2ヶ月間で何を学んだ?演劇で見つけた「ありたい姿」

一月とは思えない、ぽかぽか陽気にまったりする今日このごろ。
溜まっていた洗濯物をぜんぶ片付けてその勢いで部屋の隅に溜まっていたホコリもぜんぶ掃除機で吸い取って、とても嬉しい気分!
晴れの日最高だ…!

ずっとnoteに書きたかった、去年参加した天狼院書店の「演じるコミュニケーション・ゼミ」。
なぜ今さら記事を書くのかというと、年末に一年の振り返りをしていたら、この出来事が去年で一番、わたしの今の日常にインパクトを与えた出来事の一つだったから。


参加を決めたとき、達成したいことは3つあった。

・あたたかい場を作るためにはどうしたらいいか考えること
・何を言っても大丈夫な場をつくるにはどうしたらいいか考えること
・怒れるようになること(※普段怒ることができない私が、前に中島先生のワークショップに行ったときに怒る体験をしたのだが、それが本当に気持ち良かった。北島選手ばりに「チョー気持ちいい!」と叫びたくなった。)

アートを用いた課題解決、私もよく考えるテーマでもあるけど、なんだか正体不明のうさんくささを感じがち(失礼)。

でも、何度か教えていただいたことのある先生への信頼から、参加してみることにした。

私がいただいたのは、ありがたくもほぼ主役だった。
ちなみに補足しておくと、小学生のときの学芸会で上演した「スイミー」で、私がもらったのは深海のワカメ役。舞台の上でゆらゆら揺れるだけの役。この20年で、藻類から人類に進化した。嬉しい。

劇は、通しで約1時間ある。
台本の自分のセリフにマーカーを付けていくと、ほぼすべてのページに色が付いた。
電車の中でも、練習場でも、台本を読んだ。
(…というのはちょっと嘘で、気がつけば水曜日で、慌てて当日に詰め込む、みたいなことも、しばしばあった)
練習場では、
期末試験前の学生のように、自分の番がくる数秒前まで台本とにらめっこした。
間違えないように、ど忘れしないように、人に迷惑かけないように。

それでもセリフ覚えが間に合わず、人に迷惑をかけまくるなか、
一人、また一人と、他の人が演じる役はどんどん個性豊かになっていく。
ただの「怒り」が、「悲しみを含んだ怒り」に、
ただの「喜び」が、「孤独を乗り越えたあとの喜び」に、、
どんどん役が分厚くなるし、本当に「生きている」感じになっていく。

とても焦った。
結局最後の練習でもうまくいかず、先生に「台本一日50回読んできて!」と言わせてしまった。その回数の無理さよりも、それを一週間前に言われてしまうことが恥ずかしかった。


いよいよ発表会当日、先生は言った。
「本番中は何が起こるかわかりません。何かあったらみんなで協力して、なんとかしましょう。なんとか最後までやりきりましょう。」
…「お客さんを感動させよう」とか「満足させよう」とかではなく、とにかく「最後までやる」ことが目標だった。

Show Must Go On.


舞台が暗転する。
ギターの音楽が鳴る。
オレンジ色のスポットライトが点く。
舞台袖に聞こえてくるセリフたちが、今までとは違う響きに感じる。

自分の出番になり、舞台に飛び出す。
知り合いの顔を見つけて緊張する。
みんなの調子の良さを感じる、なかでも特に調子の良い相手がアドリブ言う。
必死で打ち返す。
他のメンバーも予定になかったセリフを入れる。
”嘘でしょ!”と思いながら必死で応える。
お客さんが笑ってくれる。
自分のセリフを忘れる。フォローしてもらう。
自分のセリフをまた忘れる。必死に元の流れに戻す。
舞台袖に引っ込む。
仲間の最後の演技に全員で耳を澄ます。
見たことのない迫真の演技。
…あ、泣いてる…
そして終演。
お客さんの拍手。

…なんなんだろう、この居心地のよい空気。
程よい緊張感のなかで、いろんな感情がメンバーの間で飛び交っていて、その上で物語が進行していた。
誰も取り残さず、取り残されず、いきいきと物語が動いている感じ。
安心な世界。
いっしょに参加しためぐさんは「大丈夫ワールド」と書いてらっしゃったが、私はその言葉がとても好きだ。

そのあとの打ち上げは、本当に楽しかった。
本番の緊張が解けたから、ただただ大丈夫なだけの世界だった。みんな笑顔が光っていた。

おそらく、「演技力向上」のための講座であれば、こんなふうにはならなかっただろう。
先生は講座の間ずっと「感情の受け渡し」を重視されていて、
セリフの細かいニュアンスや表情の作り方、体の動かし方、といった表層的な「技」の指導は控え目に、相手とのコミュニケーションのことを重点的に指導されていた。
だからこそ本番、「自分の中で湧き上がる感情」と、「きっと相手が受け取ってくれる」という信頼で、ちゃんと物語を繋げることができた。


…でもそうなるには、自分のことだけ見ていてもダメで。
チームのためによく動ける人がいた。後日、聞いてみた。
”周りが見えていてすごいですね。私なんか、自分のことで精一杯で。”
その人の回答は、こうだった。

”皆のことが好きだから、だから皆のことを見てた”

予想もしていなかった答えに動揺した。
彼は義務感ではなく、皆のことを「見たくて」見ていた。
私も一生懸命この演劇に取り組んだつもりだったが、はっきりいって、自分に矢印が行き過ぎていた。(そのあたりの葛藤や後悔は、一緒に参加させて頂いたなつきさんが、とても丁寧に綴っていらっしゃった。記事はこちら

自分に向いていた矢印の何本かを、今年は他人に向けよう。
心に決めた。

目標(あたたかい場を作るには?何を言っても
大丈夫な場をつくるには…?)に対する答えは、これだ。

相手を好きになること、たくさん見ること。
お互いに「好き」という感情を受け取れば、自然と安心して表現できるし、自分を出せる。
好きオーラを発そう。

うーん、自分にはレベルが高いな…。

上に書いたことはちょっと難しい(レベル10くらい)かもしれないので、まずはレベル3くらいの目標を立てることにした。

「できない」ときに自分を閉ざさないこと。
コミュニケーションから逃げないこと。
そういときこそ「開く」こと。

それができれば、レベル10を目指せる日も近いうちにやってくるに違いない。

学んだからと言ってすぐにできるわけではない。
だけど、できるようになる未来にちょっとでも近づきたい。

それがわたしの、今年「ありたい姿」だ。

他にも、
・私が学んできた音楽よりも、演劇の方が、日常生活や教育に活かしやすそうなこと、
・普通の空間が少しの照明や身体の動き方の工夫でびっくりするくらい非日常な空間になること、
・芝居の先生の人間観察眼のすごさ!
・結局、松尾さんは怒れるようになったのか?ということ、、、

この二ヶ月で学んだことはまだまだたくさんあったのですが、
あまりにも長くなりそうなので、また次回にご期待…!