出が進み、2010年代半ばには、それまでのロシア資本に代わってメジャーな進出資本になっていたということです。そして、それが2020年の農地取引の自由化によって、いっそう促進されるようになったというわけです。

ロシアの穀物輸出と競合するまでに発展

以上の背景を頭におきながら、下記ロイターのウェブ記事(Braun, 2022)のグラフを見ると、ウクライナの穀物生産は、小麦もトウモロコシも、2010年代前半を過渡期として、変動の大きな微増傾向から、比較的安定した高い増加傾向に転換していることがわかります。

Column: Ukraine's unmatched corn crop gains encroach on rival exporters | Reuters
「ウクライナの比類なきトウモロコシ増産がライバル輸出国を侵食」侵攻直前の2月17日の記事

特に、輸出を見ると、小麦の輸出の急増ぶりが見て取れます。

下記リンク先の服部倫卓さんの記事より

こうして至った近年のロシア、ウクライナの穀物輸出の競合関係については、詳しくは、上記グラフが載っている、2021年の朝日新聞GLOBEのサイトの次の服部倫卓さんの記事をご覧ください。

侵攻前年の段階での服部さんの目では「好敵手」だったかもしれませんが、当のロシア当局の認識では、ただの「敵」だったのかもしれません。もともとこっちの資本が支配する「ショバ」だったのが、ショバ争いに負けて西側資本の進出先になった上でもたらされた競合関係なのですから。
上記服部さんの記事中でも、依然としてウクライナの小麦は、品質が低く、安定していないことが指摘されています。気候の影響も受けやすいそうです。しかし、今後、土地取引自由化の効果も得て、さらに西側資本の進出が進むと、もっと効率が改善され、元来肥沃な土地の、高い潜在力が現実化されるでしょう。それはロシア当局にとっては恐るべき事態なのだと思います。

それゆえ、もしウクライナの政権をすげ替えて、土地取引の再規制等々でウクライナ農業から西側資本を放逐して、国家主導のトラストにまとめたロシア穀物資本を再進出させることができたならば、そして、もとのとおりにロシアの小麦輸出と競合しないトウモロコシ輸出に特化させることができたら、パトルシェフ農相らの国家的穀物輸出調整戦略にとっては安泰なことになるでしょう。全部トウモロコシに戻すのでなくて小麦生産を続けるとしても、ロシア資本が支配するもとで輸出調整の中に組み込むことができれば、万々歳なわけです。

ついでに付け加えると、長友謙治(2022)によれば、2021年には、中央ロシア地域における冬小麦のウインターキル(冬期の厳寒や春の寒の戻りによる枯死)や沿ヴォルガ地域等における夏期の干ばつによって、ロシア産小麦が減収するという事態が発生しました。
こんなことが今後も起こった時に、隣国で安定的に大量の小麦が世界市場に供給されるという事態になる予想は、ロシア当局に大きな危機感を抱かせたのではないかと思います。

私は以上のことが、プーチン政権によるウクライナへの軍事侵攻の背景にあると思っています。少なくとも後押しにはなっているはずだと思います。
その意味で、資本の進出先の奪い合いという帝国主義戦争の性格を指摘できると思っています。

侵攻につながりそうなその他の経済的要因

もちろん、以上のことだけがウクライナ侵攻の原因というつもりはありません。ほかにも多くの要因が重なっていると思います。しかし、その候補として、同じように経済的なものがいくつもあげられることは指摘しておかなければなりません。
例えば、ロシアが親露ヤヌコビッチ政権に貸し付けた年利5%の債務が30億ドルあったのですが、クリミア併合後の2015年、ウクライナ政府が債務返済を中断して紛争になってきました。プーチン大統領がウクライナの政権を自分達の手下にすげ替えることができれば、この返済も再開できます。
レーニンの『帝国主義論』が描写するように、海外への金融的投資も資本輸出の有力な形態です。農業資本の場合同様、やはり対外投資防衛のための武力行使という、帝国主義の性格を指摘できるわけです。

いや、そもそもを言えば、親露ヤヌコビッチ政権が失脚したいわゆる「マイダン革命」のきっかけとなったのは、同政権がEUとの政治・貿易協定の調印を見送ったことでした。その後、EU加盟交渉が進展しています。もし本当に加盟することになれば、ヨーロッパ資本が怒涛の進出を果たし、ロシア資本も、斜陽重工業の親露財閥も、出る幕はなくなるでしょう。政権をすげ替えればこれを阻止できます。

また、「れいわ新選組のウクライナ侵略非難国会決議への反対理由について思うこと」の投稿でも書いたように、ロシアからウクライナを経由してヨーロッパにガスを送るパイプラインから、これまでウクライナはしばしばガスを抜き取っていた上、ロシアは通行料を払っていました。政権をすげ替えれば、ガス抜き取りをやめさせられるし、通行料も値切れます。
また、ロシアにとって唯一まともに外貨が稼げる製造業製品は兵器だと思いますが、ウクライナ軍の兵器体系が西側のものになったら市場を失ってしまうという問題もあります。

もし、プーチン大統領自身が実際に語っているように、大ロシア主義の大言壮語が侵攻の理由ならば、気が触れたというほかありません。(もちろん、実利の下心があって戦争を始めた者たちが、負けがこんでくると、高尚な大義名分で正当化を図り、しばしば自分でもそれを信じ込むようになることは、先の日本の軍部の例にも見られる通例であり、今のプーチン大統領がそれに陥っていることは十分にあることであるが。)
もし、NATOの東方拡大がもっぱらの原因ならば、たとえスムーズにゼレンスキー政権を除去して傀儡政権を立てることができたとしても、恐怖にかられたフィンランドやスウェーデンがただちにNATO加盟を果たすことは明らかですので、藪蛇なことをした愚か者ということになるでしょう。
しかし、上記のような経済的実利のための戦略が原因ならば、多くの西側の専門家もそう思ったように、電撃的に政権をすげ替えることが簡単にいくという予想を前提するならば、プーチン大統領は、十分に頭がいい極悪人だということになります。

双方が戦争のどさくさ紛れの食い物に

今日ウクライナでは、戦争が長引く中で、ロシア軍が農地に大量に設置した地雷のために、広いエリアで耕作が困難になっています。
また、ロシア占領地のカホフカ水力発電所の巨大ダムの決壊にともなう洪水で、やはり多くの農地が当分の間使い物にならなくなっています。
もちろん、輸出港が破壊されたり、黒海の航海の安全が脅かされたりしていることも、ウクライナの穀物輸出の障害になっています。
その一方で、経済制裁にともなうルーブル安も手伝って、ロシアの小麦輸出は空前の規模に達しています。ウクライナはもちろん、オーストラリアやカナダも異常気象の影響で生産が減っていて、上述のとおりロシア産小麦は世界の小麦輸出の35%に達し、一人勝ちの状態です。
ここまでもが最初から作戦の内だったというつもりは毛頭ありませんが、結果として見ると、上記に推測したロシア当局側の思惑どおりになっていると言えます。

他方で、西側資本による火事場泥棒的なウクライナ進出も進んでいます。
上に引用した二本の英文記事は、いずれも、オークランド・インスティテュートという研究所で出されたものですが、この研究所は、主に発展途上国における土地取引を批判的に検証しているプログレッシブ派の団体です。
このオークランド・インスティテュートから今年2月、"War and Theft: The Takeover of Ukraine’s Agricultural Land (いくさ場泥棒:ウクライナ農地の乗っ取り)"という報告書が出ています。

私はまだこの報告書を読んだわけではないのですが、上のリンク先の紹介文によれば、上記に述べた土地取引の自由化以降、戦時下で、アグリビジネスを支配する一部のオルガルヒが、欧米の金融機関から大規模な融資を受け、大土地の集約をしているそうです。
「最大の土地所有者は、ウクライナのオリガルヒと外資系企業(主にヨーロッパと北米、そしてサウジアラビアの政府系ファンド)のミックスである。米国の著名な年金基金、財団、大学の基金が、米国を拠点とする民間エクイティファンドであるNCHキャピタルを通じて投資している」とのことです。

そして、上のリンク先には、この報告書の結論が次のように引用されています。

戦後復興に向けた道のためにはなによりも、もはやオリガルヒや腐敗した者に支配されることのない、土地と諸資源がウクライナ人全員によって管理され、ウクライナ人全員に利益をもたらすような農業モデルを第一にしなければならない。

上記リンク先より拙訳

全くそのとおりだと思います。

ウクライナ戦争については、まだ少し言い足りないことがあるのですが、やらなければならないことがたくさんつかえているので、次の機会にまわします。