見出し画像

東京でも、慣れ親しんだ場所でもないどこかで

わざわざ、いくつかの仕事を辞めて、わざわざ、大切な人たちのいる心地よい場所を離れて、わざわざ、何も見えない明日を追いかける日々を選ぼうとしている。

みんなはすごいね、楽しそうだね、と言うけれど、こんなにこわい気持ちは生まれてはじめてで、もうやめてしまおうか、なんて考えが頭をよぎったりもした。

この1週間ほど、詰め込んだ最後の仕事の合間をぬって、友人と食事をしたりお酒を楽しんだりしたのだが、すごくすごく楽しくて、こんな日々を新しい場所で過ごせるのか、こう書いている間にもどうしようもない不安に襲われる。

別れ際のあたたかなハグも、手を合わせて、さよならをくれることも。
それを恋しく思う毎日を、これから、過ごすのだ。

自分のキャリアを必死に東京で積んで、大人になるほど大切なものが増えて、「此処」にいないと私の存在価値は薄れてしまう気がして。

だって私は知っているのだ、いくらインターネットが発達したからって、どうしようも出来ない距離と、時差、その土地の空気は何を以ってしても敵わないことを。

それでも私は、するりと抜けだすようにして、東京を離れて、ときどき海を越えてみたりして、わざわざ、独りになって。

そうなのだ、また、そうして離れたくなってしまったのだ。こんなに大切な居心地のよい此処ではなく、新しい場所で挑戦をしようと決めた。


昨日、一緒に飲んでいたミュージシャンとコンビニを出て、同じ傘の下で、あ、そういえば、もう何時だっけと時計を見たら0時を1分過ぎたところで。えぇ、いつの間に、と笑いあって、そんな風にゆるりと新しい時代を迎えました。

こんなにもめそめそとした気持ちを恥ずかしげもなく書いたこのnoteを、いつか笑って読み返す日がくるように。令和元年5月1日に記します。


まつりに美味しいコーヒーをご馳走してくださいっ