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20230406 祭とカネの話―資産運用の可能性

 今日は4月6日! あと一か月もすると博多ではどんたく松ばやしが終わり,山笠の準備も本格化しだすころかなあと。博多祇園山笠に山大工として長年従事されている山台苦さんのブログなどをみていると,山笠の準備は祭が終わったその日から始まり1年をかけてのものだというのがよくわかりますが,準備過程として文字や映像に残されているのは六月あたまの夏祈祷や棒洗いくらいからで,その前の資金集めなどについてはさほど残っていないと思います。
 そのような文字に残りにくい資金集めなどについて詳細に残してくれる研究が以下の論文でした。
 
武田俊輔 2016 都市祭礼における社会関係資本の活用と顕示 ―長浜曳山祭における若衆たちの資金調達プロセスを 手がかりとして. フォーラム現代社会学, 15, 18 – 31.

 論文は筆者自身の参与観察とインタビューを元に詳細かつ具体的に書かれているので,私がかいつまんで要約するのが難しいこともあり,興味を持たれた方は本文を読んでいただくこととして要約のみを此処に引用させていただきます。

要 旨》》
 本論文は都市祭礼の担い手たちが、祭礼以外の地域社会における職業生活や日常的な暮らしを通じて構築した社会関係資本をいかにして祭礼に活用しているのかについて、滋賀県長浜市の長浜曳山祭を事例として明らかにする。
 従来の都市祭礼研究では多くの場合、その分析対象は祭礼の本番やその直接の準備と、それを行う祭礼組織の内部における担い手のネットワークに視点を限定している。しかし祭礼を構成する1人1人の担い手はより広範な都市の社会的ネットワークの中に属し、また当の都市祭礼も人的資源においても資金面でも、担い手以外の様々な人々との結びつきを通じて継承できるのであり、そうしたより広範なネットワークが、祭礼にとって持つ意味を分析する必要がある。本論文ではその点について、祭礼の執行に不可欠な資源である資金調達のメカニズムを検討することで、祭礼の担い手たちが地域社会において醸成している社会関係と祭礼の関係性を分析する。
 その結果①祭礼パンフレットへの広告協賛金が個々の担い手の社会関係資本の反映であり、②祭礼における協賛金のやりとりを通じて、日常的な関係性もまた保証されていること、③資金調達だけでなく、同じ町内や他町へのパンフレットというメディアにおける社会関係資本の顕示が重要で、それが担い手への社会的評価と結びついていることを示し、祭礼組織の外部に広がる社会関係資本と祭礼との結びつきについて明らかにした。

 そして資金を集めるために若衆いろいろと試行錯誤する具体例が示されるのですが,その後すごく有効な資金集めの方法が示されることはなく,むしろ「不合理」に気づいていくのが面白いと思いました。以下,不合理に関する記述から少しずつまとめて引用させていただきます。
 

・先に述べたような時間的・精神的な負担も含めて考えると、むしろ自分自身で必要な金額を拠出する方が合理的ではないかとすら考えられる
 
・飲食店からの協賛金に関しても、依頼に行く前から数名の若衆たちが何度も飲みに行っ て顔なじみになり、さらに依頼に行く際にも飲みに行き、加えて協賛金を頂いたお礼にもまた改めて飲みに行くというように、若衆1人あたり数万円を支出して、ようやく 5000 円の協賛金を得るのが普通である。若衆たちも「結局自分らで出しといたほうが早いよね、アホやな、ハハハって言いながら働くけど、 3 年後同じことしてる」と述べる

 そしてそのような不合理を感じつつも,結局は同じように協賛金をお願いする方法での資金集めをする理由として,地域とのつながりの形成や,協賛を得られることが商売能力を誇示できる側面があるからであるなどの考察がなされるのが以下の引用で分かると思います。

こうした協賛金集めが「平生の交渉で……そう いう資金力が集められるかいうのはね、世渡りも」というように、日常的な商売上の人付き合いと大いに関係しているという山組の人々の感覚である。資金そのものとともに、資金を引き出せるような関係づくりがどれだけできているかが重要であって、協賛金の有無は若衆個人のそうした「世渡り」、取引先・仕入先との継続的な関係性に基づき、どれだけ「無理して」「一生に一回のお願いができる関係を築けているかという、いわば社会関係資本(辻・佐藤 2014)も、そこに反 映しているということになる。

 さて,これを昨日読んだ東京都文京区の縁日と比較してみると,このような「協賛金を得られる社会関係資本」が祭での位置を決定する都市祭礼のあり方があれば,そうしたものを離れた祭というのもまた存在が求められていくのでは,などと思ったりもします。
 
 また,論文中で,(A)山組1組でかかる費用800~1000万,(B)保存会からの収入370万,(C)各家から徴収する300万 とあれば,若衆が調達しなければならないのは毎年300万くらいになるのではと思います。
 1つの山組の若衆の人数は20名程度とのことで,おそらくですがこの若衆のリーダーは昔よりその地で自営業を営む人などがつくことが多いのではと思われて,だからこそ社会関係資本として「地域の他の自営業者とのつながり」というのがすごく重要視されるのだと思います。
 しかし,もし,若衆の中に開業医や投資家や資産家やIT長者などの年間300万程度出しても全然痛まない高収入の人がいて,その人がリーダーとなって「年300万くらいなら自分が出すから資金集めやめへん?」とか言い出したらどうなるのかなあと。おそらくそのような「圧倒的なお金持ち」の専横にならないようなシステムが昔から存在しているのでは?と思うのですがこのあたりはなかなか文字に残りにくく残っていないのではと思ったりしますので,若衆の中で誰がリーダーになるかの選出のプロセスも見てみたいなあと思いました。
 そのほか,一度集めた資金を元に株や不動産投資などをして毎年の資金を捻出したり売る祭組織とかってあったりするのかなあ?など考えたりすると,意外と近い将来,全国的に祭の資金集めの方法ってがらりと変わる可能性もあるかもなあなどと思ったりもしました。

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