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またいつか、としか今は言えないけれど、その日が必ず来ると信じて

そういえば、と思い立ち、カレンダーの日にちのマスを数える。

日付が変わり4月23日になったから、35日目。外出自粛が始まり、もう1ヶ月が過ぎたようだ。


美しい春がやってきて、買い物の道すがらに見つけた色づく花々を写真におさめる。毎日の自炊に疲れたら、大好きなローカルレストランのデリバリーを頼む。

最近の、日々の楽しみだ。

私の住むカナダ・バンクーバーでは3月18日に緊急事態宣言が出された。街の小さな商店はもちろん、ダウンタウンの大きなデパートや土産物屋は瞬く間に営業停止。もしかしたら潰れているお店もあるかも知れない。通っていた図書館も閉鎖、公園の遊具もテープに巻かれている。

大好きなコーヒーショップや飲食店はテイクアウトかデリバリーのみで営業しているが、それでも採算が取れないのか閉めているお店も多い。

ネットショップをやっているコーヒーロースターもあるので、おうちでは今までと同じようにコーヒーを楽しむことができるが、あのカフェという空間でゆっくり過ごす時間は何事にも代え難いと気づく。


スーパーやドラッグストアで間隔を開けて並ぶことにはもう慣れたし、入店制限があり時間がかかるため、閉店間際に駆け込まないように気をつける。

(コスコの駐車場は朝の8時前には満車になり、距離を保ちながら行列ができていた。)

私がバンクーバーで好きなところのひとつが、バスのドライバーにThank you!と元気に言いながら降りていくところなのだが、ここ最近はすっかり見なくなってしまった。
公共の場ではみんな、口をつぐんでいる。


私の勤めている会社は、緊急事態宣言が出された後も細々と営業を続けていた。
リモートワークできる人は自宅で仕事を。私は会社に行かないとできない仕事だったので、手洗いはもちろん、身体的距離を取ることについては徹底し、デスクを離したり、密集するランチルームではなく違う場所で食事を取ったりと同僚たちと工夫をしながら働いていたが、3月末には自宅待機となった。
楽器工房で働いているのだけれど、こんな時期に楽器を買おうなんて人はなかなかいないから、いつもは繁盛しているオンラインショップも、2、3日に一件注文があるかどうかまで落ち込んでしまった。


自宅で過ごし始めて2週間ほど経つと、一歩でも外へ出るのが怖くなってしまった。これだけ家にいても増え続ける感染者数、世界の悲惨な状況をネットのニュースで追いかけるうちに不安が募り、夜はほとんど眠れなくなってしまった。

その中でも、バンクーバーの友達たちのインスタグラムの様子を見ていると少しほっとした。お菓子作りに勤しんだり、本や映画を楽しんだり。いつもよりメッセージのやりとりも多くなった。
「雨が続く長い冬がやっと終わったというのに、またおうちでネットフリックスを見るしかない日々に逆戻りだ、やれやれ。」と、少し気楽に思っているようにも見える。

それも、このカナダという国のおかげだと思う。

会社からはいつもと同じ給料が振り込まれたし、この事態で職を失った人たちにはカナダ政府からの補償金がとても広い対象で払われる。しかも2日やそこら待てば、口座にはこの1ヶ月ちゃんと暮らせる金額が入る。

ほぼ毎日のようにトルドー首相は官邸前から会見をし、国民に家にいるよう呼びかける。一緒に乗り越えましょうと力強く伝える。子供たちからの質問にも答えるし、医療従事者、エッセンシャルワーカーの人たちに敬意を表す。私たちもそれに従い、夜7時には窓から叫んだり鍋を叩いたりして、エールを送る。

国籍も年齢も関係なく、カナダにいる人はみんなカナディアンだ、助け合おうじゃないかと言ってくれる。この国のことが本当に好きだ。


5月になれば、バンクーバーに来て1年が経つ。まさか、この国のことをこんなに好きになるとは思ってもみなかった。

来た当初は、世界で住みやすい街ランキング1位だか2位だか知らないけど、なんか居心地悪いな、なんて思っていた。もともと1年で帰る予定だった。
新しい土地での生活なんて最初から上手くいくはずがないのに、せっかくの美しい夏もなんだかふてくされたまま過ごした。し、冬になっても、嫌なことも困ることもまだまだたくさんあって、日本ならもっとスムーズに生活することができるのに、と何度も泣いた。

でも、驚くことに、将来的にも住んでいたいと思えるほどにもなってしまった。皮肉にもこの緊急事態のおかげで、この国がどれだけ住みやすく、どんなに優しいかを知った。


だけど、来週の月曜日にはバンクーバーを離れて、日本に帰らなくてはならない。


現在勤める会社のサポートでワークビザを申請することになっていたが、この状況下でそれが難しくなってしまった。

そして、何ともタイミングが悪いことに5月の初めには現在のビザが切れてしまうのだ。

この時期に大きな距離を伴う移動は、自分にとっても周りの方々にとってもリスキーなのは承知している。これ以上詳しくはここには書かないが、色々考えた末、日本に帰国する以外の選択肢がなくなってしまった。(予防・対策は十分にします。)

住みたいと思う街を離れることになるなんて。

自分のせいでも誰のせいでもなくて、ただただ、悲しいだけのこんな気持ちは生まれて初めてかもしれない。

友達や同僚に会って、さよならのハグをすることも出来ないなんて。こんなにさみしい様子のバンクーバーを最後に見ることになるなんて。


またいつか、としか今は言えないけれど、必ず、戻ってこられるように。

日本に帰っても、バンクーバーのみんなと、世界のみんなと、この事態を乗り越えるために、自分にできることをします。

We are all in this together.

まつりに美味しいコーヒーをご馳走してくださいっ